最近ヘリコプターを始められた方は何処の国の誰が最初にラジコンヘリを
飛ばしたのか知らないと思います。
貴重な映像を見つけたので紹介したいと思います。
飛ぶといっても一瞬浮いただけの人は他にもいますが
コントロールして離陸し上空を飛び回りホバリングらしき事をやって
無事に着陸させた最初の人はドイツのシュリューター氏です。
1968年頃の事です。
当時はインターネットも無かったので我々が始めてラジコンヘリが
飛んだのを知ったのは1969年でF3Aの世界選手権の時に
シュリューター氏がデモフライトを行った時でした。
この時の機体はヒューイコブラで胴体から3つの車輪が
大きく飛び出した形の物です。画像はありませんが
当時ラジコン技術を見てとうとう飛んだのかと思ったのを覚えています。
その2年後1971年のF3Aの世界選手権の時に再びデモフライトをしましたが
その時も同じヒューイコブラでありながら脚がスキッドになり洗練されています。

この号はF3Aの世界選手権が
メインになるのですが表紙が
シュリューター氏のデモフライトに
なるくらい皆の注目が集まって
いました。
この後シュリューター氏はRCヘリのメーカーになり、そのヘリをカルト産業が
輸入販売してから日本のRCヘリの時代が始まりますが
それに付いてはまた後で書きます。
さてシュリューター氏の映像です。下の物は3作有る中のPart3です。
Part1と2も是非見てください。
信頼のおけない4チャンネルしか無い無線機を使いジャイロ無しで
これだけ飛ばしたのですから感心するばかりです。
拾って来た文章を貼っておきます。
飛ばしたのか知らないと思います。
貴重な映像を見つけたので紹介したいと思います。
飛ぶといっても一瞬浮いただけの人は他にもいますが
コントロールして離陸し上空を飛び回りホバリングらしき事をやって
無事に着陸させた最初の人はドイツのシュリューター氏です。
1968年頃の事です。
当時はインターネットも無かったので我々が始めてラジコンヘリが
飛んだのを知ったのは1969年でF3Aの世界選手権の時に
シュリューター氏がデモフライトを行った時でした。
この時の機体はヒューイコブラで胴体から3つの車輪が
大きく飛び出した形の物です。画像はありませんが
当時ラジコン技術を見てとうとう飛んだのかと思ったのを覚えています。
その2年後1971年のF3Aの世界選手権の時に再びデモフライトをしましたが
その時も同じヒューイコブラでありながら脚がスキッドになり洗練されています。

この号はF3Aの世界選手権が
メインになるのですが表紙が
シュリューター氏のデモフライトに
なるくらい皆の注目が集まって
いました。
この後シュリューター氏はRCヘリのメーカーになり、そのヘリをカルト産業が
輸入販売してから日本のRCヘリの時代が始まりますが
それに付いてはまた後で書きます。
さてシュリューター氏の映像です。下の物は3作有る中のPart3です。
Part1と2も是非見てください。
信頼のおけない4チャンネルしか無い無線機を使いジャイロ無しで
これだけ飛ばしたのですから感心するばかりです。
拾って来た文章を貼っておきます。
★ RCヘリ創世期の状況
ラジコンでヘリを飛ばそうとする試みは世界各国でこの数年前から行われており、ヨーロッパでは1968年に西ドイツでのRCヘリコプターの飛行競技会がおこなわれ、D.シュルーター氏が3秒間の飛行をして優勝し、2年後の1970年の競技会では30分間飛行して水平飛行から直径20~30メートルの旋回をして優勝しました。さらにシュルーター氏は当時ドイツのRC装置メーカーのシンプロップ社オーナーのB.クラウス氏が懸賞金(当時の日本円で約200~300万円程度)を懸けていたRCヘリの条件である、ホバーリング、前進、後進、左右、旋回にも成功しました。ちなみにそれまでのRCヘリの飛行記録は、アメリカのバーカム氏が持つ6秒間でしたからシュルーター氏の凄さは想像を絶するものでした。
ちなみにシュルーター氏のヘリのエンジンはスーパータイガー71(2CYC)、メインローターはヒラー式スタビライザー付固定ピッチ、テールローターのジャイロは無く総重量は8~9Kg程度でした。
当時わが国でもRCヘリを研究していた人がおり、広島の藤山進也氏と相模RCの藤巻章平氏でしたが両者とも完全なフライトのできるレベルにまでは到達していなかったようです。