何処まで行っても逃げてやる サイレンススズカ | ハレーションゴースト

何処まで行っても逃げてやる サイレンススズカ

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上記画像はJRA50周年記念ページから。

1994年5月1日、父はサンデーサイレンス、母はワキアから栗毛のサラブレッドが誕生しました。

当初父親はバイアモンの予定でしたが失敗そのあと、トニービンの予定でしたが
交配日の予定が合わずに、サンデーサイレンスとなりました。

父は後に種牡馬として有名なサンデーサイレンス。
そのサンデーサイレンスから栗毛が生まれることは珍しかったようです

競走馬としてデビューをし、デビュー戦を7馬身差で勝ち。
将来を期待されていましたがアクシデント等からしばらく勝つ事ができませんでした。

そして競争時に戦法として
「逃げ」(スタートから先頭を走り続ける)を選択してから変化が現れます。

驚異的な速度から「逃げ」ではなく
「大逃げ」というスタイルに変わりレースに勝って行きます。

「逃げ」という戦法はずっとハイペースで走れば良い訳もなく
スタミナや気力も関係し、また芝の上ですから骨折などの怪我の不安もあります。

平成10年11月1日東京11レース1枠1番1番人気で
秋の天皇賞に出走したまま、サイレンススズカは
レース中に故障が発生し安楽死処分となりました。

故障の理由はわかりませんが一般的には
あまりのスピードに骨が耐えられず疲労骨折したのではという理由。

でも、武豊旗手の「原因は分からないのではなく、ない」
というのは自分もそういう気がしてしまいます。

最後の天皇賞のとき、勝利したオフサイドトラップという競走馬は
母ワキアと交配する予定のあったトニービンだったという事が
少し色々な想像をさせてしまいます。

1998年(平成10年)毎日王冠
実況、青嶋アナのゴール後の台詞が記憶に残ります。
http://www.youtube.com/watch?v=ulekp5jedFM

サイレンススズカが亡くなった翌年
1999年宝塚記念のレースのスタート前に
杉本清アナウンサーの言葉は当時かなりうるっときました。


いつまでも、そして何処までも先頭だった、
一年前のサイレンススズカのゴールが思い出されます。

貴方の夢はスペシャルウィークか、グラスワンダーか。

私の夢はサイレンススズカです。

夢叶わぬとはいえ、
もう一度この舞台で、ダービー馬やグランプリホースと走って欲しかった...

http://nl.amatz.com/video/sm3135712



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