鞍山のことやら(2025/10/07)途中~ | ノモンハン事件

鞍山のことやら(2025/10/07)途中~

これまでほとんど、このブログは使ってなかったが、この度、母の住んだ鞍山関係の調査で判明したことなど、速報的なネタをこちらに書いて行こうと考えた。

 

この10年ほどノモンハン関係メインの更新は止まったままで、ネタの更新は長年の懸案となっている。というのも、ノモンハン関係メインの更新にはHTML編集が必要なので、非常に手間でじゃまくさい。とはいっても、全く何もしてないわけでもなく、細々と調査は続いている。父や父の同級生が目撃した、玄海灘沖で米軍航空機の攻撃にて撃沈した貨物船の名が判明したり、母の住んだ鞍山市の地図を入手したり…これらの一部はTwitter(現X)に投稿しているものの、投稿の系統立てた管理は難しい。(Xの特性上、アカウントも長期間、消されずに保存されるようである)TwitterやFaceboockに投稿したものを、こちらにまとめても良いなと考えた次第。

 

さて、第一回目として、戦後80年の今年の夏に読んだ3冊の書籍を紹介する。

  「えっちゃんの戦争」 「1945、わたしの満州脱出記」 「たった独りの引き揚げ隊」(8月購入)

購入のきっかけは、7月にコープこうべの映画会で「えっちゃんの戦争」を視聴したことがスタートになっている。

 

これらの書籍は、読んでみるとわかるのだが、ある点において微妙に連続し合っている。著者の立場、年齢は全く異なるものの、多くの在満邦人がそうであったように、彼らは一様に昭和20~21年にかけてハルビンや新京に留め置かれたのだった。


 

かたや、母の一家は満州で暮らしていたものの、鞍山の昭和製鋼所に勤めていた祖父が昭和18年に亡くなったため、早々と、昭和18年の4月に郷里の佐賀・三養基郡へ引き揚げてきた。一番上の伯母(母の姉)だけは昭和19年3月の女学校卒業まで居残って、卒業と同時に引き揚げている。このため、母の一家は満州引き揚げの苦労を知らない。一方、祖母(母の母)方の伯父一家は、7名中3名(共に幼子)を満州で亡くしている。

 

母は、当時、父(私の祖父)が亡くなっていなければ、私は中国に置き去りになっていただろう…と言っている。が、そうだろうか?長年、細々と調べた結果だが、鞍山市は戦争終盤に米軍からの空襲などを受けたものの(伯母から空襲の話は聞かなかった)邦人は全員引き揚げ完了している…との記述を資料で見たことがある(※)鞍山から邦人引き揚げの拠点となった葫芦島まで約200km。歩けば大変な距離だが、新京に留め置かれた他の引揚者に比べれば1/5程度の距離である。

(※国会図書館にて鞍山市の記録的な書籍。鞍山市は終戦後、入れ替わりでソ連軍、国民党軍、共産党軍が進駐し、国民党軍と共産党軍とで激しい市街戦があったという)

 

「えっちゃんの戦争」
ハルビン在住。ハルビン市内でのソ連兵による強奪、暴行、虐殺を目の当たりにする。
21年夏、ハルビンの収容所から引き揚げ。

「1945、わたしの満州脱出記」
北安在住。北安での騒乱。強奪、暴行、虐殺を目の当たりにする
21年8月まで新京の空き家に滞留(片目を失明)
昭和21年9月28日、博多港着



「たった独りの引き揚げ隊」
ハイラル在住。ハイラルでの騒乱(犯罪は囚人兵によるとの記述。ウクライナでのワーグナー部隊と同様ということ)
ハルビンの親戚宅にて滞留。
21年8月独りで引揚げ開始。
単独・徒歩にて徘徊。
昭和21年12月23日、博多港着

 

 

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