このblogにも度々登場する、愛器Fodera陰陽。
僕の前の持ち主はビクター・ウッテン氏だそうで。
もっとも、それを知ったのは購入してからずっと後のことで、元々彼には全く興味がないので、どうでも良かったのですが…。
この楽器の最も素晴らしいところは、弾いたようにしか鳴らないところです。
回路も全て取り払ってあるので、電気的な補助は殆ど受けません。
もちろん、ピックアップの選択やアンプ、スピーカーシステムの選択という問題はありますが。
とてもセンシティブで扱いにくい楽器です。
ブリッジの不要なネジも全て取り去っています。
オクターブ調整用のネジさえも。
そしてこれらが一体となって、僕のサウンドになります。
しかし、これには僕の奏法があって初めてサウンドになるのであって、他の人が弾いても全く良い音はしないでしょう。
この楽器から自分が思い描くような音を出すには、本当に長い時間がかかりました。
当初は全く良い音はしませんでしたし、センシティブ過ぎて、非常に厄介でした。
指を置く・離すという普通なら気にならない音まで忠実に鳴るので、全く気が抜けないのです。
そしてここで大きな役割を果たしたのが、コントラバスでの経験でした。
多少の“翻訳”と応用は必要でしたが、コントラバスのメトーデを持ち込んだのです。
それから少しずつ自分の楽器になっていきました。
逆に僕が楽器に寄り添った、と言えるかもしれません。
今となっては、最早身体の一部と言えるまでになりました。
どうも最近の傾向として、すぐ楽器のせいにして、自分の腕や音楽性を省みない、という良くない状況があるようです。
それはベースに限らずですが。
少しきつい言い方をすれば、その楽器が鳴らないのは、貴方の腕と音楽性に原因があるのかもしれない、ということです。
腕はもちろん必要ですが、音楽性も重要です。
それはジャンルやカテゴリー云々ではなく、美的基準が貴方の中にあるか?美意識が確立されているか?という問題です。
そうすれば、それさえしっかりとあれば、楽器に寄り添うことが出来るようになるでしょうし、楽器も貴方に呼応してくれるようになるでしょう。
逆に美的基準が無い、美意識がフラフラしている状態では、どんな楽器を弾いても、不平不満ばかりで、本当に相応しい楽器とは巡り会えないかもしれません。
僕はこの楽器と巡り会えて、とても幸せでした。


