荒れ狂った情報が大量に押し寄せ、劇的なことが起こりまくる世界の中で、光を保つために、光を強くし維持するために、僕が実践してきたことを書いていく連載。
◎自分と他者の違いに対して自覚的になる
ぶっ倒れるまでは、自分と他者の違いが、よく分かっていなかった。
『自分と同じ』という感覚が、とても強かった。
『同じ』ってのは、どういうことかと言うと。
俺が『うっわ、いいな、これ!』と感じるものは、他者も良いと思うに違いない🌟
とか
俺が好意を抱いて付き合っているのだから、相手も俺には好意があるに違いない!(これは男女間の恋愛に限らず、仕事で会う人や友達、知り合いなど、あらゆるすべての人が対象になっている)
とか
俺が見つけた改善点を伝えれば、相手もその改善によって良くなることがすぐにわかるだろう!
とか
まぁ、このようなことです。
『否定』が起きないだろう、という感覚。
だから『否定』が起きると『なんでだ!』って怒っちゃうという、ね。
こうして見ると、めちゃくちゃ危険人物だよなぁ。
職場では、後輩にいくら教えても教えても成長しないときなんて、本当に心底理解できなかったので、めちゃくちゃキレていた。本当に、大変危険な人だった。
理解する力、それを実行する能力、現場での判断力。
そういったものも、基本的には『同じだ』と思っていたのだ。
同じではなかった場合でも、伝えれば、訓練すれば、同等になる!と完全に確信していたのだ。そうならないわけがないじゃないか!という感覚が強烈にあった。
けれども倒れてからというもの、第1回〜第3回で書いたような変化を生活に取り入れていき、少しずつ『何か』が変わっていったのだろうな、と思っている。
倒れてからの緩やかな変化の中で、とても巨大な衝撃を受けることがあった。
これをきっかけにして
『自分と他者は、全然違うんだ!!!!!』
と、初めて実感として強烈に体験できたのである。
家族の中に、演劇・舞台を観るのが好きな者がいる。
自分は一度も観たことがなかった。
俺は本ばかり読んでいた。
急に興味が湧いて、尋ねた。
『これまで観た中で、めちゃくちゃ面白かった舞台って、何?どうせ見るなら、それくらい面白い舞台を観たいんだが、そんなものが都合よくあったりする?』と問うたところ、僥倖としか言いようがない、素晴らしい機会と噛み合った。
あまりにも素晴らしくて好評を博しており、何回も再演している舞台が、都合よく、数ヶ月後に再演するという。ラッキー🌟 早速チケットを取ってもらい、観に行った。
観た。
とんでもなく面白い舞台であった。
舞台の面白さが、とてもよくわかった。
こんなにおもろいのか!舞台は!!
とにかくもう、とんでもない衝撃を受けた。
感動した。
興奮した。
劇場を後にして、喫茶店か何かに入って、感想を述べ合った。
すると、どうしたことか、何回も観ている家族は『おもしろい!としか言えない』と言うではないですか。
こちらとしては『え?どうして?◯◯の場面で◯◯が△△するシーンの◆◆の演出の凄さとか、そういう細かい感想、あるでしょ?』などと興奮冷めやらぬ俺は、捲し立てるように改めて問うた。
『いやいや、そんな細かいところわからんよ。すごい場面だなぁ、とは思うけどね』という返答。
大変に困惑しました、私。
少なからず家族であり、血縁であるわけで、つまりは『似ている』要素でできている生命体であるにも関わらず、かつ、『面白い!』つって何回も観ているにも関わらず、『面白い!』って感想しか持っていないの??????
WHY????????
ってなりまして、虚無空間に突き落とされたように呆然としてしまい、なんか、腑に落ちたんですわ。
人って、全然違うんだな(家族であり、かつ、めっちゃ観ている人であっても、初めて体験する俺とは感想が天と地ほども離れており、観ている箇所も何もかもが違うんか!!!!)
と、激震です。
ここから『俺と他人は、全然違っているぞ?』という前提が、ようやく芽生えたのだ。
それまでの人生は『同じだ』と思っていたが故に『なぜ同じじゃないんだ?!』というもどかしさ、悲しさ、怒りで生きていた。常に怒りの対象がそこら中に溢れていた。
けれども、全然違うんだ、って初めて理解できる体験をした。
ここから劇的に変わっていった。
とはいえ、染み付いた信念体系のクセが簡単に変わるわけではないので、その後も同じ失敗を何度も繰り返しました。
つい『自分と同じだ』と思って行動してしまうクセには、随分と翻弄されてきました。
現在では、だいぶ自分に浸透してきたと思っている。
『違っている』ことを前提に、とても円滑に生きている。
違いが受け入れにくい事態も起きるのだけれど、それはそれで修行は続く。
ところが。
まだ『違っている』ことが、だいぶ分からない領域がある。
ということに気づいた。
これはちょっと複雑なのだ。
・自分のやれること/やれないこと/やりたいこと/やりたくないこと
・自分の好きなこと/好きではないこと
・自分が自然に考えてしまうこと/すぐ実行できること/苦労なくやれること/自然に考えてしまうけれど実行すると苦痛なこと
・主観と客観
などといった『内面の特徴』という領域の話。
これを書き出すと、非常に長くなる。
この連載の一番最後の方に書く内容かも。
とても最近の気づきなので。
そんなわけで。
最近のテーマは『ちゃんと分割すること』なのである。
しかしあれだ。
『ちゃんと分割すること』だと、外界の話も含んでしまうね。
それは本当に自分で考えたことで、望んでいることなのか?
誰かの考えをトレースしているだけで本当に自分の魂が望んでいることではないのではないか?
自分の傷を直視して向き合うことをせずに、それらしい大言壮語や、魅力的に見える言葉などに飛びつき、覆い隠しているだけなのではないか?
などといった領域まで含んでしまう。
ここらへん、もっと検討します。
『信念体系の変化』は、しっかり下書きして書く内容を整理しないと、他の要素と混ざっちゃうなぁ。
続く