どうも、しょうだいです。
寒くなってきましたね。
でも夏という季節にどこか爽やかさを感じるように、冬という季節にもどこか温もりを感じられるから季節っていいですよね。
単なる天候だけでなく、そこに付随する暮らしが感じさせてくれるもの。それら全てを引っ括めて季節なんだなと思いますねーとかなんとか何が言いたいのか分からなくなってきましたのでこの辺で(笑)
かなり唐突ですが、皆さんは嫌いな人っていますでしょうか?僕は苦手な人はいても、嫌いな人というのはあまりいないです。腹が立ったり馬が合わない人っていうのは当然いるんですが、それはあくまで行動や言動に対してであって、その人自体が嫌いだということはほとんど無いです。
なので騒々しい学生ノリを絶やさない所謂ウェーイ系という人種や唯我独尊なオラついたDQN(ドキュン:ざっくり言うとアホの意)、ゲラゲラうるさいギャルも嫌いと言えば嫌いなんですが彼等は苦手という意味での嫌いに入ります。
高圧的にこちらを攻撃したり批判したりしてくるような人も、だいぶ苦手ではありますが感情がストレートな分ある意味潔く、人として嫌いになるということは余程でもなければありません。
大抵においてそのような他人を攻撃せずにはいられない人ほど、自らもまた苦しい状況にあるものです。
単なる性格の違い、境遇の違い、考えの違い。その違いを受け入れることで済むのならば苦手ではあっても嫌いな人間というのはそう存在し得ないものだと思います。
ただ、僕にもどうしても受け入れ難い、嫌いだと言える人間がいます。
それは、自分と異なる人間を認めないばかりか自分と異なる人間を平気で嘲笑うことができる人間です。
先にあげたように人間には性格も境遇も考えも違い隔たりがあって当然、然るべきだと思います。能力だって一人一人異なります。
知らないこと、出来ないことがあって当然だと思うんです。
それだけにまるで小中学生のように自分が出来ること、知っていることを鼻にかけ、他人が出来ないこと、知らないことを平気で嘲笑うことができる大人が嫌で仕方ありません。
自分と違う他人を認めることが出来ない、までは良いんです。他人の痛みがわからない、までは良いんです。
誰にだって認められない時や程度はあるし、痛みがわからないならわかろうとすればいい。
良くなろうとすることができるじゃないですか。
けれど、明確な意志をもって自分との差異を相違を、嘲笑うという明確な行為でもって軽侮することができてしまう人間が僕は世界で一番嫌いです。
無理解の先に待っているのは無理解です。
こちらから理解を示さなければ相手の理解は得られません。
こちらから受け入れなければ相手からも受け入れられません。
元来人間はそういう生き物なのだということを、僕は肌で実感してきました。
だからこそ、無理解には理解で応じられればみんな幸せなはずなんです。
立ち向かう強さよりも堪える強さよりも受け容れる強さを持っていたい。
強さとは優しさだ、というのがこれまでの人生で培った僕なりの信念です。
しかし、正直いって理解なんて示したくない、という気持ちになる時も勿論あります。頭でいくら鎮めても心に何も感じずにいられるほど人間は便利には出来ていない。
そんなとき、優しいとはどういうことなのか、受け容れるとはどういうことなのか、感情ってなんなのか、良く解らなくなってしまいます。
単にまだまだ自分の許容力が低いのか、それが人間だから仕方ないのか、過敏になっているのか……。
ついこの間もそんな状況に陥った時がありました。
その時は「立場が立場な奴から過敏になっている時に過敏になっている所をクリティカルヒットで侮辱された為」という結論に達したのですが…(笑)
頭を冷やそうと外で飲んでいたエナジードリンクの缶を思い出したようにバキバキと中身ごと握り潰すくらい腹が立ったのは久しぶりでした。
何が言いたいかまとまらなくなってしまいましたが、要は本当に皆さん、相手を理解しようという気持ちを忘れないでください。 全世界は無理だとしても、少なくともあなたの周りの世界はそれで少し平和になるはずですから(笑)
ささやかなお願いでございます。
しょうだいでした。
寒くなってきましたね。
でも夏という季節にどこか爽やかさを感じるように、冬という季節にもどこか温もりを感じられるから季節っていいですよね。
単なる天候だけでなく、そこに付随する暮らしが感じさせてくれるもの。それら全てを引っ括めて季節なんだなと思いますねーとかなんとか何が言いたいのか分からなくなってきましたのでこの辺で(笑)
かなり唐突ですが、皆さんは嫌いな人っていますでしょうか?僕は苦手な人はいても、嫌いな人というのはあまりいないです。腹が立ったり馬が合わない人っていうのは当然いるんですが、それはあくまで行動や言動に対してであって、その人自体が嫌いだということはほとんど無いです。
なので騒々しい学生ノリを絶やさない所謂ウェーイ系という人種や唯我独尊なオラついたDQN(ドキュン:ざっくり言うとアホの意)、ゲラゲラうるさいギャルも嫌いと言えば嫌いなんですが彼等は苦手という意味での嫌いに入ります。
高圧的にこちらを攻撃したり批判したりしてくるような人も、だいぶ苦手ではありますが感情がストレートな分ある意味潔く、人として嫌いになるということは余程でもなければありません。
大抵においてそのような他人を攻撃せずにはいられない人ほど、自らもまた苦しい状況にあるものです。
単なる性格の違い、境遇の違い、考えの違い。その違いを受け入れることで済むのならば苦手ではあっても嫌いな人間というのはそう存在し得ないものだと思います。
ただ、僕にもどうしても受け入れ難い、嫌いだと言える人間がいます。
それは、自分と異なる人間を認めないばかりか自分と異なる人間を平気で嘲笑うことができる人間です。
先にあげたように人間には性格も境遇も考えも違い隔たりがあって当然、然るべきだと思います。能力だって一人一人異なります。
知らないこと、出来ないことがあって当然だと思うんです。
それだけにまるで小中学生のように自分が出来ること、知っていることを鼻にかけ、他人が出来ないこと、知らないことを平気で嘲笑うことができる大人が嫌で仕方ありません。
自分と違う他人を認めることが出来ない、までは良いんです。他人の痛みがわからない、までは良いんです。
誰にだって認められない時や程度はあるし、痛みがわからないならわかろうとすればいい。
良くなろうとすることができるじゃないですか。
けれど、明確な意志をもって自分との差異を相違を、嘲笑うという明確な行為でもって軽侮することができてしまう人間が僕は世界で一番嫌いです。
無理解の先に待っているのは無理解です。
こちらから理解を示さなければ相手の理解は得られません。
こちらから受け入れなければ相手からも受け入れられません。
元来人間はそういう生き物なのだということを、僕は肌で実感してきました。
だからこそ、無理解には理解で応じられればみんな幸せなはずなんです。
立ち向かう強さよりも堪える強さよりも受け容れる強さを持っていたい。
強さとは優しさだ、というのがこれまでの人生で培った僕なりの信念です。
しかし、正直いって理解なんて示したくない、という気持ちになる時も勿論あります。頭でいくら鎮めても心に何も感じずにいられるほど人間は便利には出来ていない。
そんなとき、優しいとはどういうことなのか、受け容れるとはどういうことなのか、感情ってなんなのか、良く解らなくなってしまいます。
単にまだまだ自分の許容力が低いのか、それが人間だから仕方ないのか、過敏になっているのか……。
ついこの間もそんな状況に陥った時がありました。
その時は「立場が立場な奴から過敏になっている時に過敏になっている所をクリティカルヒットで侮辱された為」という結論に達したのですが…(笑)
頭を冷やそうと外で飲んでいたエナジードリンクの缶を思い出したようにバキバキと中身ごと握り潰すくらい腹が立ったのは久しぶりでした。
何が言いたいかまとまらなくなってしまいましたが、要は本当に皆さん、相手を理解しようという気持ちを忘れないでください。 全世界は無理だとしても、少なくともあなたの周りの世界はそれで少し平和になるはずですから(笑)
ささやかなお願いでございます。
しょうだいでした。