しばらくぶりに過ごす家族とは、ほとんど会話も無かった。
母親は何かを察していたのだろう。無理に話しかけることも無く、ただ当たり障りの無いように接してくれた。
何も新しいことをはじめようという気が起きなかった。
新しいことを始めるということは、新しいつながりができるということ。
それはいつか無くなるものであり、傷つくこともあるということ。
ならばいっそ何も始めなければいいのではないか。
ずっとそればかりを考えていた。
ただ、ずっと家に閉じこもっていては、精神どころか体も腐りそうだった。
幸い、久しぶり街に帰ってきたということもあり、友達や知り合いからの誘いは多く、外との繋がりはかろうじて守られていた。昼過ぎまで寝て、夕方に出かけて、明け方に帰る。そんな毎日を過ごしていた。
そんなある日、一人の女からメールが来た。昔どこかのクラブで知り合った風俗嬢だ。
女は一見、風俗嬢だとは思えぬ容姿だった。
肩まで伸びた黒髪は、とても美しく、大きな切れ長の瞳は何もかもを見透かされてしまいそうだった。
凛とした雰囲気を纏い、どこかの会社の秘書のようなたたずまいだった。
その風俗嬢には子供がいた。その子供があまりに可愛くて、何度かその女の家に遊びに行ったことがあった。
「暇してるなら遊びに来なよ。娘も前よりしゃべれるようになったよ。」
久しぶりに会うその子に、ちょっとしたお土産を準備し、街に帰ってきてから初めて、心を躍らせて出かけた。
一年程ぶりに会ったその子は、すっかり俺のことを忘れていたらしく、しばらくはよそよそしかった。
一時間もすれば、すぐに懐いてきたのだが、その間、女とは大した話はしなかった。
子供が遊びつかれて寝てしまった後、俺たちはようやく話し始めた。
「しかし久しぶりだね。しかし・・・あれだね。。。 何かあったね、君。」
この女はとにかく鋭い。そして、その容姿で突っ込まれると隠し事ができない。
「あ・・・うん。」
「ま、そうだよね。君、さっきからあからさまに私の目見ないもんね。わっかりやすいな、ほんと。」
そういうと女は額に手を当て、下を向いた。俺はからは、少し笑った口が見えた。母性なのか色気なのか、よくわかなかったが、とても暖かな何かに包まれた気がした。
「別に何があったか話したくないなら、話さなくていい。てか話さなくていいよ。
今まで他の誰かに話して楽になったでしょ。無理に話して思い出すこと無い。
それに、例えば私が私の苦労話したって、何もいいことないでしょ。
その嫌な思い出は無かったことにすればいい。ちっちゃいけれど、このアパートは外の世界から遮断されたと思いな。外で元気に過ごせるようになるための、リハビリステーションね。」
「精神と時の部屋みたいな?」
「いや、そんなカッコよくしないで。リハビリステーションがダサく聞こえる。」
悔しそうな顔をしながら、少し笑った後、女は続けた。
「ま、のんびりしようよ。明日死ぬわけじゃないんだし。」
その後は、何を話したかは思い出せない。ただ、とても気持ちが穏やかだった。
しばらくすると、子供が起きてきた。時間は夕方近くになっていた。
「お腹減ってるでしょ?何か作ってみんなで食べよう。」
3人で近所のスーパーに出かけ、あれを買おう、これを買おうとやっているだけで、なぜかとても満たされ気分になった。まるで自分の家族を持ったようだった。
夕飯を作り、食卓を囲み、テレビを見ながらすごす時間は、たまらなく居心地が良くて、それまで付きまとっていた沈んだ気持ちも、どっかにいってしまっていた。
まるでいつもそうであるかのように、子供とお風呂に入り、3人で同じベッドに入り、何も考えることも無く眠りにつくと、気づくば次の朝だった。
子供の保育園の準備を手伝い、朝ごはんを食べていると、
「いたけりゃ好きなだけいればいいよ。一生いられたら困るけど、ちょっとだったら君を食わせていけるくらい余裕はある。」
断る理由は無かった。ただここにいたいという気持ちはあった。自分の気持ちに素直になることにした。
人に甘えてばかりの俺は、今回で最後だと決めて、女の優しさにお世話になることにした。
俺は何も女のことを知らなかった。
その時もまだ、風俗嬢を続けているのか、どこで働いているのか、子供の親、女の親、女が生まれた場所、女の苗字すらも知らなかった。
女も俺のことは何一つ知らない。
ただ、何を考えているかはわかるようだ。
それだけでよかった。
その距離感が、とても優しく、居心地がよかった。
たまに着替えを取りに実家に帰ることもあったが、しばらく女の家に住み着いた。
朝起きて、朝ごはんとお弁当を二つ作り、二人を送り出す。掃除や洗濯をして一日を過ごし、夕方二人が帰る頃には、夕飯を作り3人で食事をする。送り出すのも、帰りを待つのも、他愛の無いことで笑うのも、欠けた心の一部を埋めていくようだった。
女とは何も無かった。
手をつなぐことはあったが、それだけだった。
それ以上踏み入ったらいけないと思っていた。
そこから先に行けば、この幸せは終わるものだと感じていた。
ある日、女はひどく落ち込んだ様子で帰ってきた。
子供に心配かけさせまいと、普段通りに振舞ってはいたが、ふとした瞬間にひどく塞ぎこんだ顔を見せた。
夜も更け、子供を寝かしつけようとすると、その子は
「ママに優しくしてあげて。」
と言った。
子供も気づいていたようだ。
寝付いたのを確認した後、リビングで一人ビールを飲む女の隣に座った。
何も言わず、手を握り、頭を撫でた。女が俺にしてくれたように、ただ優しい気持ちになってもらおうと。女ほど上手くできるとは思わなかったが。
気づくと女は泣いていた。
子供に聞こえないようにしたのだろう。声を押し殺して、ただただ泣いていた。
何も聞かなかった。
聞けなかった。
何も無い俺が、何をできるか検討もつかなかった。
女も何も話さなかった。
何時間そうしていただろうか、しばらくすると女は顔を上げた。
「だめだね、私。しかっりしないとね。」
「十分だよ。君は俺ができないことをやれてる。俺がいつ君のように強くなれるか想像すらできないよ。俺が君の支えになれることは少ないけど、こうやっているだけで君の気持ちが落ち着くなら、いつまでだってこうさせてもらいたい。ただ、ちょっと体制は変えさせて・・・・。 なんか横っ腹が痛くなってきた。」
そうやって笑うと、女も笑った。
その顔がたまらなく愛おしかった。
その日二人はキスをした。
優しく、なんだか笑顔になってしまう、そんなキスだった。
それからしばらく忘れていた、心も体もゆっくりと満たされる、そんなsexをした。
人を愛す喜びってのを思い出させてくれた。
その日はそのまま、幸せな気分で眠りについた。
途中目が覚めて、女の顔見ると、とても幸せそうな寝顔をしていた。
同じように幸せな気持ちで満たさせているのだろうなとわかって、とても嬉しかった。
次の朝、それは最後の朝だった。
わかっていたことだった。
俺が人を愛せるという事は、俺のリハビリが終わったって事だった。
そして女にとっては、女が俺に頼るということは、それ以上を求めてしまう始まりだった。
女は最後まで何も話さなかった。
ただ、女はそのしがらみが嫌だったのだろう。
俺と同じように、何かで傷つき、人を好きになることに怯えていたのだろう。
人を好きになれば、好きだからこそ、もっと好きになろうと求める物が多くなる。
俺には何も無かった。
女はそれを知っていた。
女は自分が、俺に何かを求めてしまうであろう気持ちを、うまくコントロールできないと悟っていたのであろう。
一ヶ月暮らして、最後に女の気持ちをやっとわかれた気がした。
「さて。一人でちゃんと歩けるようになったようだし、そろそろ出て行っていただこうかしら。」
また、色気と母性が入り混じった笑顔で、テーブルの向こうから話しかけてきた。
「はい。長い間大変お世話になりました。このご恩は一生忘れません。ワタクシが独り立ちをした際には必ず、いや、必ず・・・・。」
「ながーい!! もう戻ってくんなよ。 でも私が将来孤独死しそうだったら、死ぬまで面倒見てね。」
「うん。もちろん。一緒の老人ホームに入ろう。」
子供は何のことかわかっていなかったが、最後も笑顔に包まれた食卓だった。
気づくともう、4月が終わりかけていた。
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あとがき
それから数ヶ月、お互いに連絡を取ることは無かったが、ある日女からメールが来た。
彼氏ができたそうだ。一緒に送られてきた写真には彼氏と一緒の満面の笑みの女が写っていた。
久しぶりにたまらなく会いたくなった。だから、こっちから誘ってみた。
「太陽の下で、お茶でも飲みながら、ぐーたらお話したいっす。」
久しぶりに会った女は、相変わらず綺麗だった。
そしてもっと優しい笑顔をしていた。
あの後、突然俺がいなくなったことで、毎日泣いて大変だったらしい。
子供はずっと女が俺を追い出したと思っているようで、今はもう落ち着いたが、しばらくは口もきいてくれなかったらしい。
そして俺は、どうしても気にかかっていたことを尋ねてみた。
なぜ、俺を出て行かせたか。
やんわりとはわかっていたのだが、確証が欲しかった。
「あのですね。どうしても、最後の答えあわせがしたいのですが。」
「絶対くるとおもったよ。いいよ、話してごらん。」
俺は彼女が好きになることに怯えていたこと。気持ちがコントロールできなくなるということが怖かったんだろうということ。それから、何も無い俺にたよっちゃいけないって思ったんだろうということ。
それをさらっと話してみた。
「うん。気持ち悪い。一ヶ月でわかった気になるよ!!ちょっとだけ当たってる。 なんかね直感で『あ。こいつヒモになるかも』って思ったんだ。それが一番大きい。」
人の気持ちってのは良くわからない。
ただ、人の優しさってのは何物にも変えられない。
それをこの不思議な笑顔の女は教えてくれた。
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