自分が死ぬことよりも身近な人が亡くなる事の方が怖い




このように思う方は多いと思います




その悲しみに耐えられない




自分だけではなく、他の身内が悲しみに暮れているのを見るのも耐えられない




兄の余命宣告が残り1ヶ月を切った今、私の中でそんな恐怖が時折り襲ってくるのです




私は今まで祖父母を看取った事はありますが、それは小学生や中学生、20歳くらいの頃で



それから近しい身内を看取った事がありません



兄の事を考えれば考えるほど苦しくて思い詰めてしまう



どうしたらこの感情から抜け出せるのか




私は死後の世界について色々な情報を集めました




前にも兄が末期ガンと知らされた時も、同じように死後はどうなるのか調べまくりました

なので内容は少し被るかもしれません




私自身は無宗教ですし、スピリチュアル的な事は信じたい時だけ信じるタイプ




そんな私が自分自身を落ち着かせるために、私なりに解釈をしてみました





死んだらどうなるのか?




無になる…と思っていましたがどうやら身体は死んでも魂は生きているそうです




例えるなら体は車、運転手が魂




車が大破して壊れても、運転手は生き残ってるみたいな




あの世では階級制になっており、それはこの世でいう地位や名誉ではなく魂がどれほど成長したか



悪い行いをした人は下の階級、良い人は上の階級みたいな



何を持って良い人・悪い人とするかは、例えば人を殺した人がいます。みな同じ下の階級に行くかといえば違う。

その人が快楽殺人かやむを得ない殺人だったかにもよる、みたいな感じで。



同じようなレベルの魂が同じ所に集められるので、自分が振り分けられた所には同じような人しかいないのでかなり平和なのではないだろうか



そう思えば、ある意味こちらの世界が修行であの世が主体



だって魂レベルが合わない人と一緒に生活したり、仕事をするのって本当に苦痛だと思うんですよね

こっちの身がかなり削られてしまうし生気を吸い取られてしまう




そう、この他人の生気を吸い取って長生きする人達を私は今まで大勢見てきた




なんであんないい人が早く死んで、あの憎たらしい人が長生きするの?みたいなのもよくある話し。




この世が修行なら、良い人はそれをもう終えたのではないだろうか?




それか、もうこれ以上は苦しまなくていいからこっちにおいでと守護霊やご先祖様に呼ばれたのではないだろうか?




病気になる少し前の兄は長年勤めた会社の上司から理不尽にキツく当たられていたらしい




後になってそれを聞いた私は、なんて可哀想なんだ。

それじゃあんまりじゃないかと思った。




でも、それと同時に今はこうして会社を休職し、傷病手当をもらいながら家族に金銭的な心配をさせずに長く一緒に穏やかな時間を過ごす事が出来ている。




もちろん、抗がん剤治療や度重なる手術で身体へのダメージはあるものの、幸い兄は痛みに強くあまり苦痛を感じていないらしい。

また末期がんだからと悲観的にならず、毎日家族との時間を有意義に過ごしている。



もし兄が病気にならなかったら、今でもあの会社で毎日上司にこき使われながらキツイ仕事を強いられて過労死で家族との時間も持てず、自分の思いを伝えることもできないままあの世に行っていたかもしれない。




兄がガンになったと聞いた時は、自分がガンと分かった時よりもショックが大きかった。

でもそう考えると悪い事ばかりでは決してない!




今の状態が兄にとっては必要だったのではないだろうか



それが皮肉な事に病気だとしても…



この世で、ゆっくり家族と向き合う時間を取ろうと思っても海外のように長期休暇や体制が整っているわけでもなく



結局はこのような形になる人が多いのではないだろうか




そこで、なぜ自分だけが不幸なんだ‼️とか、自分だけが損してるとかネガティブにとり悲観して自死してしまうなんてもったいない。



兄を見ているとそう思う。




最後の最後まで、病気と戦いながら家族に愛されて楽しく過ごしている。




兄は元々怖がりだった。




そんな兄が今のこの状況でこれほど心穏やかに過ごしてるなんてちょっと不思議だったのだけど




それにも理由がちゃんとあった





長くなるので分けます