3月11日から今日で2ヶ月が経過。
まず、失われた生命にご冥福をお祈りするとともに、
今なお不自由な生活を余儀なくされている被災地の方々にお見舞い申し上げます。
今日、帰宅前に晩御飯を買うためにコンビニに立ち寄った。
震災前とほぼ変わらない品揃え(量も種類も)になっていることに気づいた。
震災後、数週間で不自由なく替える量には戻っていたが、種類は限定されていた。
東京では原発関連の問題をのぞけば、ほぼ日常が戻っているといえる。
しかし、東北などでは復興とはほど遠い状況にある地域も多くある。
4/27-29に岩手県・陸前高田市&大船渡市にボランティア活動に行ってきた。
そこには、震災発生から約50日後とは思えない惨状が広がっていた。
事前に想像と覚悟はしていたが、初めて目の当たりにしたとき、言葉を失った。
そして、こう思うのは俺だけではないだろうな、とも思った。
原発問題の陰に隠れ、被災地を伝える報道が減少し、
また被災地に対する意識も低下しているのではと。
ボランティア参加からおよそ2週間。遅いとは思うけど、日記を書く。
たいした影響力はないだろうけど、身近な友人などに少しでも被災地の状況が伝われば、という思いです。かなり長いですが、読んでいただければ幸いです。
このような日記にご批判もあるかもしれませんが、それも承知/覚悟の上です。
自己満足/偽善者と呼ばれようとかまいません。それで、少しでも被災地の現状が伝わるのならば、それにこしたことはありません。
まず、今回参加したボランティアは「災害記録ボランティア」というもの。
東日本大震災による被害および復興の様子を記録していくが活動内容。
詳しくはこちらをご覧ください。
当初は瓦礫片付け、汚泥除去など、一般的な災害支援ボランティア参加を考えていたが、予定にあうものがなく、途方に暮れかけてたところ、この募集を発見。
参加可能な時期を記入して応募できるというのが大きかったし、カメラ/PCは人並み以上には扱える人間としてはやるべきかな、と思い応募。
4月末~5月にかけて参加可能な時期を書いてたら、4月末でどうかとの連絡。
てっきり長期参加可能な5月以降になるだろうなと思ってたので、少々驚いたが、それだけ人手不足ということだろうと思い、快諾。
なお、写真は主に活動の合間に自分で撮ったものを載せています。
新聞やニュースサイトなどの写真に比べれば稚拙だと思います。
が、震災後50日というタイミングの写真を載せることに意義があると思います。
4/26(火)は移動日。
朝から、現地の活動で必要となりそうなものを買い出しして、昼過ぎに出発。
現地への移動は、仙台までは高速バス、その後、レンタカーでボランティア拠点の遠野市に向かうことに(マイカーも考えたが、燃費の悪さなどを考えて却下)。
23時までに現地入りする必要があったのだが、高速バスが事故渋滞で30分ほど遅れたので、微妙な時間に。。。拠点にも連絡がとれないので、翌朝入りに変更。
そして、せっかく空いた時間なので、東北大学の後輩と晩御飯を一緒にする。
後輩は震災発生日は海外の学会にいたものの、その後の生活にはいろいろと影響があって苦労しているようだ。特別、気を病んでる様子ではなかった点は、一安心。
その後、東北自動車道の前沢SAまで移動して車中泊。
レンタカーがインサイトだったので、後部座席を倒すとそこそこ広かったのが救い。とはいえ、慣れない環境なので、そんなに寝れなかったけども。
東北道はやはり凸凹していたが、予想よりはひどくなかったという印象。
仙台から岩手に入るあたりが50km/h制限があるように、一番ひどかったかな。
ただ、だいたいの車は80~100km/hで走ってたので、そこまでひどくない。
そして、4/27(水)、活動1日目。
朝6時くらいに起床。前沢SAで朝飯を食べて、拠点の遠野市へ向けて出発。
当初は8時集合だったが、前夜に拠点の担当者とは連絡がとれていて、雨なので活動開始も遅れる見込みのため、遅めの到着でもOKとのことでお言葉に甘える。
拠点までは東北道を降りてから1時間ほど下道を走る。拠点の遠野市は岩手県の内陸に位置するが、そこへの道もところどころ損傷が目立ち、爪痕を感じる。
そして、9時頃に拠点に到着。拠点はこんな感じ。

本来は、地域の消防団の施設。ここで打ち合わせ、PC作業、寝泊まりを。
到着すると、ちょうど活動に出発するタイミングだったため、そのまま同行。
この日の活動地点は陸前高田市小友町周辺。
活動地点へは、国道45号線(浜磯街道)で大船渡市街を経由して移動。
大船渡市に入ってしばらくは何事もなかったような街並が続き、
「このへんはたいしたことなかったんやなぁ」と思っていたが、
少し坂道を下ったところで、目に飛び込んできた光景に絶句。

この写真はしばらく移動した後のものだが、ほんの数秒前に見えていた街並とは全くリンクしない光景が本当にいきなり飛び込んでくる。
あの瞬間のことは、一生忘れないだろう。
大船渡市を抜けて、県道38号線に入ってしばらくすると、陸前高田市小友町。
まずはJR大船渡線の跨線橋付近で活動することになったが、見渡す限り瓦礫。


まだ、自衛隊/警察も捜索活動や瓦礫撤去作業を実施している地域。
いきなり活動に駆り出される格好となったこともあり、何を撮影すればよいかもよくわからず、ひとまず気になったものを撮影するという状態。
今思うと、あまりの光景にうまく頭が回ってなかったのかなとも思う。
次は小友駅周辺にて活動。
こちらは、駅舎が跡形もない。ホームのベンチで駅だったと認識できた。

ホームから見える景色も、倒れている看板や、地面から外れている線路など、まだ手が付けられておらず、いまだに津波被害の爪痕が残されている。


しかし、そんな自然の驚異の爪痕の中にも、花は力強く咲く。

儚さとともに、この花のことは凄く印象に残っている。
この後はお昼ご飯。
ボランティア拠点の遠野市ではコンビニやスーパーは通常営業になっている。
この日も出発直後にローソンで昼飯を購入。
こういった点から、遠野市を拠点にしているボランティアは他にも複数あり。
お昼ご飯の後は、拠点に戻りながら、大船渡市にて活動。
まずは、JR大船渡線の細浦駅付近。このあたりは大船渡湾に面していて、小さな港町といった感じ。海に近いだけあって、やはり被害も大きい。
原型をとどめていない車、根元から損傷しているガードレールと電柱。


ちょっと高台から観てみると、線路や家の被害も凄い。現実とは思えない。


線路は元あった高台からずり落ち、車はその線路と高台にはさまり、周辺の家屋も高台まで流れついている、といった格好。
このあたりは重機が入って、瓦礫撤去が進んでるという印象だったが、
それでもまだまだ手つかずの箇所も見受けられ、
いつまでかかるのか?ということを感じずにはいられなかった。
最後は大船渡駅やや南周辺で活動。
車を停めたあたりは漁業関係の倉庫が多くみられた。
倉庫も手つかずなところが多いようで、我々が訪れた日に倉庫に残っていた冷凍サンマを処分しているところもあったくらいだ。
震災から一月半たって、ようやく、のことだ。
大きな船も打ち上げられていて、いまだそのままになっていた。

大船渡駅方面に向かって撮影していった。
このあたりは、漁業関係や、商業施設や銀行など大きな建物が多い。
遠くから観ると、無事に見えるが、近づくと、その損傷の大きさに驚かされる。


途中、一匹の猫に出会った。
物怖じせず近づいてきたので、飼い猫だったのだろうか?

飼い主のことやこの後どうなるのかとかを考えて、
すごく複雑な気持ちでその場を後にしたのを覚えてる。
あるビルには、チリ地震津波の水位を示す看板もあった。


今回の津波はその高さを超えていることがよくわかるが、
チリ地震津波の水位より低いところに、街があるのを疑問に感じたのも正直なところ。
なお、大船渡駅方面に向かって、と記述しているが、
活動中は自分が歩いている場所が駅前とは気づかなかった。
後で地図を見返すと大船渡駅前の交差点まで歩いているのだが、
信号もなく駅舎も見当たらなかったのか、駅前とはまったく気づかなかった。
この後、拠点に戻る。
移動中に同乗した方とお話するのだが、初日は何を話したかあまり印象にない。
拠点に戻った後は、PCで写真の整理とメディアへの書き出しなど。
俺が参加した頃はまだ活動初期で、整理方法なども整備されていない状態。
ひとまず、わかる範囲での住所などにまとめるという作業にとどまっていた。
今後はGPS情報などを紐付けたりすることになるかなと思い、可能な範囲で細かい情報もつけてみたが、役立ったのだろうか?
※2日目と3日目は東京に戻ってから整理したので、正確なGPS情報を紐付けた
晩飯を買いに行ったり、近くの温泉で風呂に入った後、夜のミーティング。
今日の活動で感じたことや、撮影地点の共有、明日の活動についての話し合い。
責任者の方のお話によると、被災地を撮影するというのは、体力的には負荷の軽いことだが、精神的には重いとのこと。今は大丈夫でも、日常に戻ってから、影響が出ることもあるので、感じたことはなるべく話したり、拠点ではリラックスにつとめることがいいそう。
実際、俺も活動するまでは、撮影するだけの楽な作業でいいのかな?と思ってたけど、思ってた以上に疲れるなというのを実感。
写真を整理するのもなかなか大変で、夜遅くまで作業されてる方が多い。
このあたりの活動時間もまだ体制化されてないようで、手探り感を感じた。
結局24時消灯ということになり、自分も少し作業を残して就寝。
と、ここまでが初日のお話。
ホント、震災発生から1ヶ月半がたってるとは思えなかったというのが率直な感想。
本当は全部書きたかったけど、時間がないので、今日はここまで。
また時間をみつけて、2日目、3日目のことも書こうと思います。
感想や、知りたいことなど、コメントいただければ幸いです。
まず、失われた生命にご冥福をお祈りするとともに、
今なお不自由な生活を余儀なくされている被災地の方々にお見舞い申し上げます。
今日、帰宅前に晩御飯を買うためにコンビニに立ち寄った。
震災前とほぼ変わらない品揃え(量も種類も)になっていることに気づいた。
震災後、数週間で不自由なく替える量には戻っていたが、種類は限定されていた。
東京では原発関連の問題をのぞけば、ほぼ日常が戻っているといえる。
しかし、東北などでは復興とはほど遠い状況にある地域も多くある。
4/27-29に岩手県・陸前高田市&大船渡市にボランティア活動に行ってきた。
そこには、震災発生から約50日後とは思えない惨状が広がっていた。
事前に想像と覚悟はしていたが、初めて目の当たりにしたとき、言葉を失った。
そして、こう思うのは俺だけではないだろうな、とも思った。
原発問題の陰に隠れ、被災地を伝える報道が減少し、
また被災地に対する意識も低下しているのではと。
ボランティア参加からおよそ2週間。遅いとは思うけど、日記を書く。
たいした影響力はないだろうけど、身近な友人などに少しでも被災地の状況が伝われば、という思いです。かなり長いですが、読んでいただければ幸いです。
このような日記にご批判もあるかもしれませんが、それも承知/覚悟の上です。
自己満足/偽善者と呼ばれようとかまいません。それで、少しでも被災地の現状が伝わるのならば、それにこしたことはありません。
まず、今回参加したボランティアは「災害記録ボランティア」というもの。
東日本大震災による被害および復興の様子を記録していくが活動内容。
詳しくはこちらをご覧ください。
当初は瓦礫片付け、汚泥除去など、一般的な災害支援ボランティア参加を考えていたが、予定にあうものがなく、途方に暮れかけてたところ、この募集を発見。
参加可能な時期を記入して応募できるというのが大きかったし、カメラ/PCは人並み以上には扱える人間としてはやるべきかな、と思い応募。
4月末~5月にかけて参加可能な時期を書いてたら、4月末でどうかとの連絡。
てっきり長期参加可能な5月以降になるだろうなと思ってたので、少々驚いたが、それだけ人手不足ということだろうと思い、快諾。
なお、写真は主に活動の合間に自分で撮ったものを載せています。
新聞やニュースサイトなどの写真に比べれば稚拙だと思います。
が、震災後50日というタイミングの写真を載せることに意義があると思います。
4/26(火)は移動日。
朝から、現地の活動で必要となりそうなものを買い出しして、昼過ぎに出発。
現地への移動は、仙台までは高速バス、その後、レンタカーでボランティア拠点の遠野市に向かうことに(マイカーも考えたが、燃費の悪さなどを考えて却下)。
23時までに現地入りする必要があったのだが、高速バスが事故渋滞で30分ほど遅れたので、微妙な時間に。。。拠点にも連絡がとれないので、翌朝入りに変更。
そして、せっかく空いた時間なので、東北大学の後輩と晩御飯を一緒にする。
後輩は震災発生日は海外の学会にいたものの、その後の生活にはいろいろと影響があって苦労しているようだ。特別、気を病んでる様子ではなかった点は、一安心。
その後、東北自動車道の前沢SAまで移動して車中泊。
レンタカーがインサイトだったので、後部座席を倒すとそこそこ広かったのが救い。とはいえ、慣れない環境なので、そんなに寝れなかったけども。
東北道はやはり凸凹していたが、予想よりはひどくなかったという印象。
仙台から岩手に入るあたりが50km/h制限があるように、一番ひどかったかな。
ただ、だいたいの車は80~100km/hで走ってたので、そこまでひどくない。
そして、4/27(水)、活動1日目。
朝6時くらいに起床。前沢SAで朝飯を食べて、拠点の遠野市へ向けて出発。
当初は8時集合だったが、前夜に拠点の担当者とは連絡がとれていて、雨なので活動開始も遅れる見込みのため、遅めの到着でもOKとのことでお言葉に甘える。
拠点までは東北道を降りてから1時間ほど下道を走る。拠点の遠野市は岩手県の内陸に位置するが、そこへの道もところどころ損傷が目立ち、爪痕を感じる。
そして、9時頃に拠点に到着。拠点はこんな感じ。

本来は、地域の消防団の施設。ここで打ち合わせ、PC作業、寝泊まりを。
到着すると、ちょうど活動に出発するタイミングだったため、そのまま同行。
この日の活動地点は陸前高田市小友町周辺。
活動地点へは、国道45号線(浜磯街道)で大船渡市街を経由して移動。
大船渡市に入ってしばらくは何事もなかったような街並が続き、
「このへんはたいしたことなかったんやなぁ」と思っていたが、
少し坂道を下ったところで、目に飛び込んできた光景に絶句。

この写真はしばらく移動した後のものだが、ほんの数秒前に見えていた街並とは全くリンクしない光景が本当にいきなり飛び込んでくる。
あの瞬間のことは、一生忘れないだろう。
大船渡市を抜けて、県道38号線に入ってしばらくすると、陸前高田市小友町。
まずはJR大船渡線の跨線橋付近で活動することになったが、見渡す限り瓦礫。


まだ、自衛隊/警察も捜索活動や瓦礫撤去作業を実施している地域。
いきなり活動に駆り出される格好となったこともあり、何を撮影すればよいかもよくわからず、ひとまず気になったものを撮影するという状態。
今思うと、あまりの光景にうまく頭が回ってなかったのかなとも思う。
次は小友駅周辺にて活動。
こちらは、駅舎が跡形もない。ホームのベンチで駅だったと認識できた。

ホームから見える景色も、倒れている看板や、地面から外れている線路など、まだ手が付けられておらず、いまだに津波被害の爪痕が残されている。


しかし、そんな自然の驚異の爪痕の中にも、花は力強く咲く。

儚さとともに、この花のことは凄く印象に残っている。
この後はお昼ご飯。
ボランティア拠点の遠野市ではコンビニやスーパーは通常営業になっている。
この日も出発直後にローソンで昼飯を購入。
こういった点から、遠野市を拠点にしているボランティアは他にも複数あり。
お昼ご飯の後は、拠点に戻りながら、大船渡市にて活動。
まずは、JR大船渡線の細浦駅付近。このあたりは大船渡湾に面していて、小さな港町といった感じ。海に近いだけあって、やはり被害も大きい。
原型をとどめていない車、根元から損傷しているガードレールと電柱。


ちょっと高台から観てみると、線路や家の被害も凄い。現実とは思えない。


線路は元あった高台からずり落ち、車はその線路と高台にはさまり、周辺の家屋も高台まで流れついている、といった格好。
このあたりは重機が入って、瓦礫撤去が進んでるという印象だったが、
それでもまだまだ手つかずの箇所も見受けられ、
いつまでかかるのか?ということを感じずにはいられなかった。
最後は大船渡駅やや南周辺で活動。
車を停めたあたりは漁業関係の倉庫が多くみられた。
倉庫も手つかずなところが多いようで、我々が訪れた日に倉庫に残っていた冷凍サンマを処分しているところもあったくらいだ。
震災から一月半たって、ようやく、のことだ。
大きな船も打ち上げられていて、いまだそのままになっていた。

大船渡駅方面に向かって撮影していった。
このあたりは、漁業関係や、商業施設や銀行など大きな建物が多い。
遠くから観ると、無事に見えるが、近づくと、その損傷の大きさに驚かされる。


途中、一匹の猫に出会った。
物怖じせず近づいてきたので、飼い猫だったのだろうか?

飼い主のことやこの後どうなるのかとかを考えて、
すごく複雑な気持ちでその場を後にしたのを覚えてる。
あるビルには、チリ地震津波の水位を示す看板もあった。


今回の津波はその高さを超えていることがよくわかるが、
チリ地震津波の水位より低いところに、街があるのを疑問に感じたのも正直なところ。
なお、大船渡駅方面に向かって、と記述しているが、
活動中は自分が歩いている場所が駅前とは気づかなかった。
後で地図を見返すと大船渡駅前の交差点まで歩いているのだが、
信号もなく駅舎も見当たらなかったのか、駅前とはまったく気づかなかった。
この後、拠点に戻る。
移動中に同乗した方とお話するのだが、初日は何を話したかあまり印象にない。
拠点に戻った後は、PCで写真の整理とメディアへの書き出しなど。
俺が参加した頃はまだ活動初期で、整理方法なども整備されていない状態。
ひとまず、わかる範囲での住所などにまとめるという作業にとどまっていた。
今後はGPS情報などを紐付けたりすることになるかなと思い、可能な範囲で細かい情報もつけてみたが、役立ったのだろうか?
※2日目と3日目は東京に戻ってから整理したので、正確なGPS情報を紐付けた
晩飯を買いに行ったり、近くの温泉で風呂に入った後、夜のミーティング。
今日の活動で感じたことや、撮影地点の共有、明日の活動についての話し合い。
責任者の方のお話によると、被災地を撮影するというのは、体力的には負荷の軽いことだが、精神的には重いとのこと。今は大丈夫でも、日常に戻ってから、影響が出ることもあるので、感じたことはなるべく話したり、拠点ではリラックスにつとめることがいいそう。
実際、俺も活動するまでは、撮影するだけの楽な作業でいいのかな?と思ってたけど、思ってた以上に疲れるなというのを実感。
写真を整理するのもなかなか大変で、夜遅くまで作業されてる方が多い。
このあたりの活動時間もまだ体制化されてないようで、手探り感を感じた。
結局24時消灯ということになり、自分も少し作業を残して就寝。
と、ここまでが初日のお話。
ホント、震災発生から1ヶ月半がたってるとは思えなかったというのが率直な感想。
本当は全部書きたかったけど、時間がないので、今日はここまで。
また時間をみつけて、2日目、3日目のことも書こうと思います。
感想や、知りたいことなど、コメントいただければ幸いです。