31歳を迎える年に右足の深刻な怪我をした。
再起は不能と術後の経過が順調でもトップレベルでバスケットボールをするには関節の可動域制限が左右あり過ぎてプレーに癖が大きくあり、自分のプレーが達しなければいけない水準とかけ離れていて失望を通り越して引退という現実を受け入れた。
全てをかけてアメリカで作り上げた人生のレールはいきなり幕を閉じた。
自分の人生を全力で応援してくれていたコーチやGM、トレーナーやエージェントにも全員に満足に別れも言えない様な状態のままだった。
当然自分の名前やユニフォーム、バナー、実績全てをアメリカに置いてきたまま
日本で1社会人として生きる人生を半ば強制的に選ぶ道に切り替わった。
社長に成り
この7年でビルを3つ作った。
純粋なトレーニングの会社が事業を専業として大きくする事はなかなか業界見渡しても出来ない。
基本資金の出所は他業種からの場合が多い。
専業によるプロフェッショナルな集団でありプロフェッショナルがプロフェッショナルを育てる会社はどれだけ人の出入りが激しくてもブラさないポリシーだった。
ポリシーを変えるくらいだったら破滅した方が良い。と今でも思っている。
本物としか居ない人生で本物思考しか持たない人間は時として
勉強代としてはあまりにも高すぎるミスチョイスを、業者やビジネスパートナーの選定をする。その都度偉大な先人に助けていただき必死で社長として指導者として「先生」と呼ばれる立場で在った。
やるからには負ける事が嫌いで唯一無二で在りたい性格はどの業界でも変わらなかった。
3つ目のビルを作った際にCovid-19の世界に様変わり、目の前は真っ暗になった。
自分の中で色々な社会問題より、帰えれないと勝手に思っていた筈なのに‥帰る場所に行く道が閉ざされた喪失感を強く感じ無気力になった。
有名にならなくて良い
誰もが知らなくて良い
だが対峙すれば何処の誰にも負けない圧倒的な強者な自分
というものが人生の理想にある。
燻っていた自分にいつもアメリカの友人達からはメッセージやコメントが来ていた
「社長。英語で〜さんから連絡がきていますけれど」と言われたのは数回というレベルではない。
けど気が付かないフリをしていた
理由は自分自身よくわからなかった。
今思えば燃え尽きたフリをしていのかもしれない。
‥
8年振りの家に帰った。
自分はアメリカに育てられ、アメリカの地でキャリアを作り、アメリカ人を筆頭にヨーロッパやアジア、白人黒人関係なくたくさんの人種に支えられて、彼らの生活と人生をプロフェッショナルとしてバスケットボールという競技に反映し背負ってきた。
NBAというバスケットボールの世界に生きる場所を一択にした人生を歩んできた。
どこかいきなり仕事を取り上げる事になってしまった負目や
彼らの‥勿論自分=と成っているIMPACT BASKETBALLの期待や加藤繁治を1年目から拾いアメリカに引き寄せてくれたティムグローバーに対して直視出来ない罪悪感があったのかもしれない。
「シゲハルー‼︎‼︎」と大声で名前を呼ぶのは今はGMになったデイビッドだった。過去「お前はアメリカでバスケットをするべきだ。デカ過ぎる器を満たす水を入れられるのは、帰りたい祖国じゃない、此処アメリカだ。苦しくても俺たちを信じて頑張れ。メイクマネー、メイクライフ、メイクエブリシングだ。」と現実に直面する自分を1番プッシュしてくれた友人だ。
当時のリーグ連覇をしたエリックスポールストラやクリッパーズのティロンルー、スパーズのグレックポポビッチ達との出会いをくれたのもオーナーのジョーをはじめ彼だ。頑なにNBA一択だった自分にモスクワやオリンピアのヨーロッパを勧め諭してくれる冷静な一面とバスケットボールという世界で電話一本で人とチームとお金を動かす尊敬する人間だ。
ジムに入って瞬間に
どこか申し訳ない気持ちがあったが
ずっと、ずっとぽっかり空いたずっとどんな水も満たなかった自分の器に満ちていく感覚があった。
全員顔も知らないコーチ達が自分を知っている。申し訳ない気持ちより「コンテニューしている」事
バスケットボールを辞めるという自分の選択肢を認めていない事を理解した。
今回自分が20代の頃にバスケットを教えていた当時中学2年生だった永倉銀史を一緒に帯同させていった。
「僕は本当は足のサイズは27.5位なんですけれどハルさんからいただいたシューズが28なので今まで何も考えず28をずっと履いていました。」と言われた。
おおよそ10年振りに会った大人にだ、
「いただいたテーピングの後がついているサンダルは今でも履いています。」とも言われた。
見えない背中を追い続けるということは誰にでも出来ることではない。出来ない方が圧倒的に多い。
10年振りに出会った際
「ハルさんはやっぱりアメリカに居ないと違和感があります」
と言われたのが今回の渡米を決めた決定的な理由だけれど
「海水の魚は淡水に住めない、生きづらいのは申し訳ないが淡水に来ているお前が悪い」
「誰が正しい誰が間違っているではなく、棲み分けができているところに間違って入れば、それは秩序とすればおかしくなるだろ?」
と理解者として日本に帰ってきてから、まだ全力で走れないような状態の時から、アメリカに戻れと言っていた先輩がいつも話してくれる言葉も時間が経って理解ができたということもある。
IMPACT BASKETBALLに帰り
再度3年契約としてプロとしてプレーをする事になった。
理由は
永倉銀史に自分の持っているものを伝え渡すにはプレーをしなくてはいけない現実がある事。
そして
プレーをする事で過去と今がクロスオーバーし
ドン底から最高の時代を知っている人全て、僕という人間を信じて支えてくれた家族を頷かせる事が出来る事
バナーがまた再度出来ること、4月にはまたチーム面談とワークアウトがある。
今NBAに行きたいという思いでプレーをするわけではない。苦しい並大抵な道でない事はわかっている。
だけれど
家族達の目に映らせるLIVEを自分は今作る義務がある。
そして
〜Legacy League〜
というエリート向けのバスケットボールコンテンツを永倉銀史と立ち上げました。
NBAのバスケットボールノウハウとエビデンスを臨床から取り入れ
NCAAとのリクルート
IMPACT BASKETBALLのワークアウトエビデンスとキャンプ
IMPACT PERFORMANCEのトレーニングエビデンス
SIGNATURE GYMのバスケットボールスクールエビデンス
を僕含めてアメリカ⇄日本へ永倉銀史と一緒に伝えていきます。
今回一緒に帯同した銀史にはカーメロアンソニーのトレーニングコーチを紹介して一緒にトレーニングをした、大矢かのんにはWNBAの去年優勝メンバーであるジャッキーヤングを紹介し、NCAAのリクルートを渡した。
SNS越しに見る憧れは現実を生きる世界の人間からすれば行動と結果に成りすぐに現れる。
「住む世界が違う」から「夢を追い続けられる人生へ」
詳細はまた後述のInstagramやFacebookから記載していきます。
公式のInstagramが出来るまで僕と永倉銀史のSNSで告知して参ります。
皆様今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
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