お譲り頂いて参加出来た試写会を皮切りに、公開してからは週1回のペースで劇場に通って観た『ストロボ・エッジ』。先週木曜日(4/16)が6度目の鑑賞でした♪
あと何回スクリーンで蓮くんに逢えるかなぁ(*^^*)♡
今日は廣木監督のインタビュー記事が掲載されていた3誌(acteur 3月号、screen+ vol.49、日本映画navi vol.56)を参照しながら、想うことをつらつら書いてみようと思います。
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それにしても不思議な魅力のある映画です。
大好きな蒼汰くんが主演しているからとはいえ、同じ映画をこんなに何度も、しかも劇場まで足を運んで観たことは今までありませんでした。義務感でも何でもなく、自然とまた観たくなる。あの世界に浸りたくなる。蓮くんや仁菜子ちゃん、安堂たちに会いたくなる。
とっくの昔に青春を通り過ぎた年齢の私。自分の10代を重ね合わせるとか、懐かしむ・・・という感覚とも違うのです。
人を好きになる。
そのシンプルなこと。
心の中のいちばん柔らかい場所にある、宝物のような大切なもの。それを思い出させてくれるから・・・なのかな、と思い始めています。
過去のもの、ノスタルジーではなく、大人になっても心の中にちゃんとあるはずの、キラキラと眩しくてあったかい気持ち。
“「好き」が積もっていく”って、要はトキメキというか、好きになって行く過程だと思うんですね。そこの気持ちの移り変わりを一番大切に映していきたいなと思っていて。(日本映画navi)
そうか、、“ときめき”だ。
私がこの映画を何度でも観たくなる「鍵」はきっとこれだ☆
続けて廣木監督。
特に蓮の、麻由香への想いと仁菜子に惹かれていく自分との間で揺れていく部分は、少しずつ仁菜子に傾いていくという雰囲気を、どんどん作って重ねていくことで表現できたら・・・と。
具体的に画で見せるというよりは、演じる役者たちのリアルな感情が、キャラクターの心に近づいていくようにすることをまずは大事にして撮っていきましたね(日本映画navi)
これは言葉以上に難しいことだと思う。でもこの廣木監督のやり方だったからこそ、あの何度でも観たくなる『ストロボ・エッジ』になったのだと思える。
映画ってキャスティングが決まった段階で80%ぐらい、その人の持っているものだと思うんですよ。だから、キャスティングってすごく大切だと思っているし。(screen+ vol.49)
監督が撮りたいストロボの世界にぴったりのキャスティングだったということも大きいのだろう。さらに蓮くんを演じた蒼汰くんには、原作への並々ならぬ想い入れがある。
原作を意識したか?・・・という問いへの監督の答え。
近づけようと思いました。違うものにしたいんだったら、原作があるものをやらないほうがいいと思うので。(中略)原作の好きなところだったり、気になるところを膨らましていきたいなと思いました(screen+ vol.49)
蒼汰くんも原作の好きなところを入れてもらった、と、インタビューで答えてたけど、監督のいう「役者の感情がキャラクターの心に近づいていく」ためにも、重要で必要なことだったのだとあらためて思う。
それから、蒼汰くん、架純ちゃんはじめ、キャストたちが「廣木監督は具体的な演技指導や指示をせずに、役者に任せてくれる部分が多かったので、鍛えられた」と、インタビューで答えていた。
僕が考えた蓮や仁菜子より、本人たちが考えた蓮、仁菜子っていうほうがすごくリアリティがあるんで。そっちのリアリティを大切にしたほうがいいだろうと思いました。まとめることは僕がやるし、何よりこうしなきゃダメっていうのを作るのが嫌だった。役者さんには、どこまで可能性を引き出せるかっていうのを求めたいなと考えていました。(screen+ vol.49)
キャストそれぞれのいましかできないことが映ってる。その年代の『いま』しかできないことが。それは俺の演出ではなく、彼や彼女が持ってるスピードなんです。たとえば、仁菜子を蓮が追いかけるスピードは、自分の感覚とはだいぶ違っていて、蒼汰のスピードなんだなと思いながら見てました。(acteur 3月号)
台本通りの芝居じゃなくて、書いてあることが自分の演じる役の気持ちの中でできないとなったなら、例えば立ち上がらなくてもいいし、座らなくてもいいんです。自分で納得しないと、やはり自然な演技って出ないじゃないですか。(日本映画navi vol.56)
監督の言葉を読んでいたら、キャストの皆さんが、舞台挨拶で口々に「監督が好きです」と言っていた、というのを思い出しました。
キャストを信頼しているからこそ、どう演じるか任せられる。信頼されているのが分かるから、役を生きることに集中できる。とても良い関係だと感じます。
蒼汰はずっと受けの芝居をしているから。(設定としては)可哀想だよね。向かっていく役は(見え方として)得するけど、受けの芝居を延々やらなきゃいけなくて。最後のほうでようやく自分の心情を吐露するわけだけど、そこまで我慢してた、という計算でやってないのがいい。計算が見えたら『いやだな』と思うんだけど。(acteur 3月号)
受けの芝居の代表として、監督が挙げているのが、駅のホームでチョコを貰って、仁菜子の理想のデートの話を聞くところ。
「『引いた?』と言われて『いや』って答えるんだけど、あの『いや』ってわざとらしくなったりもするものなのに、すごく自然なんだよね。(acteur 3月号)
追記
蒼ちゃんの蓮くん「いや」なんて言わない…ね(・・;) まんま雑誌の文字を打ってしまいました…
このシーン、好きなんだよねぇ♡
まだ仁菜子に気持ちが揺れていない蓮くんの、眩しげに細めた目が優しくて。
監督が「すごく自然」と言っているのも嬉しい♪
でもほんと(蓮くんならこんな風に言う)っていう声のトーンと話し方、それと視線の動かし方。さりげなくて自然で、一ノ瀬 蓮でしかない佇まい。
リアルに演じてほしい、と伝えました。で、リアルに演じてくれてますよね。学校一カッコいい男とか、人気者ということから発想すると、蓮はもっとクールなキャラクターになりそうだけど、そこをちゃんとリアルに、人間として演じてる。学校一の人気者とはいえ、(世界観の中で)浮いてたら違うんですよね。王子様ってわけじゃないから。(acteur 3月号)
そう…王子様なんかじゃない。悩んだり苦しんだり傷付いたりもしている。弱さもある。優しくて繊細な ”人間・一ノ瀬 蓮”を、蒼汰くんは自然にリアルに演じきっていた。
―― まだまだ長くなりそうなので、今回はここまででアップします~("▽"*)