自転車関連のノンフィクションと言ったらかつては

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく (講談社文庫)/講談社

¥823
Amazon.co.jp

これであったわけだが、ランス・アームストロングがダークヒーローとなってしまった今では断然こちらに軍配が上がる。というかこの物語にあるのは「真実」というものすごい力なので通り一遍の優等生的なものいいに終始した前者からはないありありとした息遣いを感じ取れる。読みながらこれがノンフィクションであるということをしばしば忘れた。

シークレット・レース―ツール・ド・フランスの知られざる内幕 (小学館文庫)/小学館

¥957
Amazon.co.jp

しかし、前者にも「シークレット・レース」で浮き彫りになるランスの過剰なまでの攻撃性と言うのは実は隠し切れないほど強く脈打っていて、「シークレット・レース」を読んだあとだとその欺瞞も含めて面白いくらいの表裏一体をなしている世にも稀な種類のノンフィクション群となっているので、どちらも未読の方はもちろん両方、そして片方しか読んでいないという方はぜひもう片方も読んでランス・アームストロングがどのような人間だったのか、ということをその目で確認してみてほしいと思う。ここから立ち上がってくるのはガンから生還した聖者が転落していく堕落の物語ではなく、もともと彼の中にあった強い攻撃性が彼自身をガンから救い、同時にツールでの(手段を選ばない)勝利をももぎ取ったという、ある側面では良きものとなるものが別の側面では悪しきものになるという人間自身の中にあるある意味では哲学的な物語である。

そして最終的にはその過剰な攻撃性(=強さ、とよいように呼び替えてもいい)がランス自身を破滅に追いやった。だが、彼にその強さがもしなかったらあれほどのアグレッシブな闘病生活に果たして生き残ることがそもそもできただろうか?・・・と考え始めると自転車ロードレースのドーピングの闇の中にさらに深く沈んでいる人間そのものの闇が見えるような気がしてくるのである。そこで疑問。人間の良きものと悪しきものとの分水嶺は一体どこにあり、ひとはいつそれを越えてしまうのだろう?

その疑問に対するもう一つの事例はこちら。
ブレイキング・バッド SEASON 1 - COMPLETE BOX [DVD]/ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

¥8,208
Amazon.co.jp

この物語の主人公である冴えない中年教師は余命2年とのガン宣告を受け、覚せい剤の密造に手を染めて自分亡き後の家族が経済的に困ることのないように手を尽くそうとするわけだが、その手段が合法であるかどうかはさておいて、自分の死後の家族のためにという動機には共感できる。しかしこの物語が恐ろしいのは、その動機がやがて目的ではなく手段化し、彼が覚せい剤の密造や販売ルートの確保・麻薬カルテルのボスとの抗争・権力を思うままにふるうこと自体に生きがいを感じていく様にある。最初は心から多分言っていた「家族のために」という言葉が最後にはただのうつろなお題目になっていた。彼は一体いつ分水嶺を超えたのか?ぜひこれも自分の目で見て確認してみてほしい。

人は簡単に分水嶺を踏み越えてしまうものだ。それはただの偶然、たまたまあった何かというだけで起こるのかもしれない。あるいはじわじわと水位を増してある日突然洪水になるのかも。あるときにはこの上ない長所であるあなたの性格の一部が次の瞬間にはあなたを破滅に追いやるのかも。いずれにせよ言えることは、人は自分からは自由になれないということ。ただそれらと折り合って生きていく方法を見つけることが我々自身を救うのだ。