かくかくしかじか 3 (愛蔵版コミックス)/集英社

¥780
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巻を重ねるにつれて「先生」がもういないということがひしひしと伝わってきて、いつ破局が訪れるのかどきどきしながらどうしても読むのをやめられないマンガである。正直、毎回泣いている。今のところ東村アキコの最高傑作ではないだろうか。

「テンパリスト」で培ったギャグエッセイの手法と彼女が愛読してきた少女マンガのメソッドを上手く昇華させてそのどちらでもない自伝的フィクションを作りあげたなあ、と思う。東村アキコは少女マンガ家として珍しいくらいプレゼンテーションの手法にこだわった人だ。プレゼンテーションの手法というのは、ここでは小説における「文体」のようなものである。どれだけ作者の訴える内容が素晴らしかったとしても、それを読ませる見せ方=プレゼンテーションがなければ内容など全く頭に入ってこないものだが、彼女はマンガのページをめくらせる技術に非常に長けている。

先生との思い出をメロウに語りながら叙情だけに流れることもなく、途中できっちり息を抜かせる笑いをはさみながら、最終的には胸を締めつけるような痛みを読者にもたらしている。笑いが笑えるだけに切なく、カラーじゃないけど宮崎の素晴らしく青い空と豊かな緑が見えるのだ。

そしてこの物語の主題である「絵を描くこと」。
ありとあらゆる表現を志す者・または生業にしている者にとって、何かを「表現すること」の苦しさとその才能の欠如とを認めることは矜持を傷つけるものだが、東村アキコは正直である。描くことは苦しいと言ってのける。そう、表現は苦しい。こんなへっぽこブログの駄文でさえ、書くのが苦しい時がある。だが、どうしても書きたいことがあるから何はさておき投稿してしまう。仕事だろうとそうでなかろうと、表現者とはつまるところその自覚を持った瞬間からそう「なる」のだと思う。

今、「かくかくしかじか」の3巻ではアキコがマンガ家としてデビューしたところで終わっているが、今後、この「表現は苦しい、だが描きたい、描かなければならない」という思いがどのような結果を生むのか興味深く見守りたいと思う。きっと、ある種の魚が泳ぎ続けていなければ生きていられないように、表現者は作品を描き続けてしまうのだろう。それが彼らが生きのびるための唯一の手段であり、また目的だから。先生とアキコは表現媒体こそ異なるものの、同心円上の違う道を選んだのだろうと思っている。

最後にはきっと東村アキコの油絵大作が見られるんだろう、と期待してやまない。