そんなこんなで、小学校4年生の10歳頃から、少しずつ自分の気持ちに我慢をするようになり、精神的な我慢の癖が付くと自分の素直な心の声に耳を傾けなくなり、母や人のことばかりの声に耳を傾ける人になってしまい、自分のことなど後回しは当然な感覚でした。
毒親と心の底から気づいた時は、長い年月を経て、大人になってから。(数年前です
)完全なる毒親だった。と自分で認識できた時は、言葉で表せれないほどの絶望感に襲われ1人で大泣きしました。
大事な10代、20代の時期を本当に無駄にしてしまった…
これは、母が私の話を最後まで聞いてくれず、否定的な発言ばかりで、何一つ私の気持ちに寄り添ってくれなかったことが原因だったと思います。
すぐに顔と態度に出る母に対して、子どもながらに不機嫌になったことを察知して、本当は、ありのまま話したいけど母の顔色がおかしい。と思うと話をすり替えたりして、母にとっての正解と思う言葉を常に選んで話すようになってしまい…
今思うと、私の育った家庭は、機能不全家族でした。そのことに要約気づいたのは、今から8年くらい前だったと思います。(気付くのが遅すぎたことに後悔してもしきれません
)
それくらい、家庭の中の当たり前の呪縛は恐ろしいものだと思いました。
とにかく母がヒステリックで、自分にとって心配することを極度に嫌い、自分にとって思い通りにいかないと、相手を自分の気がすむまで責めて最後は無視をする。という生活が30歳過ぎまで続きました。
けれど、母は外から見れば良い母でした。
PTAの役員をしたり、料理は得意だったので、色々と手作りしたり、しっかり者の優しい母。として周りの人たちからは思われていました。
ここまでの話で、読んでくださっている方はお気づきだと思います![]()
そうです!
私の母は、紛れもなく『毒親』だったのです。
今の時代は、毒親とはどんな親なのか調べればすぐに出てきますが、私の育った学生時代は、そんな言葉はこの世に存在していないくらいで、むしろ、親を悪く言うことはよくない。親に感謝できない子どもは親不孝。みたいな風潮が強かったです。
中学の時、父が経営していた会社が倒産寸前になり、母もパートに出て働き出したので、食器洗い、洗濯、お風呂掃除など、休日は私がやるのが当たり前になりました。
仕事で疲れ果てている母は、常に不機嫌MAX![]()
父には、3時間前後、愚痴の嵐。長い時は、3時間なんて超えていつまで続くの?!と言うくらい、愚痴と罵声。父はその間、下を向いて何も言わず、ずっと黙っていました。
私は、その空気が怖いので部屋に閉じこもっていました。母は、些細なことで不機嫌になると、態度に出まくるので、気を使うのが私の役目でした。
私が悪くなくても謝り、許してもらえず罵声を浴びせられ無視をされるのは日常茶飯事。
中学2年生の時、休日で家にいただけなのに、
『お前の顔を見るとイライラする!』と言われた時は、崖から突き落とされた気持ちになりました。
高校進学の時も、自分で高校は選べず母の言いなり。相変わらずひどいことをたくさん言われました。
中学よりも高校と、成長すればするほど、母は、よりヒステリックになり、母の地雷を踏むと、無視と罵声と説教は、どんどんエスカレート。
高校生の時は、次の日、学校があっても、母の納得がいかない事があると、朝方まで説教が続き、夜が明けてきて鳥の声がチュンチュン聞こえてくる時もありました。尋問ってこんな感じなんやろな…と思いながら、反論しても私や父の話を聞かない母は、余計にヒステリックになり説教が長くなるので、自分の意見なんて諦めるしかありませんでした。
そして、決まって『お前のせいでこんな時間になった!私の体がまた疲れ果ててしまった!どうしてくれる?!』と最後の最後まで責め続けられました。
なので、寝不足のまま通学することも多々ありました![]()
人のせいにする母は、家の中ではよく人のことも悪く言っていました。
私を無視しているときは、兄達にはわざとらしいくらい優しく、気付かれないように私だけを無視するので、家族の誰も私が無視されている事に気づいていませんでした。完全な陰湿なイジメですね…
けど、それが当たり前の家で育つと、そんな事にも気づかないのです。
ただただ、私がお母さんを怒らせたから悪いんだ。親不孝なことした私が悪い。と、反省して我慢するしかありませんでした。
本当に筆舌に尽くしがたい地獄の時間でした。
無視は、本当に本当に辛くて…
通常の無視は、2週間が最大だったので、2週間我慢したらいいんだ!と自分に言い聞かせて時間が解決するのを待っていましたが、高校生の時の最高新記録は、3週間無視されるという出来事が起こり![]()
このまま一生喋ってもらえないんじゃないかと、胸がギューッと締め付けられる思いでした![]()
ドンドン、私に対してエスカレートしていく母は、無視だけじゃ許せなかったのか、私だけ夕飯が食卓に用意されていなかったこともありました。
小学生の頃から、母に反発すると怒鳴られるし無視されるし怖い。という恐怖心に支配され続けた私は、いつしか母親の機嫌取りを中心とした行動を取るようになってしまいました。
それが、また地獄の始まりとなったのでした…