まず正直、同じ日本に住んでいるような気がしなかった。自分の住んでいるところはいつもと同じように時間が流れていた、と思う。いつものごとく、僕の体調が不安定だったからお昼過ぎから床に伏せっていて、夜になってTwitterを見て震災があったこと津波でたくさんの犠牲者が出たことを知った。情報を手にするにつれ、見ていることしか出来ない歯がゆさや、無力感におそわれた。被災地にいる大切な友人の安否を知りたい、けれどなんていう言葉を送れば・・・。すごく短い文章だけメールをして、でも届くかどうかもわからない。結局、翌日に別のネットの友人を介して無事だということがわかった。そして、SNSでの知り合いの方もblogで無事だということがわかった。だからというわけではないけれど、今思っていることを文章にしたくなったので書き始めてみた。

 被災者の人たちの気持ち、その場に居た人以外はきっと分かることが出来ないと思う。話を聞いたり、情報を得ても理解に及ばない、どうやって声をかけたらいいのかもわからないから、今は何も言わずにできることをしたい。お金がある人は義援金を送り、お金が無い人は献血を、それも出来ない人は節電をして自分たちが信じている神様に静かに祈ることが大切だと思う。間違っても、古着や折り鶴を送るなどという傷を逆なでするような愚かな行為をせず、そういう事をしている人にはそれがどれほどに自己中心的で思い上がった態度で恥ずべき行為かというのを伝えて欲しい。そして、そのような人に対して本気で腹を立てるべきだと思う。祈りや願いを込めるというけれど、祈りや願いは人に見せつけるものではないから。

遠くからでもできること、すべきでないこと、被災地の人々に迷惑をかけず助けとなるための行動法まとめ-ギガジン

 Twitterには次々と様々な情報があふれて、そのほとんどの言葉が善意に満ちていた。けど、情報に踊らされていはいけない、そういう冷静なTLがすごく多いことに感動した。みんな、ちゃんと分かっている。普段は好き勝手自分のことだけつぶやいている人間(僕を含む)が、他の人のために情報を集め、発信し、時には制限を促して、なんとかしよう、何とかしたいという想いにあふれていた。インターネットが普及して人間同士は簡単に接続、切断できる時代になってテクノロジーが人を変えてしまったのだと思っていたけれど、そうではなかった。このことでたくさんの人が自分たちの持つ美しい部分に気づくことができたのだと思う。僕はクリスチャンだからかもしれないけれど、こういう美しい部分を見るとやっぱり人は神によって創られたのだと思う。

 まだまだ、よくわからないことが多くて、被災地の人も支援を考えている人も不安でいっぱいだと思う。でも、ここで感情的にならずに冷静に慎重に今後の情報を判断していきたいと思う。