大好きなじいちゃんへ | 家族日和  <絵日記>

大好きなじいちゃんへ

私には、福岡に(母方の)じいちゃんがいます。


じいちゃんは、大工で農家。頑固一徹、かんしゃくもち、


体は小さいけれど、豪傑、真実一路。


さすがにちゃぶ台ではないからひっくり返せないけれど、


ちゃぶ台だったら毎日ひっくり返してるような、


九州男児を絵に描いたような人でした。



私は初孫で、ものすごく可愛がってくれた記憶があります。


じいちゃんに抱っこしてもらって、チクチク伸びた無精ひげのまま


頬ずりしてもらうのが、嫌だいやだとは言いながら、大好きでした。



小さい頃は「一生のお願い!」と母に何度も一生のお願いをして、


じいちゃん家に泊まりました。



歴史好きのじいちゃんは、たくさんの遺跡を見に連れて行ってくれて、


延々と歴史の話を聞かせてくれました。


それを聞くのが本当に楽しくて、歴史が大好きになりました。



運動会の親子三代リレーに何度も一緒に出て、


ぞうりやら裸足でものすごく足が速かったじいちゃんが誇りでした。



身長が伸びなくなって、「HALちゃん、大きくなったな~」と


じいちゃんに言われないことが、少し寂しく感じた頃もありました。



HALちゃんと呼んでいたのが、いつからかHALさん、と呼ばれました。


少し寂しいような、恥ずかしいような気分でした。


大きくなったのだから・・・そんな心配りもできるじいちゃんでした。



何か頑張ると、「HALちゃんには、たまげたな~!」(びっくりしたな~)


と言ってくれるのが、楽しみで仕方ありませんでした。



結婚するときは、親族代表で挨拶してくれて、


「○○家のみなさん、HALさんは、泣き虫です。


どうか温かく見守ってやってください」


と、短く、でも愛情こもった祝辞に涙が出ました。



帰省したとき、もうすぐ茨城に帰るというときには、


必ず顔を見に来てくれて、「もう帰る日になるね。早かね~」


と、寂しそうな顔で言ってくれました。



じいちゃんは、


本当に、私を心から理解して、愛情を与え続けてくれました。



最近は、心臓を悪くして、発作、入院、退院を繰り返し、


めっきり弱くなっていました。


去年の秋に帰省したときは、入院中で、帰る前にお見舞いに行ったところ、


「HALさんに会えるとは思わなかった~」と、


小さくなってしまった体を震わせて、


涙を流して喜んでくれました。


久しぶりにじいちゃんの手を握って、


小さい頃は、大きくてごつごつしてると思ってたじいちゃんの手が、


か細く、小さく感じて、


そして、とても温かかったのを、今でも覚えています。


「じいちゃん、先生の言うことちゃんと聞いて、


また私が帰るときは、元気になっててね!」


「ああ、ああ、わかったよ。ありがとう。HALさんも頑張らんね!」





それが、じいちゃんとの最後の会話になりました。



ちょうど最近退院し、自宅で過ごしていたじいちゃん。


昨夜、「オレはどうも・・・もう、終わりが近づいとる気がする・・・」と、


寝室に寝ないで、お座敷に寝たというじいちゃん。


その言葉通り、


今朝早く病院に運ばれ、そのまま帰らぬ人となりました。



去年会った時、「最後かもしれない」とうすうす感じてはいました。


ひ孫であるしゅんとももの、入園式と、入学式の写真を送るはずでした。


最近少し、記憶が定かではなくなったとは聞きましたが、


ももとしゅんは覚えてくれていました。


ももとしゅんの、晴れ姿を


じいちゃんに見て欲しかった、と、


そう思うと涙が止まりません。




今頃、天国行きの手続き中かな。


「せからしかの~!ここまできて、こげなせからしかこつばせにゃんとは

(面倒くさいね~!ここまできて、こんな面倒なことをしなきゃいけないとは)


ぐらいしたの!」

(びっくりあきれたのぅ)


と、苦笑いするじいちゃんが目に浮かぶようで、


クスッと笑ってしまいそうです。



明日から、じいちゃんを見送りに、帰省します。


「おお、HALちゃん来たね!ももちゃんしゅんくん大きくなったの~」


とは、もう言ってくれないけど・・・。



じいちゃん、よう頑張ったね。きつかったやろうね。


これからは、ゆっくり休めるね。


じいちゃん、愛情いっぱいありがとう!


時々は茨城にも遊びに来てね。



大好きなじいちゃんへ。


                 HALより。




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