プログレッシブBBSの思い出_ピンク・フロイドmemorandum -107ページ目

プログレッシブBBSの思い出_ピンク・フロイドmemorandum

  
【ピンク・フロイドについて語り合おう】
【プログレ、ジャケットの名盤】その他のログを読みながら
プログレッシブ・ロックとオールディーズの魅力再発見の日々……
〈ザ随筆〉での執筆記事も再録準備中.

2012-12-02 執筆開始
2019-06-02 記述ミス削除

そして春からは、シドとずっと行動を共にしてきたリードギターのボブが、

徐々にバンドから離れてゆきます。
シドは音楽面ではローリング・ストーンズやヤードバーズなどのブルースロック志向でしたが

(後にクリームのコピーもやっていたようです)

もともとジャズギタリストだったボブは

トラディショナルなジャズをやりたがっていたのです。

 

 

 

 

 

 



 

 


ピンク・フロイドというバンド名の由来は、シド・バレットの好んだ二人のブルースシンガーからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

Pink Anderson (1900 – 1974)

 

 

Floyd Council (1911 – 1976 )

 

Photo: Wikimedia


バンド名の由来については、ザ掲示板のスレッド「ピンク・フロイドについて語り合おう」でもたまに話題になったことがありました。
下記の引用ログは、ピンク・フロイドのサウンドのルーツ、ブルースが話題になったときに、ブルースとジャズの関係とかその後に誕生するロックのルーツとかを語り合っているときに出されたものです。



[59] はるか 2004/04/13 22:45

旧掲示板にも書いてあったけど、「ピンク・アンダーソン」と「フロイド・カウンシル」から、シドが飼い猫に「ピンク」「フロイド」って名前つけてたんですってね。
余談だけどピンク・アンダーソンの本名は、ピンクニー・アンダースン(Pinkney Anderson)。息子もブルースギタリストで(ピンク・アンダースン・Jr.)レコードでの父子共演があります。
(ロジャー・ウオーターズのJrが、2002年のツアーでキーボードやってたそうですが、そういうのってバンド人生の至福のひとつでしょうね~)
ちなみに、フロイド・何々という芸名のブルースマンは、アメリカには20人以上いるんです~。

 

[60] マルチオーディオ 2004/04/14 03:43

みなさん歴史におくわしいですね!ロックという名称はビルヘイリー&コメッツのロックアラウンドザクロックが最初と聞きましたが、それは違うのでしょうか?
奴隷と音楽は言語を制限された奴隷たちが通信手段として音をつかったのが色んな音楽のルーツとも聞いたのですが?
エッソトリニダットスティールバンドなどは楽器をとりあげられ、島にたくさんあったドラム缶を使って通信の手段にしたそうです。それがスティールドラムの発祥だそうです。
テニスのスコアの数え方も奴隷に負けてばっかりいたので数え方を複雑にしたってのはホンと?



[61] ナガフキン 2004/04/14 14:54

>>60 ロックアラウンドザクロック
ギネスブック的にも一般的にもはそれなんですが、個人的にはまったく同時期に出た(チェス時代の)チャックベリーこそR&Rの創始者だと勝手に思ってます。
同じ意味でプレスリーもその後のブリティッシュロックには影響与えてないと思う。ただそのスタイルにあこがれただけ。(クリフリチャードは別だけど)
だってみんなコピーしたのは、ブルース系ではベリー、マディーワターズ、ハウリンウルフ、ボブジョンソンなんかだし、
ポップ・リバプール系は、ベリーに、リトルリチャード、バディーホリー、エバリ-ブラザーズ、とモータウン、ガールポップス系。

チャックベリーは今聴いても通用(感動)するくらいロックしてるけど、ビルヘイリーは何がいいのか良くわかんない。




ブルースという音楽ジャンルについては、上記のログも含めて別の記事「ピンク・フロイドを語りながら、ブルース、ジャズ、ロックの歴史を振り返った日々」で解説していますので、興味のある方はどうぞ。




シドの伝記本のひとつ『クレイジー・ダイアモンド/シド・バレット』(マイク・ワトキンソン&ピート・アンダーソン著 小山景子訳 2001 水声社)には、シドが〈ピンク・フロイド〉というバンド名を考えつく間での経緯が、第2章「レナードの下宿人たち」(P48 - 65)として、けっこうくわしく書かれています。
本来なら引用しながらの紹介をしたいのですが、引用部分がかなり長くなってしまいそうなので、今回は、その
第2章とニック・メイスン著『Inside Out: A Personal History of Pink Floyd』をもとにした要点解説案内文として組み立ててみました。

 

 

 

 

 

《バンド名「ピンク・フロイド」が決まるまでの物語》

 


ピンク・フロイドの初期にはシドがリーダー的な存在だったとされていますが、シドは、ロジャーたちのバンドに合流してすぐにリーダーシップを握っていたというわけではありません。最初の頃は、シドよりもロジャーよりもギターが上手いボブ・クロースがバンドのクオリティを上げていたのです。

64年の夏。
アートカレッジに進学することになったシドは、ケンブリッジの高校で同級生だったボブ・クロースといっしょに、ロンドンに引っ越してきました。ボブはジャズ・ギタリストとしてバンド活動をしていたこともある、音楽好きの友人です。
ボブの進学先は、リージェント・ストリート建築工芸学校。
そこにはシドとボブの高校の先輩、ロジャー・ウォーターズが在籍中でした。
シドとボブの下宿は、ロジャーの仲介で決まったのです。

そのロジャーは、学生アルバイトとして雇われたのが縁で、建築家のマイク・レオナードの家に下宿していました(通称ハイゲート・ハウス)。
ロジャーの同級生で少し前までそこに住んでいたニック・メイスン、リック・ライトと入れ替わるような感じで、シド、ボブ、もうひとりの学生デイヴ・ギルバートの計3人が、ハイゲート・ハウスの下宿人になります(このデイヴは、シドが高校中退後に通ったケンブリッジの美術専門学校の同級生でした)。
ボブとデイヴ、ロジャーとシドが二人一組でひとつずつの部屋におさまり、食事や洗濯などの家事は4人の当番制という毎日が始まりました。
「シド、ボブ、俺たちといっしょにバンドやろうぜ」
ロジャーから誘いの言葉が出されたのは、同じ屋根の下で暮らすようになってすぐの頃です(引っ越しの前からそういう話が出ていたという可能性もありますが……)。

ロジャーは、
建築工芸学校に入学して半年ぐらい経った頃、先輩のクライヴ・メトカルフに「バンド組まないか?」と誘われて、同級生のニックやリックといっしょに〈シグマ6〉の結成メンバーになりました。
ロジャーはギター、ニックはドラムス、クライヴはベース担当です。
その後のバンドメンバーには、
クライヴとデュオを組んでいたキース・ノーブルと妹のシーラ・ノーブルがヴォーカルで合流。
シーラが抜けた後の女性ヴォーカルには、リックの恋人ジュリエット・ゲイルが加入

やがて、クライブとキースが元のデュオに戻るために脱退、

ジュリエットもブライトンの大学に転入したのを機に一年ほどで脱退
リックは、建築工芸学校を一年ぐらいで退学して音楽の専門学校に在籍していたのですが、ジュリエットとの結婚準備でバンド活動休止。
ロジャーが高校の後輩たちと同居するようになったその年の夏には、バンドメンバーがニックとロジャーのふたりきりになっていたのです。

この時点でのバンド名はどうもはっきりしません。
〈シグマ6〉の後、〈Tセット〉〈メガデス〉〈アーキテクチュラル・アブダブス〉〈スクリーミング・アブダブス〉〈アブダブス〉というふうに変わってきたのですが、メンバーチェンジによるものか、演奏レパートリーによるものか、それ以外の理由によるものかは、不明です。
共通しているのは、演奏の場所が学内のコンサートや友人関係の誕生パーティなどの範囲だったということです。

シドとボブは、ロジャーとニックのバンドに参加することになりました(
シドにとっては、ロジャーと同じバンドに籍を置くのはこれが二度目になります。シドが高校に入ってまもない頃に最初に参加したアマチュアバンド、ジェフ・モット&ザ・モットーズでベースを弾いていたのが、ロジャーでした)。
4人のなかではいちばん楽器の上手なボブがリードギターになり、シドはリズムギター、ロジャーはそれまでのギター担当からベースに転向、ニックはそのままドラムスです。


大家さんのマイク・レオナードもこの4人を支援してくれて、ハイゲート・ハウスの地下室を練習スタジオに使えるようになったので、彼らは思う存分楽器を鳴らすことができるようになりました。
マイクは、当時三十代後半。建築家としては、本来の設計建築仕事のほかに大学で講師をやっていた時期もあり、TVのコマーシャルをいくつか作っていたこともあるひとです。
彼は、古い銅鑼から最新の電子機器までのさまざまな楽器を屋根裏部屋に置いて楽しんだり、スクリーンにいろいろな模様を映し出せる照明装置を作ったりする、ちょっと変わった趣味の持ち主でもありました。

あるとき、マイクの照明を使った
ライトショーをバンドの演奏といっしょにやってみよう、という話が持ち上がり、近所のパブへの出演交渉が通って、照明の演出効果が活かされるライブが実現しました。
ロジャーやニックが結成したバンドは、マイクのおかげでスクールバンドから脱出することができたのです。
マイクは、ライブの時には照明機材の操作のほかに、時折オルガン担当でステージに立つこともしていましたから、5人目のメンバーという感じでした。
彼らのバンド名はこの頃から〈レオナード・ロジャース〉、
レオナードさんちの下宿人たちを名乗るようになります

この時期のロジャー、ニック、ボブ、シドのバンドでは、リード・ヴォーカルをとるメンバーというのが決まっていませんでした(シドやボブの加入前には、キース・ノーブルやジュリエット・ゲイルなどがヴォーカル専門のポジションでした)。当時のシドが心酔したバンドのひとつを例にとるなら、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーに相当するようなフロントマンがいなかったのです。
その年の秋の始まる頃にはリック・ライトがバンドに復帰してくれてピアノ担当になり、メンバーはふえましたが、肝心のリードヴォーカルがいないのではレパートリーも広がらないというのが悩みの種でした。
そんなある日、シドが言い出したのです。
「オレが探してくる。ケンブリッジに心当たりがあるんだ」

シドの心当たりは、高校時代に参加したアマチュアバンド、ジェフ・モット&ザ・モットーズのリーダー、ジェフでした。実力派の彼はリード・ヴォーカルも板についていたのです。
けれども、シドがジェフを訪ねたときには、ジェフの実力はシドの手の届かないレベルに達していました。ジェフが一年前に結成した新しいバンド、ザ・ボストン・クラブズは、地元ケンブリッジでの仕事が軌道に乗っていて、バンド活動の収入は週に30ポンド。ロンドンに引っ越して無名の学生バンドで歌うのでは、部屋代のために別のアルバイトをしなければなりません。ジェフがシドからのオファーを断るのは無理もないことでした。
傷心のシドは実家で高校時代に愛聴したレコードを聴いて過ごしたようです。
ロンドンのハイゲート・ハウスに帰ってきたシドは、
「ヴォーカリストの件はだめだったけど、オレたちのバンドにぴったりの名前を思いついたよ」
そう言って、1940年代に活躍したアメリカのブルースシンガーふたり、ピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルのファーストネームを合わせたバンド名を提案しました。
「ザ・ピンク・フロイド。ピンク・フロイド・サウンドのほうがいい感じだな」

慎重型のボブが賛成するまでには少々時間がかかりましたが、その後は、主に〈ピンク・フロイド・サウンド〉時おり〈ザ・ピンク・フロイド〉〈レオナード・ロジャース〉というバンド名が、パブやクラブのライブ案内ポスターなどに記されることになります。
その頃のシドは、マイク・レオナードが蒐集した屋根裏部屋の新旧の楽器を試行錯誤しながら鳴らしていたということです。自分たちのバンドにふさわしい、新しいサウンドを探していたのかもしれません。

さて、くだんのリードヴォーカル探しですが、バンド名が変わる直前に、適任者が現われました。
ロジャーとボブが、ロンドンのレコードショップで偶然再会したケンブリッジ時代の顔なじみ、クリス・デニスです。
その年の秋に加入してくれたクリスは、当時26歳の社会人で、兵役に就いていました。ケンブリッジではブルースバンドのヴォーカルをやっていた青年で、レパートリーもたくさんあるのです。クリスのほうもロンドンで自分が歌えるバンドを探しているところでしたから、話はすぐにまとまりました。
けれども、翌65年の1月、クリスは応召でペルシャ湾に配属されたため、バンド活動をやめることになりました。
(彼以上のヴォーカリストはそう簡単には見つからないということで、この頃からシドがその役割を担当するようになったのかもしれません。ボブはバンドの誰よりもミュージシャンとしての才能があるギタリストでしたが、性格はシャイで真面目なタイプ、フロントマンには向いていなかったようです)。

そして春からは、シドとずっと行動を共にしてきたリードギターのボブが、徐々にバンドから離れてゆきます。
シドは音楽面ではローリング・ストーンズやヤードバーズなどのブルースロック志向でしたが(後にクリームのコピーもやっていたようです)、もともとジャズギタリストだったボブはトラディショナルなジャズをやりたがっていたのです。
その頃のボブには「バンド活動に時間をとられすぎてるよなぁ…
…親たちも、せっかくレベルの高い学校に入れたんだから建築の勉強をしっかりやりなさいって言ってくるし…」といったような悩みごともあったので、潮時だと判断したのかもしれません。
ボブの正式な脱退は夏休みになった頃でしたから、およそ一年近く在籍していたことになります。

照明担当の大家さんマイク・レオナードは、後年にはあまりステージに関わらなくなっていますが、バンド名が変わっても照明の効果で魅了するライブはその後も長く続いていきました。
かくして65年夏以降は、(ボブに代わってのリードギター兼リードヴォーカルを約2年つとめる)シド、(以後20年近くベーシストで在籍する)ロジャー、(バンド結成以来45年以上不動のドラマーになる)ニック、(約15年後にはまた脱退して約20年後にはまた復帰するキーボーディスト)リック…の4人組になります。
この4人で、学校関係のイベント、友人関係のパーティ、パブやクラブのライブタイムという、3種類のステージに立つようになりました。





では、シドも聴いていた二人のブルースマンの曲をどうぞ。
ほかにもネット上で聴ける音源がいろいろとありますが、今回はピンクのほうで軽めのブルース、フロイドのほうで一般的にブルースらしいブルースというところから選んでみました。



Pink Anderson - I got mine (03:10)




Floyd Council - Runaway Man Blues (02:53)