「ロジャー・キース・バレット(シド・バレット)_1 」からの続きです。
ログの続きを引用します。
[334] 白蛇 2006/07/20 00:47
シドはドラッグの過剰摂取によって自分自身をコントロールできなくなり、その結果、
ライヴはもとより作曲やレコーディングなどにも悪影響が出てきていた。
そこで、『A Saucerful Of Secrets』のレコーディング中にシドの旧友でもあったデイヴを招き、
ライヴに参加させることにした。
当初、デイヴはライヴのみの参加、シドはソングライターとしてバンドにとどまる、と発表していたそうですが、
それは何故なんでしょう?
発表したのはレコード会社? それともメンバーもしくはマネジャー?
フロイドをメジャーにし、デヴュー・アルバムのヒットで儲けたEMIが、セカンド・アルバムのリリース前に、バンドのリーダーで
一躍ロック・シーンの寵児となったシドを失いたくなかったのかもしれませんね。
少なくとも、アルバム・クレジットにシドの名を残したかったのでは?
そして、これが成功したことで、もうシドは必要な存在ではなくなったのか。バンドにもEMIにも....
そしてシドはソロ・アルバム2枚といくつかのお粗末なライヴを行ったのち、母親の待つケンブリッジへと戻り、
早すぎる余生を送ることとなったのでしょう。
1991年に母が他界してからは、彼は本当に一人で過ごしたのでしょうか?
彼の人生が光り輝いた時代はあまりに短く思えます。
また、彼自身はおそらく知らなかったかもしれませんが、世界中の多くの人々が彼のことを思い、憧れ、
ある意味崇拝し、そしてその死を悼み悲しんだことを私は当然のごとく受け入れられるのです。
おそらくは、他のメンバー達もさまざまな思いを抱きながらも
心の底では彼を“愛して”いたのだろうと思います。
Roger Keith“Syd”Barrett……敬愛を込めて祈りを捧げます。フロイドの魂よ、安らかに...
[336] はるか 2006/07/21 19:21
>>334
1968年1月12日~20日 5人編成による計5回のステージ。
1968年1月27日 デイヴが正式に加入。1月下旬と2月3月は4人編成のライヴ。
1968年4月6日 シドがバンドから脱退することになったと公表される。
この期間は、ロジャー・ニック・リック、デイヴと、マネージメント側で、
いろいろともめたようですね。
まともに演奏できないシドがステージに立つのではバンドを解散するしかない、と考えたメンバー達。
シドがいなければフロイドに未来はない、と考えたマネージメント側のキング氏達。
長いミーティングの結果で、
“ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンのような役割で
自宅で曲を書いてレコーディングの時だけ来てもらう”という
ロジャーの案が採用されることになり、
「シド、君には曲作りに専念してほしい、ライヴはおれたちに任せてくれないか」
「OK、ロジャー、そうするよ」
っていうようなやりとりがあったのが、3月2日・・・
でも、ロジャーの回顧発言によると“一時間後には考えが変わってしまうのが常”のシドだったので
どうにもならなかったようです。
…ビーチ・ボーイズ初期のリーダーで詞も曲も作っていたブライアン・ウイルソンの場合は、
ちょっと経緯が違うんですけどね。
1964年末のツアーの直前、ブライアンは精神状態が不安定になり、ライヴは代役に任せて休養。
それをきっかけに、ライヴへの参加を止めてスタジオでの音楽作りに専念したい、と宣言。
その後『ペットサウンズ』とか出したものの、プレッシャーからまた精神状態が不安定になって67年に離脱。
でも、ブライアン・ウイルソン、およそ20年のブランクを経てソロアルバムで復活し、
昨年7月のLive 8にも出演していました。
なんとなくたどたどしさは残ってたけどやさしそうな笑顔でピアノ弾いて歌ってました。
人生色々、という俗っぽい言い方しか出来ないのが口惜しいですが、
本人が幸せな気持ちで居るのなら、それがいちばんだと思います。
[337] はるか 2006/07/21 19:28
ミュージシャン生活から引退した後のシドの生活ぶりについては、
いくつかのシド伝記本でも語られていますが、その著者の一人Tim Willisが、
7/16の英サンデータイムズ紙に、シドの妹ローズマリーさんにインタビューした記事を載せていますね。
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,2092-2271741,00.html
ローズマリーさんは結婚後も近所に住んでいて、しょっちゅう実家のシドを訪れていたようです。
シドの毎日はすごく普通っぽくて、シドとローズマリーさんは深く家族愛を分かち合っている関係だったとのこと。
甥や姪にあたる、ローズマリーさんの子供たちとも仲良しだったようです。
お母さんが亡くなったとき、
シドというお兄さんは信じられないほどローズマリーさんの大きな支えとなってくれたのですって。
その後のシドは一人暮らしで、
家屋の手入れやら、庭の植木や花の世話を熱心に行っていたそうで、
料理なんかも普通にやってて、カレーがお得意。
お買い物に出かける近所の店の人とのおしゃべりも日常的なことで、
家の中や庭の仕事をしながらジャズのテープをよく聴いてたそうです。
セロニアス・モンク、ジャンゴ・ラインハルト、チャーリー・パーカー、マイルス・デイビスとか。
ポップス系は、初期のローリング・ストーンズ以外は興味なしだったとか。
美術史の本を読むのも好きで、シド自身もその方面の文章を私的に書いていたり、
花の写真を撮って、それをもとに絵を描いたり・・・
…ジャンゴ・ラインハルトといえば、ステファン・グラッぺリと組んだジャズギタリストですよね。
そういえば、ステファン・グラッぺリのヴァイオリンは、
『WISH YOU WERE HERE』で微かに聞こえる効果音として使われていたのでした。
…初期のローリング・ストーンズといえば、
『THE PIPER AT THE GATES OF DAWN』の中のポップな曲に通じるようなところも・・・
なあんて色々なことを思うのですが、瑣末なことですね。
1960年代中頃からの20代のシドは、ひとりで何人分もの人生を行き来してたのかもしれないけど
1980年代以降は、シド自身にとっては、
小さな幸福をたくさんみつける第二の人生だったのではないかな、と思います。