いつも陰から | 紡ぐ~羽小箱~

紡ぐ~羽小箱~

お立ち寄りくださりありがとうございます。

羽生結弦選手を応援しています。
彼からいただくギフトを小箱に詰めてます。

普段、知ることのないお話でした
 
 

中条整骨院‏ @nakajouseikotsu

かなり遅くなりましたが、6/9の菊地先生の平昌オリンピックの活動報告とソチからの苦悩、選手が1番知っている!

  

 
 
 

 

残念ながら、リンク先は削除されてしまったようです

 

 

 

 

 

東北未来人
 
 
 
 
 
怪我の絶えない彼を
小学3年生の時から診ていると
紹介されていました
 
 
 
それからずっと
体のケアを
 
身の回りのお世話や
 
 
見守るだけかと思いきや
見事、キャッチできて

 

 
喜んでる彼に
GJ!とかね
 
 
 
こんなこともありましたっけ
 
!!!! 
 
放送事故かのような
生放送での
突然の!イキナリの!事態に

列島が揺れ(たと思う)

騒然となった

 
 
あー!待って!もう少しだけ ←必死
慌てることなく
ナイスカバー✧*。
 
時に体を張って
守ってくれる
 
 
しかしながら
 
動画 もあります!
 
 
引きアングルのためか、気が付けず
ご本人が気が付くという、ね
 
 
きゃっ!
なんて言ったかは分かりませんが、
オトメか
 
 
 
体のケア・サポートはモチロンのこと
 
異国の地での
母国語での会話は
安心できて
精神的にも支えられているはず
 
 
 
いつも陰から
穏やかな顔で
支えてくださる存在
 
 
 
 
初めての公式練習
どんな想いだったのか…
 
 
 
 
会心の演技
最後のステップを見守っていた時は
どうだったのだろうか…
 
 
 
 
フリー前、
リンク脇でいつものように見守りながらも
 
演技前、祈るような手の動きが
一瞬だけ映っていました
 
 
 
 
この時は…
 
 
 
動画(2015NHK杯)
動画 (NHK)
動画(2018OP)
 
 
 
 
「その11回のジャンプのためだけに
僕たちは何十年もスケート人生をかけているので」

かつて、そう語っていた彼は
 
そのためだけに
たった1人で
広いリンクに挑んでいくけど
 
みんなの声援、サポート
応援の力に後押しされて
 
苦しかったこと
たくさんの練習
数えきれないとほどの心が折れそうなこと
覚えきれないほどの挫折感を感じて
 
幾度となく乗り越えようとしてきた
 
支えてくれた人のためにも
 
その中の一人の
大切な人
 
 
リンクで最高のパフォーマンスができるよう
いつも陰から支えてくださる存在
 
 
 
いつも陰から支え
共に戦い続けてきた
 
 
金メダルをかけてあげて微笑む
彼と
 
金メダルをかけてもらい
いつもと同じように
穏やかに微笑んでいる人
 
 
 

>大会が終わっても気の休まることは有りませんでした。

胸を張って歩きたい〜お粗末(爆笑)

 

笑ってらっしゃるけど

ソチからの4年間は
大変なものだったのだと
思い知らされました
 
でも、全ての努力が報われました
 
 
 
若と若にお仕え、お守りする爺や、みたいだと、
いつもコッソリ思ってますw
 
 
苦しい時、辛い時
喜びも、悲しみも
ずっと共に支え続けてきてくださり
ありがとうございます
これからもどうぞよろしくお願いします
 
これからは、
もっと、心穏やかに過ごせますようにと
願わずにはいられません
 
普段、触れられることのない、お話でした

 

 
 
2018.7.12  【 追記 】
 
 
 
2018.7.30  【 追記 】
 
ソチオリンピック、金メダル確定直後に菊地さんの元へ
 
 
その時のことを思い出すと今でも涙が出るといいます
 
彼の青春時代スケートに費やして勝ち取ったメダルですから、感動と感激と感謝
この言葉しかないんです
 
 
 
 
2018.8.20  【 追記 】

 

羽生結弦専属トレーナー秘話「立つのがやっと」で掴んだ平昌金

 

静まり返ったアイスリンクにショパンのピアノ曲『バラード第1番ト短調』が厳かに流れてくる。2月16日、江陵アイスアリーナ。平昌五輪の舞台に、羽生結弦選手(23)は帰ってきた。前年11月の負傷以来、約3カ月ぶりのぶっつけ本番の試合である。

 

ショートプログラム(以下SP)。もの悲しい主旋律に乗って、羽生は流れるように滑り出す。力みのない美しいジャンプ、ステップ。ラストのスピンの回転が止まるころには会場中が総立ちだ。万雷の拍手のなか、観客が投げ入れるぬいぐるみの“プーさんの黄色い雨”がアイスリンクに降り注いだ。

 

リンクサイドにいた菊地晃さん(62)の目から大粒の涙があふれ出して、止まらなくなった。

 

「号泣ですよ。あれだけのケガをして、よく痛みに耐えて演技をした。その姿に感激してしまった」

 

今、そう話す目も潤んでいる。そして、「ちょっとごめんなさいね。思い出すだけで泣いてしまうんです」と恥ずかしそうに、頭をかいた。

 

菊地さんは、羽生の専属トレーナーとして、平昌五輪に帯同。試合直前、痛みが出ないようにと祈りを込めて、羽生の足首にテーピングを施してきた。

 

「普通なら立っているのもやっとの状態。絶対に痛いはずなんです。テーピングで痛みが抑えられるわけではありません。靱帯はボロボロ。それをガッチリ固定して、物理的に動かなくするだけです。そんな状態で、あの演技です。ここまでやれる選手に育ってくれたことも、すごくうれしくて……」

 

五輪はもちろん、世界選手権やグランプリ(以下GP)シリーズで、羽生に付き添う菊地さんの姿は、やけに目につく。失礼ながら、見た目は普通のおじさんだ。スーツやジャケット姿の多いフィギュア関係者のなかで、白髪のオールバックで、ジャージ姿の菊地さんに「誰? このおじさんは」と思う人は多かったことだろう。

 

ふだんの菊地さんは、仙台市にある「寺岡接骨院きくち」の院長。接骨院には、羽生の専属トレーナーであることを喧伝するような装飾はない。唯一、羽生との関わりをうかがわせるのは、施術所のいちばん奥にあるベッド脇の壁に貼られた、羽生とスタッフが一緒に写った集合写真だけ。

 

「初めて結弦がここに来たのは小学校2年から3年に上がるころ。近所で練習をしていて、思いっきり足首を捻挫して、お父さんにおんぶされてきました」

 

そんな出会いから15年余。菊地さんは、羽生の活躍を陰で支え続けてきた。

 

「アップで、体のブレを直し、キレを調整して、試合に送り出す。とはいっても、これだ! と、満足してリンクに送り出したことは、数えるほどしかありません」

 

’15年、世界最高得点322.40を記録したNHK杯と、それを更新し、330.43をたたき出したGPファイナルの2回だけだという。’17-’18年の五輪シーズン。菊地さんは9月のオータムクラシックを前に、羽生に呼ばれた。

 

「その時点で、結弦の足はボロボロでした。五輪2連覇を目指すプレッシャーで、夏場に追い込んで、体を酷使したんでしょう。膝関節がかなり傷んでいました」

 

オータムクラシックで、羽生はSPの世界最高記録を更新したが、11月のNHK杯公式練習で、4回転ルッツを跳んで転倒。右足関節外側靱帯を損傷してしまう。ケガの治療とリハビリに入った羽生と、菊地さんが次に会ったのは、平昌五輪のホテルの部屋だ。

 

「足首はどうだ?」と、菊地さんが聞くと、羽生は「いてぇ」と、おどけてみせた。

 

「初日の結弦は落ち着いていましたが、2日、3日とたつと、だんだんカーッと高揚し始めたんです。五輪に合わせて、ピークを持ってこられていることが、テーピングをしていても伝わってきました」

 

3カ月もの間、試合を離れていた羽生。しかし、感覚はかえって鋭くなっていたと菊地さんは言う。毎朝のテーピングも一発で決まった。ソチのときとは全然、違って落ち着いていた。羽生も、そして菊地さん自身も。

 

SPでの完璧な演技に涙した菊地さんは、感動の余韻に浸る暇もなく、リンク表面を製氷車が削った削りカスを集めた。羽生は、アイシングのとき、ブロック氷のゴツゴツ感を嫌うため、シャーベット状の削りカスを使う。

 

「試合後にアイシングをしている選手は、フィギュアの会場ではあまりいません。でも、大事なこと。負傷部位の冷却で、一時的に血流を悪くさせ、氷を外すことで一気に負傷部位に血流を流すためです」

 

羽生はショートが終わった後、報道各社の取材を受けている。その合間に急いでアイシングを施す。

 

「もうショートの感動もありません。金メダルかも、という思いもありません。とにかく“痛みが出るな、痛みが出るな”と思いながらアイシングに集中しました」

 

フリー演技前の羽生は、どこか吹っ切れたように見えたと言う。リンクの中央に向かう羽生の背中に、菊地さんは「大丈夫だ。一つ一つ丁寧にやれ」と声をかけた。

 

結果は——。冒頭のジャンプで完璧な滑り出しを見せた羽生は、2位に10点以上の差を付けて、五輪2連覇を果たす。フィギュア男子では、66年ぶりの快挙だった。

 

7月15日、菊地さんは、全日本一輪車競技大会の会場にいた。羽生のトレーナーだけでなく、5年前から、岩手県遠野町の「遠野一輪車クラブ」のトレーナーも務めている。選手を送り出すときの菊地さんの笑顔が温かい。笑顔とともに、菊地さんは選手にこんな言葉をかける。

 

「勝ったらお前の努力。負けたら俺の責任だ。思い切ってやってこい!」

 

羽生にもそう言い続けてきた。トレーナーとしての手腕もさることながら、菊地さんのいちばんの武器は、この懐ろの深さではないだろうか。その象徴である笑顔を見ると、不安が消える。選手は持てる力を最大限、発揮できる。

 

そのことをいちばんよく知っているのは羽生のはずだ。それでも菊地さんは言い張った。

 

「いや、すごいのは結弦です。結弦が素晴らしいんです!」

 

あと1カ月で’18-’19年シーズンが始まる。羽生の王者の舞いは、どんな進化を見せるのか。

 

女性自身

 
 
 
 
師弟関係15年・専属トレーナー初めて語る羽生結弦からの「SOS」

 

菊地晃さん(62)は、羽生結弦選手(23)の幼いころからいつもそばにいた。長年、心と体の微妙な不調を読み解くうちに、平昌五輪前には1ミリ単位のズレを調整できるようになった。常にギリギリまで自分を追い込み、ケガのリスクと闘ってきた羽生。菊地さんは彼の不安を打ち消し、リンクで思う存分跳ぶために欠かせない存在になった——。

 

2度目の金メダルから約半年。頂点を目指し、ともに歩んできた知られざる師弟関係を初めて語る。

 

菊地さんは、羽生の専属トレーナーとして、平昌五輪に帯同。試合直前、痛みが出ないようにと祈りを込めて、羽生の足首にテーピングを施してきた。

 

五輪はもちろん、世界選手権やグランプリ(以下GP)シリーズで、羽生に付き添う菊地さんの姿は、やけに目につく。失礼ながら、見た目は普通のおじさんだ。スーツやジャケット姿の多いフィギュア関係者のなかで、白髪のオールバックで、ジャージ姿の菊地さんに「誰? このおじさんは」と思う人は多かったことだろう。

 

ふだんの菊地さんは、仙台市にある「寺岡接骨院きくち」の院長。接骨院には、羽生の専属トレーナーであることを喧伝するような装飾はない。唯一、羽生との関わりをうかがわせるのは、施術所のいちばん奥にあるベッド脇の壁に貼られた、羽生とスタッフが一緒に写った集合写真だけ。

 

「初めて結弦がここに来たのは小学校2年から3年に上がるころ。近所で練習をしていて、思いっきり足首を捻挫して、お父さんにおんぶされてきました」

 

そんな出会いから15年余。菊地さんは、羽生の活躍を陰で支え続けてきた。

 

ソチ五輪シーズンを終えたとき、菊地さんは羽生にこう言われた。

 

「日本の大会ではお世話になるけど、海外では、あっちの(カナダの)先生に見てもらっていい?」

 

ところが、’14年11月、上海でのGPシリーズ中国大会を1週間後に控えて、菊地さんの携帯にLINEメッセージが届いた。羽生からだった。

 

《先生、どうしよう》

《なんだ?》

《あのね、先生。上海に来られない?》

《ほかの先生が帯同するんじゃなかったのか?》

《う〜ん、あのね……足首やっちゃった。先生、来て、治療してくれない?》

 

「この言い方が、アイツのかわいいところなんです。本音は『ふざけんなよ、今ごろ』ですけどね」

 

悪ぶってみせる菊地さんだが、実際は、専属トレーナーを離れていた期間も、羽生に適したアップを模索し続けていたのだった。中国大会以降も、菊地さんは「チーム結弦」のメンバーとして献身的なサポートを続けることになる。

 

大会に何度も帯同するうちに、ジャンプを踏み切る瞬間で、羽生の調子がわかるようになった。

 

「いいときの結弦のジャンプは、真っすぐ上に跳びますが、調子が悪いと、ジャンプに入る足の角度がバラバラです。その微妙な違いを修正できるかは、本人の問題。でも、その違いを見極めることが、トレーナーには重要なんです」

 

テーピングも、その日の演技に大きく影響する。

 

「だから、僕は部屋に入ったときから、結弦の様子を見ていきます」

 

「先生、いつもありがとう」と答える羽生は、平常モード。黙っているときは、何か問題がある。テーピングしていても、「もう少し上、もう少し強く」と、注文が多い。しかも、ミリ単位の違いを羽生は感じているという。

 

「もう少し上、といっても1ミリくらいの違いです。すごい感覚をしていますよ。試合ごとに、結弦の感度はどんどん高くなっていきました。あれだけ練習しているわけですから、体が万全ということはありません。だから、僕の仕事は、結弦が足の先まで自分で思い描いた感覚に近づけるために、テーピングで修正することです」

 

的確なテーピングができるのは、8歳のころからその足に触り続けた菊地さんだからだろう。

 

’17-’18年の五輪シーズン。菊地さんは9月のオータムクラシックを前に、羽生に呼ばれた。

 

「その時点で、結弦の足はボロボロでした。五輪2連覇を目指すプレッシャーで、夏場に追い込んで、体を酷使したんでしょう。膝関節がかなり傷んでいました」

 

オータムクラシックで、羽生はSPの世界最高記録を更新したが、11月のNHK杯公式練習で、4回転ルッツを跳んで転倒。右足関節外側靱帯を損傷してしまう。ケガの治療とリハビリに入った羽生と、菊地さんが次に会ったのは、平昌五輪のホテルの部屋だ。

 

「初日の結弦は落ち着いていましたが、2日、3日とたつと、だんだんカーッと高揚し始めたんです。五輪に合わせて、ピークを持ってこられていることが、テーピングをしていても伝わってきました」

 

3カ月もの間、試合を離れていた羽生。しかし、感覚はかえって鋭くなっていたと菊地さんは言う。毎朝のテーピングも一発で決まった。

 

SPでの完璧な演技に涙した菊地さんは、感動の余韻に浸る暇もなく、羽生が報道各社の取材を受けている合間に急いでアイシングを施した。

 

「もうショートの感動もありません。金メダルかも、という思いもありません。とにかく“痛みが出るな、痛みが出るな”と思いながらアイシングに集中しました」

 

フリー演技前の羽生は、どこか吹っ切れたように見えたと言う。

 

結果は——。冒頭のジャンプで完璧な滑り出しを見せた羽生は、2位に10点以上の差を付けて、五輪2連覇を果たす。フィギュア男子では、66年ぶりの快挙だった。

 

平昌五輪後の羽生は世界選手権を断念。治療に励んだが、羽生フィーバーは盛り上がる一方だった。

 

4月22日には、故郷仙台でオリンピック連覇を祝う凱旋祝賀パレードが開催され、ソチ五輪時を上回る、10万8000人が沿道に詰めかけ、祝福した。菊地さんは、そのパレードには行っていない。

 

「あいつが日にちを教えてくれなかったから、お母ちゃんとの旅行の予定を入れてしまいました(笑)」

 

五輪後に送ったメールも、いまだ羽生からの返信はない。

 

「いつもそうです。僕がメールすると、しばらくして空いた時間に返ってくる。1か月後だったり、3カ月後だったり。返信がなくても試合会場で会って『先生ゴメン。メールありがとう』と。僕もどんなメールを送ったか、忘れていますけどね。それでいいんです」

 

7月2日、総理官邸で、羽生に国民栄誉賞が授与された。23歳での受賞は史上最年少となる。それでも、菊地さんにとっての彼は、8歳のときから変わらない。

 

「あいつが金メダリストであろうが、国民栄誉賞を受賞しようが、結弦は結弦です」

 

女性自身

 
 
2018.12.9  【 追記 】

 

<内容紹介>
羽生結弦選手を小学生時代から支え続けた、仙台にある整骨院「寺岡接骨院きくち」の院長・菊地晃氏。出会いは小学3年生の頃。父親に連れられて接骨院を訪れた羽生少年は、著者が毎週日曜夜に近所の体育館で行っている「体幹トレーニング教室」に通い始める。その後、国際大会、さらにはオリンピックにも羽生結弦の専属トレーナーとして帯同。ウォーミングアップの指導や体のケア、メンタルケアまで行う。
本書では、ウォーミングアップ、リカバリー法、本番までのピークの持っていき方、体幹トレーニングなど、帯同のエピソードを交えつつ「日曜夜のトレーニング」でいまも教えているメソッドを紹介。ビジネスパーソンや女性でも、体力づくりや疲労回復に活用していただける一冊。

<目次>
第1章 日曜夜の体幹トレーニング
第2章 国際大会への帯同
第3章 専属トレーナーの仕事術
第4章 五輪2連覇へ
第5章 心を整え、緊張と向き合う
第6章 体の声を聴く

 

残念ながら発売延期となってしまいました