Yuzuru Hanyu 24TV Every Preview 23082019
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— ぴの (@__pino_____) 2019年8月23日
ちょっと、待ちなさい!
フィギュアを習う姉と一緒に来ると、リンク外を走り回る。山田が「そんなにうるさいのならやってみる?」と言うと、羽生はスケート靴を履いた。初めての子はそーっと氷に乗り、座位から転んで氷に慣れる。しかし、羽生は違った。「こんなに怖がらない子は見たことがなかった」
自分見つめる研究ノート
あまりにも言ったことを覚えていないので、山田は「日記をつけなさい。注意されてできなかったことを記しなさい」と助言した。それが、羽生が「研究ノート」と呼び、要所で書き続けてきたメモだ。羽生はこう話す。「小学校2年生くらいですかね。毎日の練習の記録をつけなさい、と言われたところから始まっています。適当に、何を考えたかをわーっと書いている」 練習後、夜寝る前、ひらめいた時にジャンプの跳び方やその際の手の動きを記す。練習リンクに持ち込んで試し、自分に合う跳び方を見つけていった。
原石は託された
SPIN THE DREAM - 羽生結弦 - 夢をつむぐ 2018平昌オリンピック(冬季五輪):朝日新聞デジタル https://t.co/3u0o9nzYJ4
— 後藤太輔 taisuke goto (@gototaisuke) 2017年12月24日
<羽生ヒストリー(1)>
14年ソチ五輪フィギュアスケート男子金メダルで来年の平昌五輪で連覇を狙う羽生結弦(22=ANA)は現代最高のスケーターといわれる。「羽生ヒストリー」では、幼少期から世界を代表する選手になるまでの成長をたどる。(敬称略)
99年、4歳の春。羽生は、仙台市泉区の自宅から歩いてすぐの「泉DOSCアイスアリーナ(現アイスリンク仙台)」で、初めて氷の上に立った。おかっぱ頭にヘルメット。細い体に肘当てと膝当てをつけ、リンクサイドから大きく助走をつけて、リンクへと突っ込んでいった。
地元で指導に当たっていた山田真実元コーチ(43)が「ちょっと待って!」と言う間もなく、そのまま氷の上へ。走って数歩で、頭から豪快に転んだ。フィギュアスケートを始める子どもには、氷への恐怖感を持たせないため、最初は四つんばいでリンクに入れ、ゆっくり立ち上がらせる。それでも、転べば「怖い」という感覚が生まれるのが普通だ。山田コーチは「結弦には、それが最初からなかった」と振り返る。羽生は頭から転んだ後もすぐに立ち上がり、何もなかったように、約10分間、よちよち走り続けた。
先に4歳上の姉が競技を始め、母に連れられリンクに来ていたのが、きっかけだった。黙って見ていられず、リンク脇で走り回っていた。植木鉢を倒したり、他の子にちょっかいを出したり…。最初は、試しで遊びのように滑っていたが、すぐに非凡な才能を見せる。ある日、1回転アクセル(1回転半)のやり方を教わると、その場ですぐに回ってみせた。技術を即座に理解し、再現できる頭と体が既に備わっていた。
初めて宮城県大会に出場したのは5歳の時。試合で1分間のプログラム「草競馬」を滑り始めると、ロックミュージシャンのように、頭を上下に振り続け、自分の世界に没頭した。スピンなどの振り付けはすっぽり抜けたが、最後の決めポーズだけは、ばっちり。「見せる」意識も自然と身についていた。
8歳の時、地元北海道に戻った山田コーチと入れ替わりに教わることとなったのが、日本男子初の世界選手権メダリスト佐野稔を育てた名コーチ、都築章一郎(79)。羽生に世界の扉が、開き始めた。【高場泉穂】(つづく)
<誕生~小学生>
1994年(平6)12月7日 宮城県仙台市に生まれる
1999年(平11) フィギュアスケートを始める。山田真実コーチに師事
2001年(平13) 七北田小に入学
2002年(平14) 都築章一郎コーチに師事
平昌(ピョンチャン)五輪フィギュアスケート男子で66年ぶりに連覇を達成した羽生結弦(24)=ANA=が、20日に開幕する世界選手権(さいたま市)で再び頂点をめざす。偉業を達成してもなお、挑戦を続ける原点は何なのか。恩師たちの言葉から、羽生の少年時代を振り返る。
昨年11月の夕方だった。アイスリンク仙台の入り口から、学校帰りの子どもたちが「こんにちは」と元気よく入ってきた。
羽生が五輪で金メダルを獲得したときの新聞記事や、直筆のメッセージなどが飾られている。「どんな試合でも全力で滑る!!」(2014年)、「平昌オリンピックで金メダルを取る!」(17年)と書かれた短冊もあった。
支配人の在家正樹(48)は小さいころの羽生を知る。「人なつっこくて、スタッフとよくじゃれ合っていた。いつも大きな声で『ありがとうございます』と、きちんとあいさつができる子だった」。ジャンプを失敗しても何度も跳び続ける姿が、印象に残っているという。
その羽生が初めてリンクに立ったのは、4歳のころだった。姉のスケート教室に付き添う母に連れられてきた。リンクサイドで遊んでいると、山田真実(45)が声をかけた。「スケート、やってみない」
羽生はスケート靴を履いた。床…
16日に行われたフィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)で、羽生結弦(23)=ANA=がトップに立った。昨年11月に痛めた右足首の影響を感じさせない圧巻の演技に、かつての指導者たちは驚きと喜びの声をあげた。17日のフリーで、2大会連続となる金メダルに挑む。
「緊張してるんだな」。小学2年生まで仙台市でコーチを務めた山田真実さん(44)は、リンクに滑り出す羽生をテレビで見て感じた。「彼らしい自由な感じがない。一個でも失敗しちゃいけないみたいな感じ」
それでも、次々とジャンプを決める。着氷の後、両方の拳を握りしめた。「思うようにいっているんだ」。山田さんの心配は、安心に変わった。
指導を始めたころ、羽生はリンク外をドタバタと走り、練習を始めても10分ほどで飽きてどこかに行ってしまった。「やんちゃで、最初の1年くらいはレッスンにならなかった」
ただ、ジャンプの吸収力は高かった。他の子が1年かかる1回転半ジャンプを1日で跳んだ。難しいことをやるときほど食いつきがいい。2回転ジャンプが未完成のとき、あえて2回転半に挑戦させた。
そのころから頭や手足を思い切って振り、全身で何かを表現しようとしていた。観客を喜ばせる方法を知っているようだった。「どこからその自信が出てくるのかと思うほど『自分はできる』と思い込んでいた」という。
SPを終えた羽生は、表情を緩め、両手をたたいてファンの声援に応えた。
山田さんの後、仙台で羽生を中学まで指導した都築章一郎さん(80)はそんな様子にホッとした。「いい状態で演技できた。自分のイメージ通りに体をうまくコントロールしていた」
羽生は当時からリンク外でよくイメージトレーニングをしていたという。「けがで氷に上がれないときにも取り組んでいたのだろう。だから、ブランクを乗り越えられた」とみる。
17日のフリーで、2014年のソチ大会に続く連覇を狙う。「重圧のなか(ショートプログラムを)やりきった。人間的な大きさ、心の成長が最も大きい。ブランクによるスタミナ不足は集中力で補ってほしい」(後藤太輔、西村奈緒美、高浜行人)
朝日新聞デジタル
「結弦くんから先生に届いたもの」 https://t.co/AKGGhuT5gt
— Cazru ᓚᘏᗢ (@corszk1220) 2019年8月23日









































