今日と言う日が来ると、八年前の、もう少し前の日を思い出す。
震災とは関係無く居なくなってしまったあの人は、もう少し長く生きていたら、震災に涙し、尽力しただろうと。
どうして、居なくならねばならなかったのだろう。
毎年、あの人の命日に、私は心が騒ぎ、また、震災の日が来ると思い出さずに居られない。
震災の被害を思い出すとともに、あの人の事を思い、自分に出来たことは無かったのかと、何年経っても後悔している。
帰宅して、洗濯物をたたみながら、そんな思いを巡らせていた。
ちびさんのパンツ、パジャマ、タオル…小さかったちびさんも、もうかなり大きくなったなぁ。
ゆりちゃんのパジャマ。
思い返すと辛くとも、ゆりちゃんが傍に居てくれる。
そう思うと、ゆりちゃんのパジャマすら愛しくて、抱き締めてしまう。
ゆりちゃんのものを、ひとつひとつたたんでいると、気持ちが落ち着いて、幸せな気持ちになっていた。
ここには、ゆりちゃんが居る。
私の頭に心に体に。
あの人の顔を思い出すなら、笑顔を思い出そう。
苦しそうな顔、泣いている顔、辛そうな顔、今まで、そんな顔を思い出しては、申し訳無い気持ちで居た。
でも、そうじゃなくて、あの人の幸せそうな顔を思い出すほうが、あの人への餞になるのではないか。
そんな事を考えさせてくれる、ゆりちゃんの洗濯物が愛しい。