宮藤官九郎も松尾スズキもいとうせいこうもケラリーノ・サンドロヴィッチも好きだし、渡辺えりも永井愛も好きなのだが、群を抜いて好きなのは三谷幸喜だ。彼の作る作品にはどれもベタな日本的な感覚から乖離した非日常感がある。大河ドラマでさえ、日本的なものから距離があった。

(私の新選組イメージはあの大河ドラマであまりにも強烈に染み付いてしまっているので、他の新選組モノにはイマイチ食指が動かない。新選組キャストを未だにあの当時のイメージで見てしまう弊害も併発している。半沢直樹で堺雅人と小林隆が共演していると、あ、山南さんと源さんだ、と今でも反射的に思う)


その三谷幸喜が自作についてインタビュー形式で語るファンとしてはたまらなく読みでのある本。





三谷幸喜 創作を語る/講談社



¥1,050

Amazon.co.jp


この人の書くものは本質的に怖くて救いがない。ハートウォーミングと評されるけどとんでもない。


コメディは悲劇の中に内包されている。その表現の一つが笑いなのだと思う。


それをシリアスに描くことも三谷幸喜ならあるいは出来るのかもしれないけど、彼はそうしない。あえて笑わせる。笑いを見せる。しかし、特に芝居において三谷幸喜作品の幕切れはいつもシビアで重たく、ハッピーエンドを迎えない。


それがしんどくないのは幕切れの演出を幸せだった一時のように見せて観客を錯覚させるためで、見終わった後の後味は必ずしも悪くない。だが、よくよく考えると決して登場人物は幸せになっていない。





ものを作る人間の冷たさみたいなものが三谷幸喜にはあると思う。一見口当たりのいいものを見せるだけに余計そのギャップが際立っているというべきか。でもそれは劇団時代の「12人~」、「ラヂオ~」「ショウ・マスト・ゴーオン」から既に出ていた。



という文脈から「清須会議」を振り返ってみると、誰も幸せにならない不穏な幕切れというあの映画の終わり方やものすごく鮮やかな色彩設計とかが腑に落ちる。三谷幸喜は多分彼のやりたいハリウッド黄金期的な手法で時代劇映画を撮ってみたかったのかなあとか。

「清須会議」は大ヒットはしない映画だと思うけど、時間が経てば経つほどそのすごさみたいなものが染み透ってくる映画なのではないだろうか。やっぱり彼は今転換点にあると思う。



同時代でその作品に触れられて嬉しい劇作家・映画監督である三谷幸喜。

個人的にはぜひ朝ドラを書いてもらいたいと思っている。

「あまちゃん」見ながら思っていたのは、何故三谷幸喜は朝ドラを書かんのだという憤慨であった。