荒れ狂った情報が大量に押し寄せ、劇的なことが起こりまくる世界の中で、光を保つために、光を強くし維持するために、僕が実践してきたことを書いていく連載。
 

 

 

 

  ◎自分と他者の違いに対して自覚的になる


ぶっ倒れるまでは、自分と他者の違いが、よく分かっていなかった。

『自分と同じ』という感覚が、とても強かった。

 

 


『同じ』ってのは、どういうことかと言うと。

俺が『うっわ、いいな、これ!』と感じるものは、他者も良いと思うに違いない🌟

とか

俺が好意を抱いて付き合っているのだから、相手も俺には好意があるに違いない!(これは男女間の恋愛に限らず、仕事で会う人や友達、知り合いなど、あらゆるすべての人が対象になっている)

とか

俺が見つけた改善点を伝えれば、相手もその改善によって良くなることがすぐにわかるだろう!

とか

まぁ、このようなことです。
『否定』が起きないだろう、という感覚。

だから『否定』が起きると『なんでだ!』って怒っちゃうという、ね。
こうして見ると、めちゃくちゃ危険人物だよなぁ。

 



職場では、後輩にいくら教えても教えても成長しないときなんて、本当に心底理解できなかったので、めちゃくちゃキレていた。本当に、大変危険な人だった。

理解する力、それを実行する能力、現場での判断力。
そういったものも、基本的には『同じだ』と思っていたのだ。

 

同じではなかった場合でも、伝えれば、訓練すれば、同等になる!と完全に確信していたのだ。そうならないわけがないじゃないか!という感覚が強烈にあった。

 



けれども倒れてからというもの、第1回〜第3回で書いたような変化を生活に取り入れていき、少しずつ『何か』が変わっていったのだろうな、と思っている。

 



倒れてからの緩やかな変化の中で、とても巨大な衝撃を受けることがあった。

これをきっかけにして

『自分と他者は、全然違うんだ!!!!!』

と、初めて実感として強烈に体験できたのである。
 

 


家族の中に、演劇・舞台を観るのが好きな者がいる。
自分は一度も観たことがなかった。
俺は本ばかり読んでいた。

急に興味が湧いて、尋ねた。
『これまで観た中で、めちゃくちゃ面白かった舞台って、何?どうせ見るなら、それくらい面白い舞台を観たいんだが、そんなものが都合よくあったりする?』と問うたところ、僥倖としか言いようがない、素晴らしい機会と噛み合った。

あまりにも素晴らしくて好評を博しており、何回も再演している舞台が、都合よく、数ヶ月後に再演するという。ラッキー🌟 早速チケットを取ってもらい、観に行った。

 

 


観た。
とんでもなく面白い舞台であった。
舞台の面白さが、とてもよくわかった。
こんなにおもろいのか!舞台は!!
とにかくもう、とんでもない衝撃を受けた。
感動した。
興奮した。
 

 


劇場を後にして、喫茶店か何かに入って、感想を述べ合った。
すると、どうしたことか、何回も観ている家族は『おもしろい!としか言えない』と言うではないですか。

こちらとしては『え?どうして?◯◯の場面で◯◯が△△するシーンの◆◆の演出の凄さとか、そういう細かい感想、あるでしょ?』などと興奮冷めやらぬ俺は、捲し立てるように改めて問うた。

『いやいや、そんな細かいところわからんよ。すごい場面だなぁ、とは思うけどね』という返答。

 

 


大変に困惑しました、私。

少なからず家族であり、血縁であるわけで、つまりは『似ている』要素でできている生命体であるにも関わらず、かつ、『面白い!』つって何回も観ているにも関わらず、『面白い!』って感想しか持っていないの??????

WHY????????

 

 


ってなりまして、虚無空間に突き落とされたように呆然としてしまい、なんか、腑に落ちたんですわ。

人って、全然違うんだな(家族であり、かつ、めっちゃ観ている人であっても、初めて体験する俺とは感想が天と地ほども離れており、観ている箇所も何もかもが違うんか!!!!)

と、激震です。

ここから『俺と他人は、全然違っているぞ?』という前提が、ようやく芽生えたのだ。
 

 


それまでの人生は『同じだ』と思っていたが故に『なぜ同じじゃないんだ?!』というもどかしさ、悲しさ、怒りで生きていた。常に怒りの対象がそこら中に溢れていた。

けれども、全然違うんだ、って初めて理解できる体験をした。

ここから劇的に変わっていった。

とはいえ、染み付いた信念体系のクセが簡単に変わるわけではないので、その後も同じ失敗を何度も繰り返しました。

つい『自分と同じだ』と思って行動してしまうクセには、随分と翻弄されてきました。

 



現在では、だいぶ自分に浸透してきたと思っている。
『違っている』ことを前提に、とても円滑に生きている。
違いが受け入れにくい事態も起きるのだけれど、それはそれで修行は続く。

 



ところが。
まだ『違っている』ことが、だいぶ分からない領域がある。
ということに気づいた。
これはちょっと複雑なのだ。

・自分のやれること/やれないこと/やりたいこと/やりたくないこと

 

・自分の好きなこと/好きではないこと

 

・自分が自然に考えてしまうこと/すぐ実行できること/苦労なくやれること/自然に考えてしまうけれど実行すると苦痛なこと

 

・主観と客観

などといった『内面の特徴』という領域の話。
これを書き出すと、非常に長くなる。
この連載の一番最後の方に書く内容かも。
とても最近の気づきなので。


そんなわけで。
最近のテーマは『ちゃんと分割すること』なのである。

 

 


しかしあれだ。

『ちゃんと分割すること』だと、外界の話も含んでしまうね。

 

それは本当に自分で考えたことで、望んでいることなのか?
誰かの考えをトレースしているだけで本当に自分の魂が望んでいることではないのではないか?
自分の傷を直視して向き合うことをせずに、それらしい大言壮語や、魅力的に見える言葉などに飛びつき、覆い隠しているだけなのではないか?
などといった領域まで含んでしまう。


ここらへん、もっと検討します。
『信念体系の変化』は、しっかり下書きして書く内容を整理しないと、他の要素と混ざっちゃうなぁ。

続く

 

 

荒れ狂った情報が大量に押し寄せ、劇的なことが起こりまくる世界の中で、光を保つために、光を強くし維持するために、僕が実践してきたことを書いていく連載。

 

 

 

 

  ◎使う言葉を変えた。


これを意識し始めたのは、倒れた直後くらいだったと記憶している。

まず取り組んだこととしては……

 


開口一番『すみません』というのを止めること。
先に言うのは『ありがとうございます🌟』にすること。


誰かに親切にしてもらったりすると、
真っ先に『すみません』と言ってしまう。
周りを観察していても、この傾向が強い。

これをやめた。
何がきっかけだったかは覚えていないけど、納得したのだ。

 


『すみません』から入ると、卑屈になってしまうのだ、気持ちが。
申し訳ない気持ちが先行していく。
その後に『ありがとうございます』を言っても、先行した申し訳なさのエネルギーに引っ張られた状態であるように感じられる。

誰かに親切にしてもらったら、
まず最初に『ありがとうございます🌟』と感謝の気持ちを出す。
そうすると卑屈さの『すみません』が出てこなくなる。
出ても、感謝のエネルギーになっている。
『まず先に感謝のエネルギーを出す』ということは、想像以上に大きな影響をもたらす。

これ、とても大事と実感している。

 


あとはごく当たり前なのだけれど、
ネガティヴな言葉を使わないこと。
例えを挙げるのも控える。

使う言葉は、どんな状況であっても、ポジティヴにする。
つい、仕事での愚痴や文句やらを誰かにこぼしてしまったり、納得できないことを否定しちゃったり、ってのは、なかなか突破できないのだけれど、その中でも使う言葉は慎重に扱うことを心がけている。勢い余って言葉にしてしまうと、急激に自分の状態が下降する。

これは『自分が意識しているから下がったと感じる』のかもしれない。
しかし『意識していなくても影響はある』と思う。

『実感がなくても、起きている』ってやつである。


『言霊』という概念があるけれど、本当だと思う。
この話をしだすと『周波数』の話になっていく。
『周波数の話』は、今回のテーマではないので、いつかどこかで機会があれば。

 

 

 

  ◎テレビを見ない

 

元々テレビは見ない。

映画も、YouTubeも見ない。

とにかく動画を見ないんである。


それでも子どもの頃から社会人になるまでは見ていた。
社会人になって、仕事仕事で忙しくなって、見なくなった。

忙しくて、疲れている時にまで、見たいものではなかったから。
優先順位が、とても低い存在だった。
テレビを見るくらいなら、本を読みたかった。

 


こんな理由でテレビとは無縁の生活になっていったが、中華料理屋とかに行くと、店内でテレビが点いていたりするので、やむをえず、見るというか、浴びることになる。

この時、非常に不快になる頻度が高いと気づいた。

 


とにかく『うるさい』のである。

 

 

効果音やBGMが頻繁に鳴り、常に大笑いしているような番組が多い。
画面内には、常時セリフが表示され続ける。
『動くものに注意が向いてしまう習性』のようなものを巧みに導入しているのだなぁ、と感じられる。
『考える時間を作らせない』とも言い換えられそう。

この点だけ取り上げると、最近は TikTok やショート動画など、とにかく短時間で画面が切り替わり、大量の刺激を盛り込むタイプが蔓延しているように見受けられる。あとは流行りの音楽をたまに耳にすると、曲調の転換が多く目まぐるしい変化を含んでいると感じた。
『ゆったり』とか『のんびり』とか、何か、そういったものとは程遠いメディアの潮流が出来上がっており、それに多くの人が呑み込まれているように見える。

 


閑話休題。

 


ニュース番組も、地味に厄介。
大抵、悲惨なものばかりが話題として取り上げられている。
陽気で明るい話題が少ない印象。
ニュースキャスターも感情を込めて、とても沈鬱なトーンで話している。

何かの被害を生々しく伝えているものも多い。

もう、もんのすごーーーーく、エネルギーが悪くなる。
飲食店で、夕方のニュースで、暗い暗いのが流れていると、大失敗と思うし、テレビを消してくれと叫びたくなる。消してくれとお願いしたことは、まだない。我慢している。←

 


一方。
うちの母親はテレビ大好きで、毎日ずっと見ている。
録画しているものがたくさんあって、全部を見たいから、全てを早送りで見ている。ドラマも、バラエティ番組も、すべて等しく早送り。
ただただ感心する。すげぇな、テレビって、と思う。

1日の中でテレビが占める割合は、だいぶ変わってきていると思うのだけれど、それでも、こんな風にテレビばかりを見てしまう人は多くいるのだろうし、その人たちにとっては非常に影響力が大きいものなのだな、と感じている。


波動を軽くしたいとか、なんか、そういう風に意識している人がいたら、テレビを止めることからスタートさせても良いんじゃないかしら、と思う。

続く

 

 

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  ◎洗剤を変えた。

 

食べ物のことは、昔からなんとなく『良いもの/悪いもの』に区分けされるのだろうなぁと思っていたのだけれど、ある時、洗剤のことを知った。

 


一本の動画を見たのだ。

なぜこれを見たのだったか覚えていない。

 


内容は、金魚が入っている水槽に、食器用洗剤を数滴垂らすもので、洗剤=界面活性剤の毒性について紹介しているやつだった。数分後に、金魚は水面に浮かんできてしまう。

 


これを見て、怖くなった。
こんなものをジャブジャブ使って垂れ流しまくっているのだ、日本中あらゆるところで!!一般家庭で使われている洗剤よりも、飲食店で使われているものはより強力。食品加工の工場なんかはもっと強力であろう。と広範囲のことが浮かんだ。魚介類もヤバいのでは?と思った。

 


自分一人が界面活性剤をやめたところで、大勢に影響があるわけじゃないが『知ってしまったら元には戻れない重大な事柄』として焼きついてしまった。

 


界面活性剤は食器洗いだけではなく、衣服の洗剤にも、風呂場で使う洗剤にも使われている。

まずは食器用から変えた。これは変えやすい。
自然派のものが、あちこちで売っているので入手しやすい。

風呂場で使うものも、変えやすい。
これはもう石鹸に一本化した。
髪の毛は『湯シャン』である。夏場は石鹸を用いる。

一番ハードルが高かったのは洗濯である。
それまで洗う用、黄ばみ用、柔軟剤、と多くのものを使っていた。

 


習慣になってしまうと、なかなか変えるのが難しい。
『信念体系を変える』ことだから、最初の一歩まで時間がかかった。

 


そんな折、女友達とご飯に行くことになったのだが、運よくセスキ炭酸ソーダ等を活用しているタイプの人だったのだ!!導きであったなぁ、と思い返すたびに思う。

この子は、旦那さんがデカい会社に勤めていて、かなりリッチな生活をしている。リッチな人たちってのは、なんだか自然と『上質な生活』にシフトしていくようで。

『環境にやさしい』という点で、セスキ炭酸ソーダだけでなく、重曹やクエン酸なども駆使して、雑誌に載っているような素敵生活を送っていたのだ。

 


HAL さんなら、やれると思うよー!

 

と言ってくれて、わかりやすい本を紹介してくれた。
買って、読んだが、最初は難しく感じた。

アルカリと酸で洗う本
https://kaiin.hanmoto.com/bd/isbn/9784884162009

 


とにもかくにも『セスキ炭酸ソーダ』で洗うのだ、ということはわかったので、買って、使い始めた。

以来、ずっと『セスキ炭酸ソーダ』で洗濯している。
最初の頃は、毎回数時間漬け置きをしていたけれど、最近じゃもう浸け置きなんぞせずに、いきなり洗っている。特に匂いが残っていることもない。

襟周りなどは、石鹸でゴシゴシ洗ってから洗濯機。

 


このように界面活性剤を使わない生活は、心の負担が軽い。
健やかに洗いもの等ができる。

 


しかしコロナ禍に突入して以降、洗剤の香料が格段に強烈になったため、非常に臭い。つらい。
界面活性剤とセットになっている割合が高い『人工香料』からも自然と遠ざかっていたため、嗅覚が敏感になったのだ。

長時間続く香料にはマイクロプラスチックが用いられている、という情報も知ってしまって、最近の香料の強烈さに愕然としている。

 


自分の生活は健やかになっているが、
社会生活を送る上では、外出するだけで臭い。悲鳴をあげる。
住宅街を歩くだけで、臭い。つらい。
人に会うのもしんどい。
帰宅すると、衣服や髪の毛に匂いがくっついてくる。厄介。

『とにかく物を売るための商品作り=ビジネスになれば健康被害なんざどうでもいい』社会の状況などまで考えるに至り、界面活性剤を使わない&人工香料から遠ざかる、というのは、なかなか大変な取り組みになっている。

 

 

 

  ◎衣服を変えた

 

肌に触れる衣服は、化学繊維のものをやめた。
綿、麻、毛。自然素材。

特に冬場は寒さゆえ、化学繊維に傾く。
しかし、ヒートテックから離れて、ウール素材の肌着にした。
ウールは匂いを吸着したあと、放出しにくいとのこと。
化学繊維よりも、匂いは気にならないよ。
登山する人たちは、化学繊維よりもウールを身につける。
化学繊維は、汗を吸ったあと、からだを冷やす。

あとは、ボーダーを着なくなった。
上下に流れるエネルギーを輪切りにする効果があるそうな。
囚人の服が、ボーダーである。
自分は『なるほど!』と思ったので、やめた。

これくらいかな。

続く

 

 

荒れ狂った情報が大量に押し寄せ、劇的なことが起こりまくる世界の中で、光を保つために、光を強くし維持するために、僕が実践してきたことを書いていく連載。

 

 

 

 

  ◎ 心身を壊すこと

 

いきなりこんな見出しで申し訳ないんだけど、意図的に実践したわけではないのに、これがなかったら、今の俺は存在していないのだ。それくらい重要なターニングポイントになったため、外せない。ここから始まった。

 

2010年、ちょうど15年前、今くらいの時期だった。

 


無理をしすぎていることに無自覚で、極限の先の先まで行ってしまい、ぶっ倒れる。

このパターンで『精神世界』へ足を踏み入れている人は、結構な割合でいるように見受けられる。

 


倒れることですべてが停止して、寝床の上で、否が応にも『それまで』を振り返らざるを得なくなる。そうして、意識や振る舞いや、在り方が変化していく。

 


別パターンでは『巨大な天災や事故・事件(9.11 や 3.11 など)』がきっかけになっている人も多いように感じられる。

 


いずれにしても言えるのは『これまでの価値観を、とんでもないパワーでぶち壊される体験』ということだろうか。

上記のような体験をせずとも、変化していった人はいるのだろうけれど、自分にとっては非常に貴重で重要な体験だったので、まず一番に記した次第。
 

 

 

 

  ◎ 食事を変えること

 

倒れてから、食事を変えていく流れができた。

回復していく過程で、親から『良い出汁』をもらったこと、そこからの変化をよく覚えている。

それまではコンビニ弁当、インスタントラーメン、スナック菓子などが主食のような生活だった。倒れてから回復する過程でも、この時までは、ジャンクなものを摂取していた。

せっかく『良い出汁』をもらったのだから、自分で味噌汁を作ることにチャレンジしてみよう!と思い立った。

作ってみると、なんとまぁ!!

美味しいこと美味しいこと!!

 


それまではインスタント味噌汁が最強だと思い込んでいたのだけれど、初心者が作った味噌汁であっても、インスタントとは雲泥の差であることを痛感した。

口に入れた瞬間、からだが喜ぶのだ。
おい、しいぃぃぃ〜〜〜〜〜!!!!
ってなる。

 


この強烈な体験からインスタント味噌汁を離れ、自分で味噌汁を作るようになっていった。

どうせ作るなら、と生産者のこだわりがある、上質な味噌にしようと意識が向き、味噌以外の調味料、食材にも意識が向いていく。いわゆる『オーガニック』と呼ばれるような方向性や、昔ながらの製法のものなどである。

 


その後、食品添加物を避けるようになる。
特に人工甘味料、着色料、保存料など、人体に有害であると一部で取り上げられているものを摂らぬよう、原材料名をチェックするようになった。

 


フッ素も取り除いた。
『松果体が石灰化する』という情報を得たためだ。
フッ素入りの歯磨き粉を捨てた。フッ素が入っていない歯磨き粉をいろいろ試した結果、現在は重曹に落ち着いている。
フライパンをフッ素コーティングされていない鉄製のものに交換した。炊飯器もやめ、ステンレスの鍋で炊いている。土鍋は時間がかかるので採用していない。

 


次第次第に、肉食をやめる、お酒をやめる、小麦粉をやめる。という道を歩む。


IH を使わない。電子レンジを使わない。という道にも進んだ。

 


食べ物は、自分の細胞を作るものだ。
添加物まみれのものを食べていれば、細胞までもが添加物にまみれてしまうことだろう。そのような状態で、いくら瞑想しようが、良い行いを心がけようとも、あまり効果は見込めないのではないだろうか?と想像している個人的見解。細胞がプリップリのピッカピカである状態と、そうでない状態ならば、変なものが混じっていない方が、良いエネルギー状態に近づけるのではないか?と考えるからだ。

 


このように長い時間をかけて食事に関することを変えていくと、『変なもの』がわかるようになってくる。口に入れた瞬間に『あ、やばいやつ食べちゃった!』などと気づける。『識別力が高くなる』と言えるのかもしれない。

もしかすると、場所や人などについてもアンテナの感度が変わってくるのかもしれないが、この点については観察を怠っていたので、自分なりの感想も書けない。しかし、大いにあり得そうだな、と書いていて初めて気づいた。



意外と長くなってしまうものだなぁ。
続く

 

 

地表では日本でも世界でもあれこれ起きているし、天体の動きも激しくて、『ニュース』を見ていると、悲観的な気持ちやら怒髪天を衝くような気分になっちゃう人の割合が多いのであろうなぁ、と想像している。

 

 

僕は The Portal という英語の情報源を、地球を生きていく上での重要な情報(かなりたくさんの情報と比較精読した上で生き残った情報が、これだけだった)として読んでおり、記事の中で提示されていることをあれこれ実践してきたし、情報拡散に努めてきた。(HAL というハンドルネーム自体が、情報拡散のために作った名前だ)

 


ここ数年は情報発信から遠ざかっている。理由のひとつとして『世界同時瞑想』という取り組みが減少したことが関連している。

 


僕の情報発信は『広く伝えるための解りやすい情報に変換する』という行為だったので、『世界同時瞑想』の頻度が減るにつれて、発信する事柄が減っていった。

 


The Portal からは継続的に情報が発信されているが、これらを随時『広く伝えようと解りやすく変換する行為』は、大変な労力を要する。専門用語が多いし、次々に新しい専門用語や背景も登場するため、かなりの量の補足情報も添えなければ『広く伝える』というのは、達成しにくい。

 


有料で提供するのは、なんか違うのだ。
情報が欲しい人だけがお金を払うのだろうから、それでも良いのだろうけれど、自分の中では、どうにもバランスが取れない。
有料ブログを書くことが『俺のやりたいこと』ではないからだ。
地球解放を目指すのは大前提としてあるが、それはそれとして、自分が現実世界で実現させたいこと、やりたいことは、他にたくさんあるのだ。物理的に動き回っていないとダメなのだ。マグロみたいな生態なのである。

そしてさらに言えば、いろんなことを掛け持ちできない。器用ではない。『物理次元で実現させたいことをやりつつ、情報発信もやる』ってなぁ、ちょっと、無理。キャパシティを超えすぎており、すぐに挫折するのが見えている。

 

 

ちなみに上記は、有料ブログを書いている人を批判してるんじゃないでね。

俺にはできないんじゃ、っつー話なだけです。

得意、不得意がある。

役割の違いも、ある。

あと、役割も、時代によって、変化していくよ、マジで。

 

 

そんなわけで発信から遠ざかって遠ざかって、すっかり見えないほどの距離になっていたのだけれど、なんだか、急に、ここへやってきた。

 


『特定の情報源から発信されている情報』ではなく、
『自分の実体験』を書こう。

 


と、なんだか急に思ったのだ。

 


前回のブログと同じパターンで『あ、書こう』ってなった。

 


どんなパターンかというと、仕事で頭がパンパンになって、ヘロヘロになっちゃったんで、寝転がって『コマンド 771』を唱えて、感情体(アストラル体)の浄化とヒーリングを受け取ります!と宣言して、30 分のタイマーをかけ、夢現のような眠りと覚醒の合間を漂ったあと、『あ、書こ』ってなってるんである。

 


面白い体験。
771 で何か違う処置が施されているのだろうか?

 


それはさておき。

 


荒れ狂った情報が大量に押し寄せる世界の中で、光を保つために、光を強くし維持するために、僕が実践してきたことを書いていく。

 


一気には書けないので、
数回に分けて書くことになる。

 


これらの情報が少しでも誰かの役に立てれば幸いである。

 


続く

 

1月に書いたっきりでしたアメブロ。
書かなくちゃ!という気に、急になったので、書きます。

発信の少ないライトワーカー界隈ですから、
誰がどう過ごしているのか、さっぱり判りませんが、
皆さん、お元気でしょうか?

僕は、まぁまぁ、そこそこ、元気です。
やること多くて、ちょっとへばってる6月冒頭です。

もう6月なんですねぇ!
5月の終わり頃は『5月が終わるなぁ』と思ってたけど、
6月になってみると『え?!6月なの?!』と驚く。
数字が変わっただけなのに、妙な気分。

5月の連休に開催された京都ウエサクワークショップは諸条件が噛み合わずに参加を断念しました。参加されたみなさんに感謝です。どうもありがとうございます🙏✨✨

SNS投稿もできていないんですが、こうして生きていますし、地球解放活動は、地道にコツコツ続けております。

3月末に海王星が牡羊座に移動して、
5月にゃ土星も牡羊座に移動して、
6月は木星が蟹座に移動しますし、
7月には天王星が双子座に移動する。

社会的影響の大きい木星以遠の天体が部屋を移動しまくりなので、
皆さんにも大きな影響が出ているのでしょうね。

最近の体感としては、
5月のウエサク満月、ウエサク活性化世界同時瞑想を過ぎてから、
急に体感速度が遅くなったような印象です。
5月後半が、めっちゃ長かった。

5月前半までは、恐ろしいほどのスピードで進んでいた。
内容も濃密で、息継ぎをする暇もないような目まぐるしさだった。

それがウエサク活性化のあと、
急に遅くなった。
そして内容は、より濃密になっているかも。

形容詞に置き換えてみると、
5月前半までは、速くて、忙しなく、慌ただしい。
5月後半からは、重く、大きく、ゆっくり、じわじわ。

HAL は、こんな感触です。
皆さんは、どうですか?

ここから7月前半の天王星移動まで、
どんな流れになるのか、皆目わかりませんが、
なんか、どでかい変化の兆しであるように感じてます。
うまく言葉にできないんですけどね。

5月前半までは『急げー!!』と急かされていたのかな?
でかい変化が起きるから、悠長にしてられないぞ!
どんどん動け、どんどん本質に近づけ!
と促されていたのかもしれませんね。

それがウエサク活性化によって、
大きな流れが変わったんでしょう、たぶん。

『はい、変わりますよ〜。
 変わりますからね〜。
 もう、とんでもない変化になりますよ?
 すんごい変化だから、存分に味わってね!!』

って感じだろうか?
わからんですけどもね。
書きながら直感で言語化してます。

5月前半までに、どのように取り組んできたか。
それによって、5月後半からの体感に差が出るのかな。

古いもの、執着していたものを手放せたか、削れたか。
軽やかに居られるよう、自分の中と向き合い続けたか。
自分が、何に対して引っ張られているのか、見極めたか。
自分の行動が、俯瞰したときに、どのようなものになってるか、冷静に観ることができたか。
外の情報に惑わされず、落ち着いて内側に居続けられたか。

なんて取り組みが、できているか?
という答え合わせのような時間に入っているのかな。
などと書きながら思いました。

答え合わせってのは、
『身の回りで起きる出来事によって、
 感情が揺さぶられる体験として起きていること』
として書きました。

今日まで、苦手なことを突破する取り組みができていたら、
ヘヴィな場面は少なくなるかもしれません。
いや、突破する壁が終わることはないんですけど。
それでも、少し、負担は減るのかな、という期待です。
『答え合わせ』という視点だと、正解に近づけているってことなのかなと。

うまく取り組めていなかった場合、
ヘヴィな場面が引き続き起きて、
『答え合わせ』という視点だと、正しく回答できていない、ってことなのかもしれません。

わかりやすくなればと思って『答え合わせ』なんて書いちゃいましたが、正解だから良いとか、悪いとか、そういうことが言いたいわけじゃありませんでね。そもそも『正解』なんて決められないと思ってます。『現時点での、ひとまずの正解のようなもの』と認識できるだけで、時間経過でまた変化していくものだと思ってます。

なので。

いま、軽やかになれてきていると感じてる人。
これまで、がんばった!!
よくやった🌟
えらい✨✨
引き続き、その調子で行っちゃいましょう🍀

いま、かなりヘヴィな状況が続いている人。
少し休んで、状況から距離を取ってみて、冷静に、これまでと違う視点で自分のことを見つめられるようになると、突破口が見えてくるかもね🌈
疲弊してると、冷静な判断がしにくくなりますんでね。
現状のまま無理やり焦ってどうにかしようとするんでなく、違う視点に切り替えられるよう、静かに自分自身と繋がれる環境へ身を置いて、じっくり自分と対話してみよう🌸

みたいなことが言いたいのです。

人それぞれに、タイミングが違ってて当然ですからね。
学びの内容も違いますし。
魂の傷とかも違いますし。
役割も違いますし。
なので、どうか自己否定はせずに、いましんどいのは自分だけじゃなく世界的なものなので、自分の何が強く反応しているのか?外からやってくる刺激の本質的なメッセージは何なのか?ってのを冷静に分析できるよう、気持ちを鎮めて、自分のペースで突破してってくださいね。

『イベント』が起きるまで、突破しても突破しても、何かしら新たな壁が見えてくるはずなんで、『突破してゆくゲームである』というくらい自分自身をも客観視していくのが、肩の力を抜きやすくしてくれるんじゃ無いかなぁ、なんて思います。

この肉体はゲーム内のアバターで。
意識は、客観視している状態を保って。
どうしても攻略できないダンジョン内の仕掛けや、ボスキャラとの戦闘は、どこが勘所なのか、どんな見落としがあるのか、どんな手法を駆使すると突破できそうか?
どうやっても解けないパズルにも、突破口が必ずある。
思い込みを手放して、もういっぺん周囲をよーっく観察して、手持ちのスキルや道具やら、過去に立ち寄った場所や誰かの言葉なんかも見直して、気づいていなかったヒントを見つけ出してゆく。
試行錯誤を諦めない。

そんな感じでいられると、違ってくるのかな、と思います。

僕自身の話で言えば、1月からウルトラハードでした。
激おこぷんぷん丸になる出来事が続きました。
毎日泣いちゃうくらいの日々でした。
なんで、このような激しい感情が爆発してしまうのか?
何が原因なのか?
表層には出ていない、深層にあるメッセージは何か?
強く反応してしまう『核』は、なんなのか?
俺は、何に執着しているのか?
俺は、何を手放すのが怖いのか?
俺は、何を恐れているのか?
俺は、何がイヤなのか?
俺は、どう在りたいのか?
俺が思い描く最高のタイムラインを実現させるために、どのような動きができると、それに近づけるのか?
ってのを探して探して、少し楽になれてきた感じです。
まだまだヘヴィな案件がありますけどね。
それでも、1月2月3月よりは、だいぶ楽になれてきました。
がんばった!俺!よくやった!えらい!
と、まめに自分を褒めてます😆

世界を変えられるのは、自分しかいないんで。
自分がやらないと、自分がハッピーに生きられる環境や状況、状態にはできない。
誰かが代わりにやってくれるわけではない。

スティーヴン・キングの小説『ファイアスターター』の登場人物がいうセリフで、めっちゃ好きなのがありまして。

 脳は世界を動かす筋肉なんだから!

正確じゃないかもですが、こんなセリフです。
自分の意識によって世界を動かす。
世界を変えるために、意識を動かす。
凝り固まって、動かしにくいなら、ほぐす。
ほぐして、ほぐして、ストレッチしたり、筋トレして、ある程度、自分が望むように、意識した通りに、動かせるようにする。

人間をダメにするクッションに座りっぱなしだと、筋肉が衰えていくもんです。姿勢も悪くなっていったりして、動きにくくなっていくように思います。足腰の筋肉が弱ったりね。

物理的な肉体と同じで、
適度な運動をすることで、意識も動きやすくなる。

小説のセリフを覚えていることが少ない僕ですが、これだけは、とても鮮烈に焼き付いて、忘れられないのです。

『自分自身』という世界を、
ちゃんと動かしていきたいですね。

書き出したら、こんな内容になっちゃった。
引き続き、粛々と、自分に向き合い、突破していきましょう🌟

そんなこんなで。
えいえいおー(^o^)/

 

京都カンファレンスで聞いた内容で、
一番スカッ!とした部分について書く今回。


シュワシュワ爽快だったわけでなく、
そうか!と、自分の中で、パズルのピースがハマった感じで、
スカッ!としたんである。


それは『過去 - 現在 - 未来の図』でした。


よく『いまここ』などという物言いを見聞きしますよね?
体感として、なんとなぁ〜く、わかる感じ。
けど、完璧には腑に落ちてない感じの事柄かと思います。
似た界隈の言い方としては、
『過去に囚われるな』とか、
『意識が先で、現実は後からついてくる』とか、
ここら辺のニュアンスを
何某かの単語で分類するのが難しいのだけど、
まぁ、ここらの話である、とザックリ捉えていただければ。


手元にメモゼロで、記憶だけで書きますんで、
この点、ご容赦ください。←


図を再現したものが、こちら。

 



下の円錐が『過去』の時間軸と出来事。
上の円錐が『未来』の時間軸と出来事。
真ん中に挟まれている平面が『現在』の領域。

『過去』と『未来』の接点が『自分が今いるところ

(※カンファレンスでは『オブザーバー』と言ってました『観察者』)

 


『過去』と『未来』の接点に
『現在』の自分がいるとイメージしてみるわけです。


すると、
『現在』は『過去』の上、円錐のてっぺんに乗ってるわけですね。
その先にある『未来』も『過去』の延長線上に乗ってる。


ここまでは、
直線的なイメージなのでわかりやすいと思うのです。

 



こっから先が、

面白いところでして。

 

 

『未来』を変えたいならば、
『過去』とは違うところに『未来』を思い描くのです。


図で言うと、
『過去』の円錐から、離れるわけです。
実現させたい『未来』を、
しっかりと、新たに思い描いて、そっちに進む。
そっちを選ぶ。


図にすると、こう!
 


するってぇと、
これまで引きずってきた『過去』
払拭できなかった『過去』
などなど、いろんな表現ができますが、
これらの『過去』から切り離した『未来』に進めるぜ🌟


って話なのです。
メモゼロなので『たぶん』です(笑)
現場で聴いて『なるほど!』と思った、
僕の解釈を書いております😆


この図を見せてもらって説明されたことで、
『違うタイムラインを選ぶ』
ってのが、とってもわかりやすく腑に落ちたのですよ🌟


映像化しやすくなったので、
シェアしたくて、ブログにしたのです。
同じように感じて、スカッ!とする人、いるかな?😊と。

 

 

 

  補足


以下、補足の話なんですが、
『過去』をすべて切り捨てる!
ってわけじゃないので、要注意です。


『これまでの流れを断ち切る!』
というよなイメージだと思うんです。


例えば、

 

 

何度も何度も、同じ暴走をしてしまうとか、
同じ苦しみや怒り、嫉妬などなどの
ネガティヴな感情に呑まれちゃうとか、
どうも、現状を突破できない(ToT)

 

 

ってのは『これまでと同じ過去に乗った状態』なのだ。
と理解する。

っちゅーことなんだろな、と。


このまま行ったら、同じ轍を踏んじゃうぞ。
同じ轍を踏みたくないんじゃ。
自分は、このように生きたいんじゃ。
同じ苦しみのループから逃れたいんじゃ。
過去は過去で、ちゃんと向き合って癒していくのだけれど、
『同じ過去に乗ったまま』ではなく、
『これまでと大きく異なるタイムラインの未来』に行くんじゃ🌟
と決めるわけです。


世間一般の事例に当てはめてみますと、

・職場を変える、転職する
・住む場所を変える、引っ越す
・病院を変える、通っている場所を変える
・人間関係を変える
・習慣を変える
・食事を変える

みたいなことだと思うんです。


このまんまじゃ、イカン。
それは解っている。
なんとかしなくちゃならん。
違和感の種は、
たぶん『これ』なのではないか?
『これ』を変えると、生活が激変しちゃうけど、
その不安を突破する勇気を振り絞って……!!
『これまでと同じループ』から脱するために……!!
『これ』を思い切って変えたら、
自分が思い描く最高のタイムラインに近づけるのではないか?
◯◯ に生きられる未来は、こっちだと思うのだ!!


とゆー大胆な路線変更を選ぶ。

 

 

『タイムラインを変える』ってな、
こういうことなのかもな、と。


意識の変化が先で、
物理的な変化は後なので、
まずは、意識を変える。

 

 

『変化を選択する!』と決める。
『現状打破!!』を決める。
『自分自身の圧縮突破じゃ!!』と大きく舵を切る。

 



この図が、あなたの突破のきっかけになれたらば、
この上なく、うれしいです😊🌟


京都カンファレンスに感謝✨🌏✨


.

 

 

味噌汁を作っているときに、
なんだか浮かんでしまったので書いてしまうのだけれども。

最初は、こんなことだった。

なんだか古い傷が浮き上がってくるなぁ。
否定的な気分になるなぁ。
ドラゴンヘッドの部屋移動が関係してるんだろうか。
カンファレンス終わってエネルギ的な変化なんだろか。
どの傷も、全部、同じ根っこに行きつきそうだなぁ。
根本的な傷を癒すには、どうしたら良いんじゃろうか。
どうすれば、この傷を浄化できるんじゃろか。

ってとこからの領域展開。



最近は、芸能界やら政治やら、
日本に限らず世界全体でスキャンダルが勃発しまくりですね。

世間に人気がある様子で、
その世界に君臨していた人物であったが、
暴かれてみると、とんでもないことをしでかしていた。
次々に信じ難い出来事が露わになってゆく。
みたいな。

どっかで『道』を間違えてしまったんでしょうけども、
ある意味では『世界を変えるきっかけ』になりうる出来事でもある。
『悪には悪の役割あるぞ』
って視点と解釈で見ることができたりもして。

これらは『終末期の狂気』の一端であろうし、
冥王星的な『破壊と再生』でもあるのでしょう。
きっとまだまだ小さな火種で、
序章とも呼べないような先駆けかもしれない。
もっとグロテスクなものが出てくる、という覚悟が必要。

腐敗した権力構造が瓦解してゆかなければ、
まったく新しい調和の世界を構築することはできない。
って流れですよな、まるっきり。
どれくらいの速度で、
どんな規模の物事が、
崩壊してゆくだろうかなぁ。
と流れゆく情報を眺めております。



こんな『世界』を踏まえて自分を振り返ってみると、
道を踏み外さずに、
なんとか『いまここ』に居られている。
ってなぁ、とんでもないハッピーなことであるなぁ。
と思ったのですよ。

京都カンファレンスが終わって、
2025 年が始まって、
『いまここ』に居られている現実の貴重さ。

大勢の人に会うと、
ここ数年ロクに何もしていないのに、
なぜだか褒めてもらえたりして、
こそばゆい気持ちになるんですよ。

世界を眺めていて『これが必要なんじゃないか?』
『こうすれば、より良くなるんじゃないか?』
ってことを続けてきただけなんだけどさ。

発見した課題と、その解決方法が、
たまたま、うまく機能したってだけなのだ。
それ以上でも以下でもない。
運よく回っただけなのだ。



最初の話に戻ると、
俺も、どっかで全然違う道に進んでいた可能性が、ある。
ゼロではない。

若い頃は、特に、とても手に負えない、
危険極まりない生命体であった。
全部が怒りだけで出来ているよな生物だった。
誰にでも、何にでも牙を剥いていた。
制御不能の怒りだった。

あのまま怒りに身を任せてしまっていたら。
欲望に流されてしまっていたら。
傷つくのがイヤで逃げてしまっていたら。
ネガティヴな感情に呑まれていたら。

『いまここ』には、いなかっただろう。
2025 年には地球に存在していなかったかもしれない。



これが HAL として活動しはじめた後であったとしたら、

『あの人いなくなっちゃったね』

と言われていた可能性だって、ある。

2025 年に HAL は居なかったかもしれない。


踏みとどまれてきたのは、
『自分は、なんのために、この活動をしてるのか???』
『絶対に譲れないもんは、なんなのか???』
っていう自問自答の繰り返しがあったから。
だと思っている。

自問自答の癖がついていたから、
踏みとどまって、
『いまここ』に居ることができてるんだろうな、と。

踏み外すのは容易かった。
ギリギリで、踏みとどまれたのだ。

自問自答だけじゃなく、
自分以外の存在に助けられて、
ここに居ることができている。
『誰か』がいたから、ここにいられている。

他でもない『魂の家族たち』と出逢えたからである。


本当に、ありがたいことです。
どうもありがとう。

『いま』ってなぁ、奇跡みたいなもんだと思うんす。
そもそも、生きていること自体が奇跡的。
誰も彼もが、唯一無二で、奇跡的。
驚天動地のバランスの上に立っている。

思い上がってはならない。

『たまたま』保たれているのだ。素晴らしいバランスで。

あの細く美しいワイヤーみたいに。




だからね。

なんか、いま、自分の状態がおかしい。
楽しくない。
笑えてない。
誰かを攻撃したり否定したりしちゃう。
なんのために『これ』をやってるか、わからなくなっちゃった。

なんて人がいたら、
原点を見直す時間を取った方が良いと思うんです。

最初のきっかけって、なんだったっけ?
どんな世界を実現させたかったんだっけ?
何に共感したんだっけ?
何が楽しかったっけ?
いま、自分の周囲の世界って、どうなってる?
どこで、ズレてしまったんだ?
自分が求めているのは、何だったっけ?
どんな自分で在りたいんだっけ?
何のために生きたいんだっけ?

などと。

本心に気づけたら、
いつでも軌道修正できると思うんです。
だって『本当の心』だから。
そこは絶対に守ってあげなくちゃならない。
だって、それを守れるのは、あなた自身をおいて他にいないから。
自分以外、誰にも、それは、わからないから。

生殺与奪の権を、
他人に明け渡してはならない。
のだ。

自分で、決める。
自分で、守る。
自分しか、自分を守れない。

傷を見ないようにして、
過去のルーチンを繰り返すのは簡単。
享楽に溺れていた方が、愉しい。
至極尤も。

踏みとどまることが、
自分を守る道。
自分を活かす道。
全体と調和していく道。

違和感を感じたら、立ち止まろう。
無理に同じことを続けるのを、ストップさせよう。
それで命が奪われることはない。
まずは、立ち止まろう。
自分の状態を確認しよう。
細部まで、じっくり、細かく、丁寧に、やさしく、検分しよう。
大事な存在を治療するように、確かめよう。
壊れやすい繊細なガラス細工のように扱おう。
紙に書いて、客観視したりもできる。
紙に書いたものから深堀りもできる。
ペンの色を変えて、なぜ?なぜ?どうして?などと掘り下げてみよう。
気づけていなかった自分に気づけるかもしれない。

気づけたら、
あとは自分に寄り添ってゆけば良い。
きっと、自分の『道』を進んでゆけるはずだから。

 

 

 

ちょうど今日 1/13 から 3 日間、

国際遠隔ヒーリングという無料のヒーリングがある。

世界中のヒーラーさんが参加するスペシャルなやつが、ある。

『ヒーリングを受け取ります!』

と宣言して(もうちょっと細かい宣言があるのだけれど複雑になるので割愛、画面を見ていたら、ざっくり掴めると思います)YouTube を再生しながら横になっていれば良い。

というもの。

ライトワーカーによる、毎月恒例の、世界規模のヒーリング。

 

ここで『魂の傷、トラウマ、心の傷、トラウマ、超えられない壁とか、浄化してください、ヒーリングしてください、お願いします!』と光の存在に呼びかけて、横になっていたら、何か、変化のきっかけを得られる、かも、しれないです。

 

↓ 視聴先のリンクは、こちら。

3日間とも、URL が異なるので、お気をつけくださいね。

 

 

 

.

 

京都カンファレンスが終わった
忘れぬうちに感想を書いておく
余裕がないので淡々と書いてゆきます

 


京都カンファレンス来た〜〜〜〜!!
と思ったら、まさかまさかの新年早々 1 月 4 日から 4 日間というスケジュールに驚愕したのが懐かしい

今回もスタッフとして参加することができた、感謝感謝であります
2023 年 7 月に経験しているので、あの時ほどの緊迫感はなかったのだが、逆に経験したことが裏目に出て、当日になり、とっても焦る部分があったのだけれど、つつがなく、すべてが無事に進行して終わったのは、何よりでありました

こういった漠然とした印象は残っているのだけれど、
我ながら驚くほど著しく記憶力が低下している最近で、
カンファレンスは僅か 1 週間前のことなのに、
全然覚えていないんである
過去を振り返ることができない脳みそになっている
日常生活でも支障を来すレベルで、毎日の記憶がない
毎日が非現実的
地球などのエネルギ変化が、このような状態を促進しているのか?
ただ単に、肉体等が状況に追いつけないだけなのか?
考えてもわからないので考えていないし、考える余裕もない

しかし完全に放棄もできないので
ここ最近を振り返ってみると、
積み重なった地層を掘り返していられないんだと思う
だって、どんどん、どんどん、新しいものが降ってくるのだ
埋もれないように動き続けることで精一杯
『超速のテトリスを処理しているような気分』
とでも言えば伝わるだろうか

 

どうやって『テトリス』させていったかは覚えていない

ゲームオーバーにならぬよう必死に処理していくばかり

みたいな


降ってくるものをどんどん処理する
疲れて寝る

眠いけど頑張って起きる

この繰り返し

 

しかし積もったもののエッセンスは、ほんのりと残っていて、
事あるごとに嗅ぎ分け明滅させ、
新たなものと結びつけて『いま』をスパークさせる
『いま』を繰り返し連続させてゆくことで到達する『未来』
という気分



カンファレンスのことを頑張って思い出して何か書こうとノートを広げてペンを走らせてはみたものの、出てくるのは、誰かとの交流で感じたことばかりであり、カンファレンスの内容は、ちぃとも残っていないのであった

美しかった横顔、涙、笑顔
楽しそうな表情、目の光
真剣な眼差し、情熱
神聖な静けさ、ほとばしるエネルギー

記憶が残っていないのは、とても速いスピードでしゃべってゆく内容と同時通訳を懸命にノートへ書き残すことに全精力を使い、「休憩時間に入ります」という声を聞いたら素早くノートを置いて即座にスタッフとしての動きに切り替えるという、強すぎる緊張の中に居続けたからかもしれない

記憶力がヤバいだけでなく、
集中力もヤバいので、気が抜けず、
常にフルパワーで集中させていないと、抜けがすごい
ちょっと気を抜くと、弛緩しすぎてしまう
100 か 0 か、という調整しかできないポンコツ状態という自己認識
出力を調整するツマミが、壊れてる感じである

こんなんだったからか、
常時ピリピリしたモードだったように思う
声がかけづらかったことでしょう
常に笑顔で余裕綽々な振る舞いができる人になりたいもんです



僕がメモしたノートは、カッパちゃんのメモを補完するものになれば、と託したので手元にない

覚えているのは、会場前面に映し出されたいくつかの図
特に『過去 - 現在 - 未来の図』に関しては、
とてもわかりやすく、衝撃を受けたので、
そのうち元気があれば、この部分だけ取り上げてブログにしたい

とにもかくにも NOGI さんの公式英文レポートが出るのを待ち、カッパちゃんの日本語メモが出るのを待ち、じっくり読み返したい

2023 年 7 月以降、Twitter界隈から人が減っていったように感じられており、カンファレンスのレポート的なものは、全然出ていないように見えるのだけれど、俺がTwitterをちゃんとチェックしていない故、そう見えるだけなのかもしれない

あちこちで、出てるのかな?




前半の、カンファレンス 2 日間と
後半の、レイ・イニシエーション 2 日間で
ばっきりと、エネルギが変わっていたかもな
とノートに書き出し眺めていて、思った
内容が違うから当たり前ではあるのだろうけれど、
自分が受けた印象の数々を思い返すと、
内容が違っていただけではないような気がするのであった

前半は、solid だった
後半は、liquid〜gas だった
って気分

きっと全然伝わらない表現


見たことないタキオン化されたアイテムがたくさんあった
テクタイトは、どれもこれも初めて見るもので、
触れた時のエネルギの違いが面白かった
エメラルドは、産地別になっており、見た目も違うしエネルギも違っており、違いが楽しかった



京都カンファレンス後、特に調子がよろしくない
あたまが全然回転しない
疲労が溜まりすぎているのか、
エネルギ的な変化なのか、
さっぱりわからないのだけれど、これくらい書くので限界
他に、何か、書くことあったっけ???
という気分なのである

淡々と書いているから、
暗くて、重くて、つまらなそうに見えるかもしれない

カンファレンスの最終的な感想を述べると、
最高だったぜ🌟
です
とても良かった
いろんなものが開いていったように見えた

カンファレンスが終わり、みんなとまた離れ離れになったけれど、
これまでとは違う回路が開いたような気がしている

地球解放を真に目指す存在たちが、
それぞれ、自分の持ち場で、
自分にしかできないことをやっていく

それは、人によってさまざまで
瞑想をやりまくることかもしれないし、
石を埋めることかもしれないし、
誰かをヒーリングすることかもしれないし、
自分の傷を癒すことに専念することかもしれないし、
古い不要なものを手放したり離れることかもしれないし、
誰かと何かを繋いでゆくことかもしれないし、
新しい人、新しい場に触れていくことかもしれないし、
身近な人を笑顔にする取り組みかもしれない

これらの過程は表に出てこないだろうけれど、
それで良くて、
個人個人の圧縮突破をどんどん起こしていけば良いのだ
シンプル

外に影響されずに、
内側で何かをスパークさせれば良い
光に直結する変化を、自分の内部で起こしていけばよいのだ

自分以外の誰かの反応なんて、どーでもいい
自分を心底から喜ばせて楽しませる
そのためにできることは何か?
いま、私から笑顔を奪っているものは何か?
自分で自分の笑顔を奪っている行為や思考や癖は何か?
私は、どんな未来を実現させたいのか?
自分が豊かだと感じられる世界って、どんなか?

これに注力し続ければ良いのだ
と思っている

なぜって
個別のアクションが、
全体の変化につながってゆくから

肩こりが治れば、全身が快調になるみたいな
部分が好転すれば、全体に影響をもたらしてゆく



さて、2025 年
1 月から天体の大きな動きが続きます
世界情勢も激変してゆくことでしょう
外の動きに呑み込まれず、
自分を保っていきたいもんですね
しっかり保てるように『おそれ』を踏み越えて、変化していきましょう
『自立』して、ブレない軸を具えてゆこう

 

がんばろ


あっしは、しばらく公私共にハチャメチャなスケジュールなので、
2025 年も HAL としての活動は少ないと思いますが、
身の回りでバンバン変化する人を増やしてゆく所存
宇宙人だとかなんだとか、そんな意識はさておいて、
その人本来の光を輝かせてゆけるように支援してゆく応援する

そんな感じでござい

あ、3,000文字!

 

地球最終章、よろしくお願いします✨🌏✨

 

 

.

早いもんで 2024 年も終わりそうで、
1週間もすれば京都で世界ライトワーカー会議があり、
2025 年ってのが、どうなるのでしょうね。

今年は東北に移住してからというもの、
HAL としての発信が遠ざかりました。

居住環境を含め、
いろんな変化があった 2024 年であったなぁ〜。
と思うですが、
もはや細部を列挙することすらできないほど、
毎日毎日とんでもないボリュームで押し寄せてきて、
記憶障害なのではないかというくらい覚えていないんですがね。

いろんな人と交流を重ねる中で見えてきた、
大きな流れみたいなものがありまして。
それを書いてみるとします。



2024 年最大のトピックであろう、
冥王星の水瓶座入り。
この影響は、とてつもないかもなぁ、と感じてます。
皆さんは、どうでしょうか。

宇宙人系統の人たちとの交流が絶えて久しく、
この半年以上、ごく普通の市井の人たちと関わってるんですが、
スピリチュアルだとか、
ライトワーカーだとか、
スターシードだとか、
そんな要素とは無縁の人たちなんだけれど、
冥王星水瓶座入りの影響が感じられるのです。

具体的に言いますと
『既存のルールからの脱却』だとか、
『抑圧からの解放』だとか、
『外部の人とか関係なく、自分自身の純粋な想い』だとか、
そういった動きが、あちこちで見受けられるんですわ。

ヒエラルキーの崩壊
トップダウンの終焉
格差の解消
個の解放

なんつーか、まぁ、こんな感じのことです。
キーワードで言うと『平等』なのかもですね。

会社や組織、集団に所属していたが、
抑圧されていた感情が抑えきれなくなり、
自分自身の純粋な想いに従って、
離脱してゆく。
自分本来の魂、その輝きが指す方向へ進んでゆく。

みたいなことです。
ニュースに流れてくるものを眺めていると、
似た傾向の動きがありますよね。



これまでは『特定の層』だけが支配していたものが、
『一般化していき、解放された』ようなことだとか。

『目立っていなかった層』でも、
『解放されて、平等な環境になった』ようなことだとか。

『特定の権力に存在していたものの秘密が暴かれ失墜する』
なんてことは、もう、あちこちで見えてきてますわね。

『I know』の水瓶座時代なので、
隠されていたものが、もう抑えきれずに明るみに出てくる。
一部のものだけが得ていた情報が、全部に漏れる。
ピラミッド型のヒエラルキーが崩れる。
フラットな、平等な状況になっていく。
みんなが、知っていく状況になる。
知らないではいられない状態になる。



『ライトワーカー』って存在の周辺情報に触れていると、
『イベント』と呼ばれる宇宙規模の転換点について、
あれこれ見聞きしていると思うんですが、
『イベント後の世界』を先行体験しているかのような、

『権力の崩壊、平等な世界、個の解放』

っつー動き、流れが感じられるようになったなぁ〜。
と思うわけです。
これはもう、世界規模で起きており、
身の回りの、ごく普通の市井ですら垣間見える。

なんだか同じことを繰り返し書いてる感じですが。



冥王星水瓶座入りしてから、まだ1ヶ月ちょい。
にも関わらず、一般社会にも影響が見え出している。
時が進むにつれて、もっと顕著になってくんでしょうね。

こんな変化が、
もっともっと加速していく 2025 年なんでしょうねぇ。

何が壊れていき、
何が終わっていき、
何が動き出し、
何が始まっていくのか。

山羊座の冥王星に押さえつけられ抑圧されていたものが、
どんどん解放されていく世界。
違和感を放置できない世界。
長いものに巻かれるのをヨシとしない世界。
気づいてしまったら、もう戻れない世界。
異常な権力の崩壊、平等な世界。
個の魅力が全開になって輝きを放ってゆく世界。

楽しみです。
早く、地球全体に深く深く広がりますように。



ご自愛の上、よいお年をお迎えください✨🌏✨