2007年4月
片足の痺れと激しい腰痛のため、アニキは駐在しているシンガポールに奥さんを一人残して、順天堂病院での検査のため一時帰国した。
アニキが帰国したことを親に聞き久々に実家に戻ると、やせ細ったアニキが辛そうな顔で寝ていた。
病院での検査が終わり、その結果手術や療養に時間が掛かりそうなことからアニキは仕事の引継ぎなどでシンガポールへ一度戻ることになった。
ちょうど休みだった俺がオヤジと一緒にアニキを成田空港まで送っていった。
その頃買ったばかりのBMWをアニキに自慢しようとしたのだが、肝心のアニキは後部座席で空港に着くまでずっと横になって寝ていた。 こんな状態で長時間の飛行機は大丈夫なのか?と心配だった。 チェックイン手続きの最中もアニキは顔を歪め額に油汗をかいていた。
手荷物は1つだけであったが、どちらかと言うと筋肉質な俺が持っても重たいと感じるバッグだったので、体力の落ちていたアニキには重たいおもりを持っているような感じだったであろう。
体調を聞くと「足がしびれる」と言っていたアニキは、ひょろひょろな体で重たいバッグを手に持ち出国ゲートへと消えて行った。ジーパン越しに見えたアニキの足は異様に細くなっていた。
シンガポールから戻って直ぐに実家近くの国立がんセンター東病院へ行った。検査で判ったことだが、砂時計腫という物が脊椎の神経を圧迫していたことにより腰痛と足の痺れを引き起こしていた。
たまたま築地にあるがんセンターの偉い人が居合わせていたこともあり、2007年5月に外科手術を行うために築地の国立がんセンター中央病院へ出向いた。 アニキが痛みを訴えたためそのまま築地の中央病院へ入院することになる。
確か、最初に出来た背中の腫瘍は手術で切り取ったのだと思う。
ところが1週間の入院中に、首と別の場所にも腫瘍が出てきてしまった。
別のところに出来た腫瘍もやはり神経を圧迫していたため、そのうち右目のまぶたが開かなくなってしまう。 オヤジはこのとき「もうダメかもしれん」と思ったそうだ。
アニキの医者との面談
余命宣告、何もしなければ3ヶ月。
同時に数箇所の切除手術は体力が持たないと判断した医師は、抗がん剤治療を提案してきたそうだ。
医師との面談が終わり部屋から出てきたアニキは親に、「俺、あと3ヶ月で死ぬって言われたよ」とまるで本気にしていないような口ぶりだった。
そこから長い闘病生活が始まった。
1週間前後の抗がん剤投与、2~3週間の自宅療養の繰り返しだ。
抗がん剤は良い細胞も弱らせるため体力が落ちる。白血球の数も激減するため抵抗力も落ちてしまう。治療中のガン患者の毛という毛が抜けるのは、抗がん剤が体内で作用した証拠のようだ。
抗がん剤のお陰で首の腫瘍が引き、右目のまぶたが開くようになったので「おお!効果が出てる!」と皆で喜んだ。
吐き気を伴う7~10日の抗がん剤治療が終わり自宅に戻ると、最初の1週間はダウンしたままであるが翌週には元気になる。良い細胞がどんどん増えてくるからのようだ。
しかしせっかく毛が生え始めた頃に、また入院して抗がん剤投与という何とも可哀相なサイクルを繰り返す。
自宅へ戻るとアニキはカツラと眉毛を買った。
闘病生活中も何度か眉毛を付けカツラを被ってシンガポールへ渡航していた。
カツラの値段は聞かなかったが相当な値段だったと思う。丁度坊主頭だった俺はアニキが入院中に無断でカツラを被ってみたのだが、分け目の部分も本物のようにできており本当に自分の髪のような感じだった。「う~ん よく出来ているなぁ」と関心した。
俺は元々眉毛が太いので付け眉毛は試さなかった。どうせ付けたところで俺の眉毛の方がはみでてしまうし。
判る範囲でアニキの生活・習性を述べると、
・日本ではコンビニ弁当が大好き
・タバコは1日1~2箱
・酒は人並みに飲む
・営業のため接待の回数は多かったようだ
・シンガポールでは自宅で晩飯を取ることが少なかった。
・常に他人に気を使うタイプ
・海外でほぼ1人で仕事を回していた。
・テニスで汗を流していた。
・昔からかなりクサいすかしっぺをする
音の無いオナラをする人の方がガンの発生率が高いという文献を読んだことがあるが、俺のような素人にはどんな因果関係があるのか皆目判らない。
もちろん俺も屁はこくが、ほとんどの場合警告音付だ。
話を戻そう。
当然だが、自宅療養で回復してくると元気になる。元気になると食事のも増え、いつも通り沢山食べていた。 しかし栄養はがん細胞に取られてしまうためか、アニキはずっと痩せたままであった。
どこか体の一部が動かないわけでも無く食事も普通に取ることが出来るため、自宅にいると凄くヒマに感じるのだろう。何を考えていたのやら抗がん剤治療を始めてからしばらく喫煙をやめず、自宅療養中にも関わらずヒマすぎると感じパチンコもしていたそうだ。 白血球数が少ないことを自覚出来ていないかったのだろう。 免疫力が低下しているのでなるべく表にも出ない方が良いのだが、コンビニ弁当も買いに行ったりしていたと言うので呆れる。
確かアニキの奥さんが帰国した2007年後半にタバコをやめたのだったと思う。やめたと言いつつ手がタバコ臭いことがあり、奥さんと喧嘩になった。
2007年の5月から始まった闘病生活は続き、体調は相変わらずだがアニキは2008年を迎えることが出来た。 入退院の繰り返しの中で、アニキは勤めていた電子機器関連の会社に何度か顔を出していたそうだ。
闘病生活は合計1年8ヶ月に及んだが、俺はその間アニキの会社がどういう待遇をしてくれているのかが気になっていた。
俺は別の会社で働いているから内情は知らないが、話を聞いてるだけでも言葉では表せないぐらい社員思いの会社である。もし雇ってくれるのならアニキが抜けた分頑張らせてもらいたいぐらいだ。アニキほど俺は能力が高く無いかもしれないが。。。
その会社を表すためにあえて言葉を探すなら「義理と人情の会社」が近いかもしれない。
闘病生活開始の2007年5月から2008年11月まで籍を置いてくれると言うことで給料も出してくれていたのだが、その11月の時点で会社から言い渡されたのは「2009年の3月まで現役、それ以降も回復して働けるようになったら復帰可能」、普通の会社じゃ考えられない。 もちろんアニキの功績も考慮してくれているのだが、何て思いやりのある会社だとこの話を聞いただけでも涙が出そうになった。 この言葉のお陰でアニキはめげずにガンと戦うことが出来たのかもしれない。 本人も絶対に回復して元の生活に戻ると思い込んでいた。
病気と闘うためには希望が非常に重要なのだ。
現在の病院で可能な治療はたった3つ。手術・放射線治療・抗がん剤治療。その他自然療法・免疫療法などもあるが。 抗がん剤に関しては150以上もの種類があり、専門家もほとんど居ないという話を聞いたことがある。
誰にでもガン細胞はあると言う。細胞分裂の時に正しく複製されなかった細胞がガン細胞になるそうだ。 1日当たりに5000個前後のガン細胞ができるらしいが、免疫細胞がガン細胞を殺しその増殖を抑えているという。 誰の体でもそれを毎日繰り返しているとテレビで言っていた。
原因は様々だが、体が弱りガン細胞を殺すことが出来なくなった時に増殖してしまうとのことで、免疫力の低下がガンの原因の一つとのことである。
精神的なストレスなども良くないのだろう。
片足の痺れと激しい腰痛のため、アニキは駐在しているシンガポールに奥さんを一人残して、順天堂病院での検査のため一時帰国した。
アニキが帰国したことを親に聞き久々に実家に戻ると、やせ細ったアニキが辛そうな顔で寝ていた。
病院での検査が終わり、その結果手術や療養に時間が掛かりそうなことからアニキは仕事の引継ぎなどでシンガポールへ一度戻ることになった。
ちょうど休みだった俺がオヤジと一緒にアニキを成田空港まで送っていった。
その頃買ったばかりのBMWをアニキに自慢しようとしたのだが、肝心のアニキは後部座席で空港に着くまでずっと横になって寝ていた。 こんな状態で長時間の飛行機は大丈夫なのか?と心配だった。 チェックイン手続きの最中もアニキは顔を歪め額に油汗をかいていた。
手荷物は1つだけであったが、どちらかと言うと筋肉質な俺が持っても重たいと感じるバッグだったので、体力の落ちていたアニキには重たいおもりを持っているような感じだったであろう。
体調を聞くと「足がしびれる」と言っていたアニキは、ひょろひょろな体で重たいバッグを手に持ち出国ゲートへと消えて行った。ジーパン越しに見えたアニキの足は異様に細くなっていた。
シンガポールから戻って直ぐに実家近くの国立がんセンター東病院へ行った。検査で判ったことだが、砂時計腫という物が脊椎の神経を圧迫していたことにより腰痛と足の痺れを引き起こしていた。
たまたま築地にあるがんセンターの偉い人が居合わせていたこともあり、2007年5月に外科手術を行うために築地の国立がんセンター中央病院へ出向いた。 アニキが痛みを訴えたためそのまま築地の中央病院へ入院することになる。
確か、最初に出来た背中の腫瘍は手術で切り取ったのだと思う。
ところが1週間の入院中に、首と別の場所にも腫瘍が出てきてしまった。
別のところに出来た腫瘍もやはり神経を圧迫していたため、そのうち右目のまぶたが開かなくなってしまう。 オヤジはこのとき「もうダメかもしれん」と思ったそうだ。
アニキの医者との面談
余命宣告、何もしなければ3ヶ月。
同時に数箇所の切除手術は体力が持たないと判断した医師は、抗がん剤治療を提案してきたそうだ。
医師との面談が終わり部屋から出てきたアニキは親に、「俺、あと3ヶ月で死ぬって言われたよ」とまるで本気にしていないような口ぶりだった。
そこから長い闘病生活が始まった。
1週間前後の抗がん剤投与、2~3週間の自宅療養の繰り返しだ。
抗がん剤は良い細胞も弱らせるため体力が落ちる。白血球の数も激減するため抵抗力も落ちてしまう。治療中のガン患者の毛という毛が抜けるのは、抗がん剤が体内で作用した証拠のようだ。
抗がん剤のお陰で首の腫瘍が引き、右目のまぶたが開くようになったので「おお!効果が出てる!」と皆で喜んだ。
吐き気を伴う7~10日の抗がん剤治療が終わり自宅に戻ると、最初の1週間はダウンしたままであるが翌週には元気になる。良い細胞がどんどん増えてくるからのようだ。
しかしせっかく毛が生え始めた頃に、また入院して抗がん剤投与という何とも可哀相なサイクルを繰り返す。
自宅へ戻るとアニキはカツラと眉毛を買った。
闘病生活中も何度か眉毛を付けカツラを被ってシンガポールへ渡航していた。
カツラの値段は聞かなかったが相当な値段だったと思う。丁度坊主頭だった俺はアニキが入院中に無断でカツラを被ってみたのだが、分け目の部分も本物のようにできており本当に自分の髪のような感じだった。「う~ん よく出来ているなぁ」と関心した。
俺は元々眉毛が太いので付け眉毛は試さなかった。どうせ付けたところで俺の眉毛の方がはみでてしまうし。
判る範囲でアニキの生活・習性を述べると、
・日本ではコンビニ弁当が大好き
・タバコは1日1~2箱
・酒は人並みに飲む
・営業のため接待の回数は多かったようだ
・シンガポールでは自宅で晩飯を取ることが少なかった。
・常に他人に気を使うタイプ
・海外でほぼ1人で仕事を回していた。
・テニスで汗を流していた。
・昔からかなりクサいすかしっぺをする
音の無いオナラをする人の方がガンの発生率が高いという文献を読んだことがあるが、俺のような素人にはどんな因果関係があるのか皆目判らない。
もちろん俺も屁はこくが、ほとんどの場合警告音付だ。
話を戻そう。
当然だが、自宅療養で回復してくると元気になる。元気になると食事のも増え、いつも通り沢山食べていた。 しかし栄養はがん細胞に取られてしまうためか、アニキはずっと痩せたままであった。
どこか体の一部が動かないわけでも無く食事も普通に取ることが出来るため、自宅にいると凄くヒマに感じるのだろう。何を考えていたのやら抗がん剤治療を始めてからしばらく喫煙をやめず、自宅療養中にも関わらずヒマすぎると感じパチンコもしていたそうだ。 白血球数が少ないことを自覚出来ていないかったのだろう。 免疫力が低下しているのでなるべく表にも出ない方が良いのだが、コンビニ弁当も買いに行ったりしていたと言うので呆れる。
確かアニキの奥さんが帰国した2007年後半にタバコをやめたのだったと思う。やめたと言いつつ手がタバコ臭いことがあり、奥さんと喧嘩になった。
2007年の5月から始まった闘病生活は続き、体調は相変わらずだがアニキは2008年を迎えることが出来た。 入退院の繰り返しの中で、アニキは勤めていた電子機器関連の会社に何度か顔を出していたそうだ。
闘病生活は合計1年8ヶ月に及んだが、俺はその間アニキの会社がどういう待遇をしてくれているのかが気になっていた。
俺は別の会社で働いているから内情は知らないが、話を聞いてるだけでも言葉では表せないぐらい社員思いの会社である。もし雇ってくれるのならアニキが抜けた分頑張らせてもらいたいぐらいだ。アニキほど俺は能力が高く無いかもしれないが。。。
その会社を表すためにあえて言葉を探すなら「義理と人情の会社」が近いかもしれない。
闘病生活開始の2007年5月から2008年11月まで籍を置いてくれると言うことで給料も出してくれていたのだが、その11月の時点で会社から言い渡されたのは「2009年の3月まで現役、それ以降も回復して働けるようになったら復帰可能」、普通の会社じゃ考えられない。 もちろんアニキの功績も考慮してくれているのだが、何て思いやりのある会社だとこの話を聞いただけでも涙が出そうになった。 この言葉のお陰でアニキはめげずにガンと戦うことが出来たのかもしれない。 本人も絶対に回復して元の生活に戻ると思い込んでいた。
病気と闘うためには希望が非常に重要なのだ。
現在の病院で可能な治療はたった3つ。手術・放射線治療・抗がん剤治療。その他自然療法・免疫療法などもあるが。 抗がん剤に関しては150以上もの種類があり、専門家もほとんど居ないという話を聞いたことがある。
誰にでもガン細胞はあると言う。細胞分裂の時に正しく複製されなかった細胞がガン細胞になるそうだ。 1日当たりに5000個前後のガン細胞ができるらしいが、免疫細胞がガン細胞を殺しその増殖を抑えているという。 誰の体でもそれを毎日繰り返しているとテレビで言っていた。
原因は様々だが、体が弱りガン細胞を殺すことが出来なくなった時に増殖してしまうとのことで、免疫力の低下がガンの原因の一つとのことである。
精神的なストレスなども良くないのだろう。