皆さん、「応援」と聞くと何を想像しますか?んーやはり、スポーツとかですよね。サッカー、野球、ラグビーその他諸々ですが、応援のスタイルもそれぞれです。サッカーにはサッカーの応援、野球には野球の応援、それぞれのスポーツにそれぞれの応援のやり方があるようです。これも興味深いところです。

 他に応援というと、そう、政治家の選挙応援とかもありますね。それとか、芸術家なんかに付いてくれるパトロン、あれも応援者、支援者ですね。そう考えると、ブログに「いいね」を付けてくれる人も…そう、やはり応援者ですね。大切、大切‼︎

 

 私は、体を動かすのが好きで、若い頃は色々スポーツをやっていました。小学校時代は、リトルリーグ、高校で剣道、大学でテニス…で、思うのは、いつの時も必ず応援してくれる人がいたという事。特に思い出深いのが、大学のテニス部での事。2年の秋のインカレで初勝利を挙げたのですが、あれはもう確実にチームメイトの応援で「勝たせて貰った」ゲームでしたね。なんと言っても、逆転勝ちでしたから。相手に追い詰められていて、「もうダメだ」、「また勝てないのか…」とメンタルが沈んでいた時、声が掛かったんですよ、当時のキャプテンから、「お前、また負ける気か!男なら最後まで諦めんな‼︎」でした…これ、応援?てな感じでしたが、逆にこの言葉を聴いて私は俄然燃えてきました。そう、キャプテンはあまりに不甲斐ないというか、疲れて覇気のない私のプレーを見て、大喝を入れると同時に、わざと私を怒らせ、パワーを引き出させようとしたんです。で、そうこうしてる内に試合の合間のチームメイトが一人、又一人と応援に来てくれて…お陰で初勝利を挙げることが出来ました。そして、試合後一番喜んでくれたのが、何を隠そう、このキャプテンだったんです…その後の打ち上げでのビールが美味かった事…思えば、あの時初めて勝利の美酒の美味さを知ったんだと思います。ホント今ではいい思い出です…

 

 こんな風に、応援は、その人を勇気付け、ヤル気を奮い立たせてくれるものです。とてもありがたいものですね。でも、それ以上に大切な事、それは、「君一人じゃないよ。私もあなたと共に居るよ」というメッセージ性がその行為の中に込められているところでしょうか…皆さんの中にも、他者から応援されたご経験のある方沢山いらっしゃると思います。その時、感じたと思います…こうした、何というか温かみみたいな応援者の思い…私は、ここが重要というか、人の琴線に触れるところかなと思います。

 この広い地球上で、たった一人でもいいんですよ。「自分のサイドに付いてくれる人」が居ればね…おそらくそれは、その人に大きな励まし、力になると思います。

 

 この辺のところは、とても有名な一節が聖書にあります。新約聖書マタイによる福音書、28章20節、「…わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」です…

 これは、主イエスが、天に昇天される際に弟子たちに贈られたメッセージです。「僕は、天に行ってしまうけど、いつも君たちの心の中に居るよ。決して君たちを孤独にさせたりはしないよ」という、温かく、力強い主イエスの約束の言葉です。応援には、これに通ずるものがあるのではないでしょうか?