はっぴいらんど | 伝えたい人、音にならない考え事

伝えたい人、音にならない考え事

演劇、表現活動での色々。独りよがりだけど伝えたい、そんな支離滅裂。

※今回は赤裸々に書きすぎたかも(いつもか?)。特に序盤はキツい文も多いので、ステージに夢を見ていたい方は役者の紹介あたりから読むのをお勧めします。


ブログの更新は久しぶり。アメブロのアプリも全然アップデートしてなかったし、いつの間にかログアウトされてた。


なんの苦労もなく、「あー楽しかった!」で終われる公演が減ってきた気がする。私は人より大分鈍感な方なので、周りでどんなに不和が起きていても割と楽しく過ごせちゃうタイプなんだけど(酷くない…?)。なんだか最近、色んなことを考えて反省してでも反省しきれなくてモヤる。みたいなことが増えた。多分、大人になりつつあるってことなんだろう。遅え…。遅えけど、せっかくなら永遠に子供でいたかった。

知らず知らずのうちに公演の規模が大きくなって、自分の常識のなさとか他とは違うこととか、分かってて省いてる本当は必要なこととか、そういうのから逃げられなくなってきて、そういうのを指摘されると「なんでこんなこともできないの」と言われている気がして。そんなわけないのに。足りないことはどんどん増えて、でも自分の成長は全然追いついてなくて、すごく痛いし重たい。

そんなようなことを思い知らされた。

みんなが楽しければいいやと思って、必要なことは自分で全部やるつもりで始めたのに、いつの間にか楽しんでいて欲しかったみんなに苦労をかけている。なんだこれは。何がしたかったんだ私は。


そんなことを考えるのは、今回の題材がはっぴいらんどだったからだ。


ここからが本題。


先日、ぶれえめん.らぼ『はっぴいらんど』が全公演終了しました。

まずはお礼を。ご来場くださった皆様、気にかけてくださったみなさん、ありがとうございました。



私個人としては久しぶりに。ぶれえめん.らぼになってからは初めて、役者を集めてから「何をやるか?」を決める見切り発車企画。ぶれえめんの前身であるひまじん企画時代は、常にこの作り方でした。それがぶれえめん.らぼになり、ある程度テーマを決めてから人を集めるようになって、そのやり方が定着してきたタイミングでの原点回帰。


ひまじん企画時代から、集まったメンバーを見て共通点やテーマを見つけ、顔合わせのときにそれをみんなに投げてみる、みたいなのがお決まりのやり方。今回は、楽器やダンスなど、芝居以外の表現手段を持っている人が多かった。それで「表現すること」そのものをテーマにした演目がいいなあと思ったのが最初。確か、「パフォーマンスを見てハッピーになることを強制される世界」までが、私が持って行った案だった気がする。


顔合わせは、「表現ってどういうことだ。みんなどうして表現(役者)をやっているんだ」みたいなところからスタートした。あんまり詳しく書くと有料パンフレットの内容に入るからアレだけど、今回の戯曲(私のもみづほさんのも)に使われたアイデアは、ほぼこの顔合わせのときに出たものだ。

スケジュールの都合で、2回に渡って行った顔合わせ。2回目は、1回目に参加してなかったメンバーにこの概念を話すことから始まる。みんなの頭に「?」が浮かんでいるのが見える。そりゃそう。いきなりゆで卵の話されてもねえ…会議室ってなにってなるよねえ…。結果、ここで話が膨らみすぎて戯曲に盛り込めなかったネタが大量になってしまい、この時点で続編がほぼ決まっていた。まだ何も始まってないのに。


そして。私とみづほさんは執筆に入る。我ら2人の得意ジャンルが真逆なもので、役者さんの振り分けは少し悩んだ。結果、ぶれえめんによく出ている(私の戯曲に慣れてそうな)人は花香戯曲へ、会話劇のイメージの強い人は石川戯曲へ。もちろんそれだけじゃないけど。イマにヒとコヘ(え)の2人を2人とも石川戯曲にもらったりもした。ぶれえめん初参加の役者さんの振り分けは、ほぼ最初の印象だけで決めたり。最初に誰をどっちの戯曲に入れるかを決めて、執筆に取り掛かった。


執筆期間のことは、正直あんまり覚えていない。これはいつもそうで、自分の書いた台詞や展開とかその狙いを、稽古が始まる頃には忘れている。多分、書く私と演る私は違う人なんだろうな。特に今回は、マジで今思い出せない。どんな気持ちで書いたんだっけか、この戯曲…。確か、ダンサー2人の参加が決まってたからそこを軸に書き始めたのと、楽屋番(パフォーマーなのにステージに立たない)のアイデアが顔合わせのときからあって、後は観客のポジションをどうしても入れたかったんだと思う。なんか、パズルみたいな書き方だったな、今回。手順は思い出せるけどその時の感情が思い出せないぞ。何考えてたんだ?


そんなこんなで戯曲が上がって稽古が始まる。

ぶれえめんはいつもだけど、稽古が波乱だ。色んなバックグラウンドを持つ人達が、選考なしで参加しているんだから。全員の常識が少しずつ違うから、しかも私が引っ張っていくタイプでもなく「みんなで作ろう」とか言っちゃうから。色んな所で難しいことが起こる。スムーズだったとは絶対に言えない。思い出したくもないことだってある。

でもぶれえめんはそれでいいと思っている。上手い役者だけを集めてただクオリティの高い作品を目指すなら、ぶれえめんじゃなくていいし私じゃなくていい。


ここから先は、人によってはすごく嫌な話になると思う。私は言葉を選ばないから、多分エンタメの仕事を軽んじる文章になっていると思う。それが気になる人は読まないで欲しい。

※ものすごくスクロールして次の次のブロックから、公演に関する話に戻ります。



















誤解を招くかも知れないけど、プロはプロでいいと思う。きっちりした運営で役者に集中してやりたい人は、ぶれえめんには向かない。言葉が強くなってしまったけど、それは、申し訳ない話でもある。


少し話が逸れるけれど。私の主宰業を「趣味だね、それは」と言った人がいた。私は確か「ああ、そうかも知れませんね」と答えた。強がりとかスカしてるとかではなくて、本心として。同じ場にいた別の人が「それをあなたが言っちゃうのはどうなの」と言った。

知らねえよ、と思った。だって私にとってこれは遊びだもん。うちの運営が危ういことを指して「お遊びだ」と言った人もいたみたいだけど、こちとら最初っから遊びだと公言している。

でも、この遊びが成功するなら死んでもいいって、いつも本気で思ってる。何がどうなったって、例えば私が再起不能になったって、参加してくれたみんながハッピーならそれは大成功なんだよ。命懸けに近いつもりで遊んでんだよ。

まあ、私が死んだら多分みんなはハッピーじゃないから、成功にはならないんだけどね…。だから命は賭けられないっていう矛盾。難しいね。

でも期せずして、今回のはっぴーらんどのテーマはそこだった。

































はっぴーになることに命を懸ける。はっぴーにすることに命を懸ける。その上、笑顔=はっぴー。なんて乱暴な価値観なんだろう。スタートの世界観は、少々乱暴なほどシンプルな方がわかりやすい。とにかくみんな、笑顔であれ。

だから、ぶれえめんのばかは私でなくちゃいけないんだと思う。

あ、これは役の話。


自分の役から書くのも恥ずかしい気がするけど。

最初は出演する気はなくて、テーマと演目が決まったときに、なんとなく人数的に収まりが悪くて入れた役だった気がする。ばか。

ぶれえめんの演目にはよく登場する、必要悪みたいなポジション。私が書く演目は悪役が登場しない癖に登場人物が酷い目に遭うから、好き勝手に世界を掻き乱す役割が欲しくなる。そうでないと、不幸の説明がつかないというか、納得できなくなってしまうから。たった一つの大きな価値観に突き動かされて、それさえ叶えばオールオッケー。乱暴な、悪役。

ばかの痛みは、誰にも気付かれなければいいのにと思う。誰かがばかに同情してしまったら、みんなの敵ではいられないから。みんなが僕だけを憎んでくれたら、そうしたら、みんなは憎しみ合わなくて済むよね。みたいな感覚だったんだろうなあ。よく分からんけど。だから、誰がなんと言おうとこの役は私なんだ。それこそ、芝居の出来とは別な次元で、絶対誰にも渡せない。エゴエゴしいけど。もっともっと、覚悟が決まればいいな。

はっぴいらんど2でやるかどうかは分からないけど、ばかの過去話や本心も書いてみたいよなあとか思った。



はっぴらんどの住人達は、私から見てもばかから見ても、不器用で下手くそで、人間らしくて面白い。そういえば、今回は人外の役はなかったなあ。人間!って感じの演目だった。



ピエロ。

ステージのパフォーマー。みんなを笑顔にすることが役目。だけど本人は笑わない。みんなの人気者。側から見れば完璧で、だから崩したかったんだよなあ、きっと。


靴音:友香さん

可愛い。もうずっと可愛い。表情が豊かで、その中に笑顔がないのが不思議なくらいに。元々ピエロは無表情のイメージだったから、面白かったのもある。きっと彼女のピエロは、最初に誰かに言われた「涙の少女」を頑張って守ろうとしたのかもしれない。ほんとは、笑いたかったのかもしれない。

友香さんはぶれえめん初参加。稽古序盤は、すごくやりづらかったと思う。演出はわけわかんないことばっか言うし、そもそも戯曲がわけわかんないし。稽古回数も、他のチームと比べて少なかった。その上、芝居の中でのダンサーというよりは、喋らない役者としての位置付け。手探りだらけ。ごめんねえと思いつつ、表情が見えたときは嬉しかった。

やっぱりダンサーなんだなと思ったのは、ダンスのパートが固まってから稽古場での居方が少し変わっていったこと。ずっと不安そうだったのが、楽しそうになったように見えた。表情の変化が増えたのもそのタイミングだったなあ。だから笑顔ダンスのシーンは私の一押しでした。


指先:永久さん

永久さんのピエロは、人形的。美しいとも、格好いいとも言えるけれど。整っている、が正解かな。鋭くて正確で、完璧なパフォーマー、ピエロ。多分、書いていた時のイメージにはすごく近かったと思う。

永久さんもぶれえめん初参加。彼女もダンサーさんで、お芝居はほぼ未経験?かな、確か。永久さんは、動きの中に物語を作るのが上手な人。「台詞に合わせて踊って」というオーダーに対して、明確に言葉からイメージして作ってくれたんだなあというのが分かる。一緒にやってて、それがすごく楽しかった。本番入ってからも、そのシーンはいつもドキドキしながら見てた。「うわあ!合ってる!」みたいな。「台詞ミスったら踊れないですよ笑」って言われたけど。ごめんよう。

永久さんのピエロは多分、純粋に踊るの自体が好きだったんだと思うんだよな。ただ踊ってたかっただけなのに、周りが色々言うから笑えなくなっちゃったみたいな。今思ったけど、ピエロの前日譚とかも書いたら面白いかもなあ。




楽屋番

これは確か、顔合わせの時に出てきた設定。一生楽屋で練習しててステージに上がらない奴とかいたら面白いよね、的な話の流れだった気がする。お話が決まりきる前から漠然と「このキャラクターは出したいなあ」と思っていた。

失敗するのが怖いから、ステージに上がる勇気がなくて、でも観客にもなれない。無理矢理「楽屋番」と名乗って、自分の居場所を確保した。でもそれが最適解じゃないのもどこかで分かっているから、居心地が悪い。エゴの在り方が自分に近くて、勝手にシンパシーを感じてた。


靴音:大石さん

去年の現場でご一緒した縁から、(半ば強引に)今回加わってもらった大石さん。

大石さんの楽屋番は、人間。すごく人間。私の書くキャラクターなんてみんな愚かだと思っているけど、「板の裏の愚か者」は多分、この楽屋番のことだったんだな。こいつには幸せになって欲しいけど、多分この先もたくさん選択を間違えて色々苦労するだろうなあ…という、愛おしいタイプの愚かしさがある。

大石さん本人は、すごく考えるタイプの役者さん。やってみて、考えて、言語化して、またやってみる。誤解を恐れず言えば、教科書みたいな取り組み方をする人だなあと思っていた。こういう人とはダメ出し中の会話が楽しい。私が1言うと、なぜか私の通訳も含めて30くらい返ってくる。その中から「ああ!そういうことです!」と「あ、それは微妙に違うかも」を整理して、擦り合わせる、みたいな作業。相性もあるだろうけど、これできる役者さん意外と少なくて、出会えると楽しいんだよな。

あと、実はめちゃくちゃお茶目な人。靴音チームがみかんチームになったのは、大石さんのせいです。あのシーンあんなに広がると思ってなかったんだから。そして、大石さんの選ぶみかんは本当に甘いぞ。


指先:直人さん

濃い。すごく濃い。なぜこいつがステージに上がらずいられるのか分からん。バチバチすぎて、直人さんの楽屋番はより闇が深い感じがする。でもどこかで「こういう人いるよなあ〜」と思っちゃってる自分もいる。不思議だ。

直人さんは、最初っから愉快な人だった。完全に初めましてだったからどんなお芝居するのかも知らないまま楽屋番をあてたけど、結果成功だったなとは思う。抜くのが上手って言うのか。シリアスなシーンが暗くなりすぎないとか、ちょっとだけ和らげたい所をちゃんと和らげてくれるとか。無垢役の千葉大地との組み合わせもあったと思うけど、私が最も苦手とする「会話」を成立させてくれた役者さんです。

そして、その関係性が結果的に、ラストが重くなりすぎずに終われた要因だった気がする。登場人板の未来を予想させる終わり方。絶望して終わりじゃないよね、みたいな。直人さんの楽屋版は、どこにいっても満足し切らないままのらりくらり生きていくんだろうなあ。




無垢

ステージを描く上で、観客の存在は不可欠だった。癖強のステージ勢の中に絶対必要な「普通」。無垢だけは、何も知らないまま幸せに生きる選択肢もあったと思うんだよなあ。


靴音:ゆで

何をするか分からないタイプの、純粋が故に危ない方の子供。普通の象徴として書いた無垢が、なぜか楽屋番を振り回す感じになった不思議なキャラクター。

ゆでは、ぶれえめん常連。シリアス芝居には絶大な信頼をもってお任せしているけど、日常シーンとか役への解釈は今だに「あ、そう考えるんだ」という発見があって。予想ができないから面白い。彼女は彼女で進化と変化を繰り返しているから、今までがどうで最近こうで、芝居のしかたを変えたんだみたいな話もたまに聞く。ゆでの言語はよく分からないことも多いけど。最近は心と頭半分ずつくらいで芝居を作ってる感じがする。

無垢は、多分だけど得意分野だったかな。ゆでは私の戯曲全般得意分野だから難しい役を振るのが難しいけど。いつか、彼女に超絶苦労させる役を書いてみたいと思うのでした。


指先:千葉大地

当初の想定に比べるとだいぶ年齢高めの無垢。まあ役者の実年齢考えたら当たり前なんだけど。多分この無垢は、頭いいんだろうなあ。オタクだけど、優等生なタイプ。

千葉大地は、ぶれえめんにはあんまり来なかったタイプの役者さん。ナチュラル芝居にかなり寄るというか、ファンタジーな演目をファンタジーにやらない。狙ってたかどうかは知らないけれども。極端なキャラクターではあるはずなのに「こういう奴いるよね」になる。直人さん楽屋番と2人のシーンは、そこだけ会話劇みたいで面白かった。そりゃそうよね、物語の登場人物だって常に激昂してるわけじゃないんだからと。

あとこれは多分本人には言ってないけど、目の綺麗な役者さんでした。眼光が鋭いとかじゃないんだけど、力抜けてる(多分)ときの目が、むしろそっちがいい。あの目はけっこう好きだなあと思っていましたね、そういえば。



ここからは、花香みづほ作品『歌うな踊るな会議室』。

オムニバス的に他の人の戯曲を借りるとかはあったけど、ここまで最初から打ち合わせして同じ世界観で共作するのは初めてだった気がする。この演目は会議室の性質上、はっぴーらんどを外から見たような感覚の会話になった。顔合わせのときに立ち上がったはっぴーらんどの設定をみづほさんから「私にはこう見えるけどなあ」と言われているような。そんな感覚にもなった。みづほさん自身が一歩引いた目線で書いているというか、彼女に参加してもらった意義としては十分すぎるような演目。


吟味

会議室の中ではど真ん中、1番のマジョリティ。『板〜』でいうところの無垢のような、そこにある価値観を信じて疑わないキャラクター。面白くもあり、実は可哀想にも見えていたよ、ばか的には。


靴音:ひかるさん

とにかく一生懸命な吟味。多分、辟易以外には友達いないだろうなあ…。オタク気質がしっかり見え隠れしていたから、それでも本人は楽しいのかもしれないけど、だからこそ天変地異は堪えただろうなあと。

ひかるさんは、本っっっっっっ当に難しい役者さんだった。たくさん考えてくれているのは最初から分かってたけど、それが上手く噛み合わない。私とも、戯曲とも、共演者とも。あと、シンプルに吟味という役がむずい。台詞量といい、つねに主軸にいるポジションといい、なかなかハードルの高い戦いだったと思う。実際、本人も苦労していた。

だけどと言ってはなんだけど、舞台度胸のある人なんだなというのは本番入ってからすごく思った。ただでさえ舞台経験の少ない中、ゲネでもうお客さんが入るという状況。正直心配していたんだけど、ひかるさんは最後までちゃんとやり切っていたから。お芝居も、お客さんが入って生きるタイプなんだなというのはそこで分かった。何がどうあっても、本番に立ち上がるものが全てだからね。


指先:加藤さん

まあ、はまり役だったよね。こっちからしたらつまらないなと思うくらいに(失礼)。加藤さんの吟味は、なんだかんだ知り合いは多そう。向こうは友達だと思ってるけど吟味は思ってない知り合いが。辟易さえ、友達ではないかも知れない。誰とっていうより議論することそのものを重視するタイプ。

加藤さんは、パフォーマー。どんなにシリアスな演目にも笑いのポイントを見出そうとする。そらふざけてOKな演目になったらどうかって、自明ですよ。パフォーマーすぎて、吟味パフォーマー説が浮上してたから。芝居諸々に関しては完全に信頼を置いていたから、加藤さんの吟味は永遠に泳がせてたな。アドリブに「あ、それいいね」って言うと「いや本番ではやらないよ??」って言われたり。なんでやねん。ふざけるレベルが違いすぎて演出にも制御不能なのよ。ぶれえめんだから遊んでくれてるのかも知れんけど。全力でふざけてくれるから、こっちはとても楽しいけれども。

コミカルの話ばっかりになっちゃったけど。加藤さんの芝居は正確。リズムも音も基本的に外さないし、積み上げる稽古がやりやすい。相変わらず、めっちゃ信頼している役者さんでした。



辟易

やばいやつ。場を振り回してるのはこいつだ。基本にこにこしてて楽しそうにとんでもないこと言うから、そりゃあ吟味も怒るよなあ。飄々としてるイメージが強かったから、やっぱり辟易の過去編はやりたいなと思っています。

ばか的には、僕に笑いかけてくれるほぼ唯一の人だったので好きです。


靴音:葵さん

悪気なく言いたいこと言ってるだけなんだよなあ、この辟易は…。憎めないは憎めないけど、デリカシーがないとはこのことかと。多分友達はたくさんいるけど、全員浅い付き合いな気がする。でも、本人はそれでもいいと思ってそうなんだよなあ。いい自由っぷりでした。

葵さんは、なんか変わった。どう動くか分からない面白い役者さんが、いつの間にか頼りになる役者さんになっていた。ダメ出しに通訳要らなくなったし。本人に言われて思い出したけど、私「絶対芝居上手くならないでね(つまんなくならないでね)」って言ってたらしい。なんてこと言うんだ。でも、独特の解釈で爆走する葵さんもまた見てみたいなあ、と…寂しい気がしないでもない。

今回の発見は、葵さんの笑いの芝居はけっこう面白いなと。私が書くとどうしてもシリアスに寄っちゃうからあんまり生かせないけど、花香作品は小さい笑い所が散りばめられてる(私が勝手に増やしたのもある)から、よく光ってた。元々そういうリズム感はある人なのかな。だから、辟易はある意味はまり役だったのかも知れない。


指先:ひーさん

こっちは生きるの下手そう。ひーさんの辟易は、よりパフォーマー時代が垣間見えて「あー多分思い出したくもないんだろうなあ」が分かるから自由にもなりきれてないように見える。意識して「会議室の立ち振る舞い」をしてる感じかなあ。

達者な役者さんだってことは知ってたんだけど、どちらかと言うと自分の解釈が強いタイプだと思ってた。今回は、言うなればチーム戦。加藤さんの吟味に乗っかりつつ場を回すみたいな役回り。みんな言ってたけど、あのアドリブ祭りをよく捌ききったよなあ、と。シリアス芝居しか見たことなかったから、コメディもいけるんだなあとか思った。

辟易は過去とか思想を出す台詞が少ないからコメディに振り切ることもできたと思うんだけど、そこはひーさん。余白というか、痛みを絶妙に見せるところが、なんというか、らしいなあと思った。今は今で楽しいんだろうけど、決して乗り越えてはないんだろうなって感じ。奥行きのある役に仕上げてくれました。



議長

今回の議論のきっかけを作ったキャラクター。よく考えたらやばいやつ。長年隠し通してきた衝動を、自分のタイミングで突然爆発させるタイプ。身近にいたら嫌だよなあとか思ったりもして。

いやいや、可愛げがあって人間らしくて、ばか的にはとっても楽しかったですよ。これからも波瀾万丈、苦労するんだろうなあ、楽しみだなあ。


靴音:琴音さん

可愛い…?まあ、可愛い、か。エネルギーのある議長。誤魔化すのは上手だけど、この議長は完全に子供大人。ステージに行ったら豹変してそうだなあ。生き生きして、突っ走ってそう。

長く一緒にやってきたメンツの中では、琴音さんに1番変化を感じた気がする。唯一ぶれえめんのメンバーだから、もちろん求めることも客演さんとは違ってくるわけだけど。今回は「あ、こんなことできるんだ!じゃあこうしたいな」をたくさん見つけられた気がする。芝居も、ダメ出しもそれ以外の会話の質も、今までとは全然違った。それはお互いの理解度が高まってきたということでもあるし、彼女自身の進化のおかげもあると思う。本人の希望もあって普段あんまり見ない役どころになったけど、ちゃんとよかった。

本当は、琴音さんにも完全に役者に集中してもらえる環境を作りたい。役者として、彼女の色んな顔を見たい。彼女をメンバーにした時から思っていたことは、今も変わってない。でも、これは私の甘えかも知れないけど、我々はゆっくりでいいんだと思う。今回は多分かなり序盤から、意識的に琴音さんに沢山頼って進めた。運営面でも芝居面でも、ぶん投げたことがかなりある。私は人を大事にするのが下手くそだから、迷惑もたくさんかけた。かけた分だけ助けてくれた。だから琴音さんに役者でいてもらうためだけに、しっかりした主宰になりたいと思った。と、言っても過言じゃない。

誰でも見られる所で書くことじゃないけど、我々2人=ぶれえめんは、またちょっとずつ変わっていけたらいいなあと思っている。頑張ろうねえ。

ああ、なんか変な文章になっちゃった。次はどんな役を振ろうか。どんなチャレンジをしようか。そんなことを前向きに考えられる、頼もしいメンバーでした。


指先:せいぽん

ちゃんと大人な議長。よくも悪くも、色々抱え込んだまま歳を重ねたんだなという感じ。もっと若いうちに爆発しておけば、ちょっとはやりやすかったろうに…。こっちの議長は最後もかなり意地悪な感じに書いちゃったから余計に。不器用で、思いっきり叫ぶことも難しくて、だから一歩踏み出した後もたくさん苦労するんだろう。

せいぽんは、ギリギリのギリギリまでよく分からない人だった。初めまして組の中でもより謎。でも最初から、とにかく一生懸命に取り組んでくれているのがよく分かった。曲者揃いの指先チームの中で、よく戦ったなあと(偉そう)。戯曲との戦いもたくさんあったし、演出の中で難しいことも要求した。その分たくさん考えてくれたのも知ってる。それに、最初の企画会議のときからたくさん材料を提供してくれた。演目も決まってない顔合わせの段階で使うか分からない楽器持ってくる人、なかなかいないよ。なんだかんだで愛されキャラになったんじゃないだろうか。本人も議長も。成功して欲しいね、せいぽん議長。





そんなこんなで、久しぶりの大所帯(といってもトリプルじゃなくてダブルなんだけどな…とか言うと怒られそうなので黙っておく)。こうして振り返ると今回はより色んなタイプの人が集まってくれてたんだなあと、改めて思う。そもそも、募集したらたくさん集まりすぎてダブルになったという初めてのパターン。劇場さんにお願いして借りる期間伸ばしてもらったのが、もう半年前かあ…。はっぴいらんどにほぼ全振りした上半期が、気づけば終わっている。

もんのすごく大変だったことは絶対に忘れないけど、やってよかったとは思う。なぜか顔合わせの時点でほぼ確定してたので、はっぴいらんどは続きます。続編なのか別視点の話になるのかはまだ未定だけど、この概念はもっともっと掘り下げたい。少なくとも私は、自分達がやっていることの根っこに触れるテーマだと思っているから。世界観は決まっちゃってるけど、次もまた企画会議からやりたいなあ。役者さんがただの役者に留まらず、みんなからアイデアをもらう作り方は、ぶれえめん.らぼ的に続けていきたいんだよなあ。


とにかく色んな発見(いいことも、課題も)があった公演。忙しいとかじゃなかったのに、振り返るのに1ヶ月もかかってしまった。冒頭は終演直後に書いた文で、この辺は1ヶ月経ってから。と思うと心境の変化がちょっとバレそう。

自分の気持ちも、最近やっとちゃんと終われたような、ここで得たものを少し噛み砕けたような、でも噛み砕いただけで飲み込んではないような、そんな感じ。


ともあれ、ぶれえめん.らぼもはっぴいらんども続きます。お客座もそうだけど、参加してくれる役者さんも、また一緒に遊んでくれるといいな。

ほぼ命懸けの遊び。命を賭けるのは私だけであれと思いながら。でも乗っかってくれる人がいたら超絶はっぴー。矛盾の遊び。


んじゃ、またどこかで。ありがとうございました。