先日、メインブログで二極化の記事を書いた。
思うとおりの人生になっていく人と
望まない人生を送る人。
どうせなら、てか、絶対思うとおりの人生を歩みたいものだけど、
よくよく考えたら、これって今までも言えることなのかな?
と思う。
というのは、
例えば、私の夫は野球観戦が好きで、ソフトバンクホークスの大ファンだ。
シーズンが始まると、毎日中継は見るし、
中継がなかったり、デイゲームの時は、必ずアプリでチェックしている。
そんな夫に影響されて、今では私も一端のホークスファンだが、
常々夫と話していたことがある。
「ヤフオクドームへ観戦行きたいなあ。。。」
(ヤフオクドームは今期からPayPayドームになりました。)
ホークスは常勝チームなので、優勝するたびに、この
「行きたいなあ。」
を言っていたのだが、今思うと、
本当に行けばよかった。
つくづく思う。
行けばよかったのに!
明日、地球が滅亡するとしたら、いったいどうする?
なんて話をよくすると思うが、
今思うことは、この「明日地球が滅亡するとしたら・・・?」
という前提で、もう何事もやったほうがいいんだ、ということ。
私って、とにかくやりたいことを先延ばしにする癖がある。
もう一つ先延ばしにしてきたのが、“麗蘭”というユニットの、京都の磔磔(たくたく)というライブハウスで行われる、年末恒例のライブだ。
「いつか絶対に行きたい!」
って思っていた。
でも、いつか、って、いつ?
行けばよかったのに!
なんだかんだ、なんだかんだ理屈をつけて行かなかった。
遠いから。
お金ないから。
お金ないのに行くっていったら、家族に嫌な顔されるかもしれないから。
家空けたら、猫たちが・・・
(にゃんずよ、お前たちのせいにしてごめん・・・)
だから、そんなことばっかりしてきたから、何一つ思い通りになっていない。
・・・いや何一つってのは言いすぎで、思い立ったら吉日とばかりに動いたことって、山あり谷ありでもなんとか思うとおりになっている。
もしかしたら、ライブとかスポーツ観戦とか、もうできなくなるかもしれない。
そりゃ、オンラインでできるかもしれない。
でも、その場所ならではの、その空間だから味わえる何かっていうのが必ずある。
ライブハウスだったら、その空間独特のにおいだったり、目には見えない“気”だったり、
それこそ、何年にも渡って、その場所でパフォーマンスをしてきた、ミュージシャンたちや観客の放ったオーラが、染み付いていて、
そして、その時だからこそ起こるグルーブ感だとか、
そういったものひっくるめて、ライブだと思うのだ。
ホークスが勝ったときの、PayPayドームの打ち上げ花火だって、その場じゃないと意味がない。
そういうのって、オンラインなんちゃらでは、絶対味わえない贅沢だと思う。
明日なにがおこるか分からない、と思って生きたら、
どうにかして思いをとげる方法を考えるだろう。
今までもそうだったんだろうけど、
これからはもっと、
やりたいことをやる覚悟って、いるんだろうな。
そんな気がする。
明日やろうはバカ野郎。
いつやるの?今でしょ!
いつかやる、の いつ は 絶対来ない。
よもよも考えてる暇があったら、やる方向で動いてみよう!
※よもよも=讃岐弁。“さっさと” “早く” という意味。