4月のライブは親友の小川文明が与えてくれた演奏機会で、彼の死がきっかけとなり、5月のライブは東京の友人たちがやって来るし、丁度良い機会だった。
それまでのほぼ1年半というもの、チャリティーなどの極短い演奏は別にして、殆どライブからは引退状態だったし、間に2ndアルバムの録音~発表もあって、もう人前で演奏することは無くても良いとさえ思っていた。
特に作曲~演奏という僕が拘る音楽の有り様にとっては、録音~CD制作という方法論がある限りオーディエンスの必要性は感じなかったし、それどころかより純粋なものを抽出するためには、オーディエンスの存在は邪魔になりこそすれ、僕の音楽にはプラスに働かないとさえ思っていた。
実際に今も特に作曲の段階ではオーディエンスの存在は必要無いと感じているのも確かなことだ。
何故なら、オーディエンスの存在を意識した途端に、受けるとか売れるとかいう、ある意味において一種の強迫的なプレッシャーがかかってしまうからだ。
良いメロディーを書きたいとか、面白いハーモニーやリズムを打ち出したいとかは、純粋なものを抽出するには邪魔なものだ。
この辺りはグレン・グールドやジョン・ケージの影響を強く受けている。
また、バンド、或いはアンサンブルで演奏するということは、自分以外の他者に対する配慮が必要となる面があることを否定出来ない。
もっとも、それがアンサンブルの良さでもあるし、そんなことは百も承知だが。
しかし、それでも自分の中の純粋なものを抽出するには、やはり方法論としては、非常に厄介な問題を抱えることになる。
つまり極端に言うならば、人前で演奏することも、アンサンブルの中で演奏することも、純粋な自分を抽出するには邪魔な作業となるということだ。
ずっとそう思っていた。
そして4月と5月のライブ。
特に4月のライブでは、実際に様々な制約を感じながら演奏した。
その制約とはテンポでありハーモニーでありピッチであり、ダイナミクスやトーンやニュアンスだ。
しかし、その様々な制約の中で自由を感じ、純粋に自分の中で響いているものを抽出出来た実感があった。
特にスティーブ・カーンのBladesの演奏は大きかった。
また、その他の楽曲でも、共演者の優れた演奏とオーディエンスの反応がより良いものを引き出してくれたのも確かなことだった。
そして5月のComin。
Cominさんはそんなに広くなく、少し硬質な響きがあり、客席が近い分、より自分の演奏がリアルに響く印象があったので、音質や音色のコントロールをより確実なものとする為に、奏法の全体的な見直しを行い、それぞれの楽曲に当てはめていく作業を行ったのだが、これが非常に良い結果をもたらした。
音色や音質、そしてダイナミクスなどのコントロールがより容易に、確実になった。
そうすると、オーディエンスの反応がよりリアルに感じられる。
するとテンポ感やダイナミクスのコントロールに、音質や音色のコントロールに変化が起こる。
特に間や呼吸が変化する。
そしてそのオーディエンスとのやり取りの結果、僕の楽曲が途中から僕の手を離れ、オーディエンスの中に入り込んでいく様子が分かるのだ。
そしてアンコールの河村くんとゆみゆみさんとのセッションでは、2人のアイデアと僕の演奏が上手く絡む場面が何箇所かあって、数カ所はとても良い効果を生んだように思う。
そしてそれも振り返れば自分の中で響いているものだった。
この二回のライブを通して、ひょっとすると僕の音楽と演奏がオーディエンスの中入って行くことによって、より良い演奏となり、それも僕の中ある純粋なものの一つであるということではないか?
更にアンサンブルで演奏することによってしか出せないものが僕の中にあるのではないか?
という可能性をも感じられたのだった。
まだまだ自分の中の心境の変化を文章にするには、未分化なものが多すぎて、中々上手くはいかないのだが、もう少し逡巡してみよう。
その作業の先には、もっと良い音楽が生まれるかもしれない可能性を秘めているからだ。
以下、加筆
何時だったか、藤井政美くんが
「是非、伊那と新潟で演奏して欲しい。いや、すべきだ。せっかくアルバムも発表したんだし、良い機会じゃない。」
と背中を押してくれたことも、それなりの力を持って僕の胸に響いたことも確かなことだ。

