もう本当に多くを語らずともいい作家ですね
でも、あえて語らせてください


実を言うと私、村上 春樹さんの旅行記「もしも僕らのことばがウィスキーであったなら」を読んだ影響でウィスキーに入門したという経緯もありまして、他に読んだ作品で言うなら「アフターダーク」「スプートニクの恋人」「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」「ノルウェーの森」と4作と少ないんですが、一瞬でとりこになりました

この5作品、読んだ程度で村上春樹を語るには10年早い事は承知ですが、あえて語らせていただけるなら、美しい日本語を使う作家だと言いたいです

もっとも、読み下しているだけならば文章自体は一様にどの作品にも春樹節とでもいうような抽象的な表現がふんだんに盛り込まれていて、正直、理解に苦しむ事も多々、ある訳で中々、読みにくい作家なのかもしれません
しかし、「何、言ってるんだ?」と、思われるような表現でも、実際に体感してみると、村上春樹が何を言いたかったか、言わんとしていたかが伝わってくるような感じが不思議とするんです
「もしも僕らのことばが~」ではたくさんのウィスキーが紹介されていて、その紹介されたウィスキーを飲むごとにその独特の表現で語られた言葉が体の中に沁みこんでいくようでした

それ以来、村上春樹とウィスキーの虜になったのは言うまでもありません

そして、その最たる例が「世界の終りと~」に出てくる表現なんですが、ボブ・ディランを称して「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです」って、フレーズがあるんです
最初、読んだ時には、そりゃ、意味不明でしたよ
でも、気になって実際に聴いてみると頭の中にその情景がすんなり浮かんでくるんですよ
もう、ちょっと普通に涙が出そうでした

もちろん、先に文章を読んである程度、自分の中でイメージを膨らませている訳で先入観がまったく無いとは言えません
でも、違和感無く表現と体感が重なるっていうのはすごい事だとおもいませんか?その表現する対象に村上春樹の愛情がどれだけ注がれているのか感じずにはいられません



再度、申し上げますが日本語の美しさを感じさせてくれる数少ない作家です
国語の授業を受けるよりも村上春樹の本を読むほうが日本語は綺麗になるというのは言いすぎでしょうか?