期待するということ






こうなってほしいな、



という未来への期待を抱いて



1人妄想にひたってしまうこと、



ありませんか?




(なかなかレアなのかもしれない笑)



妄想遊びのはずが、



つい、妄想通りの未来を期待して。



こうあってほしい



こうあるべきだ、という



未来予想図を



勝手に描いて。



楽しくなって。



でも、



叶わない現実がやってきたりすると




がっかりして、




不足を感じさせられる。




妄想遊びの弊害。








子育てしてたころの期待。



夜、しっかりねてほしい。



おっぱいもっと飲んでほしい。



泣き止んでほしい。



1人の時間がほしい。



夫にもっと手伝ってほしいし



関心を持ってほしい。



お金がもっとほしい。





こんな毎日じゃダメ。




手がかからない子じゃないとダメ。




優しくて子煩悩なパパじゃないとダメ。





期待した未来じゃないと

ダメー!





期待通りにいかない苦しさ。



わたしのなかの



固定観念が



良しとする片面だけしか



認めない!



ことが原因。たぶん。



執着。



しんどかったね。











夜、寝れなくていいよ。



おっぱいも飲まなくて大丈夫。



ミルクでいいやん。



泣いてたって。



夫が手伝ってくれなくても



関心もってくれなくてもいいやん。



わたしがわたしを助けるやん。



そんな柔軟なこころでいたい。








わたしの中の



こうであるべき。



価値観の裏側。



期待する未来。



成功と失敗。



善と悪。



片側だけでなく、



その両側に



比べようのないとびきりの価値を




見出せたとき。




期待や、ジャッジが消えて




苦しみが




とけていくような。




そんな瞬間がやってくる。










いま


子育てに辛さや苦しみを感じる



ママにも



この瞬間を、



見てもらえたらいいな。