子どもに期待をするということ | 6番目のロクちゃん

6番目のロクちゃん

またまたまた始まった赤ちゃんとの毎日。
6番目のロクちゃんとの毎日。
大声で幸せすぎーっで叫んでる。
でも上の子5人との合宿所のような生活も。
そう、子どもたちとの毎日は合宿だ。
私の強化合宿ね。結局体育会系抜けないね。

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子育てとは、「期待」を手放す修行だろう。

ひとは誰かに何かを期待している。

親に
友達に
夫に

◯◯であるはず
◯◯であって欲しい 
◯◯してくれたらうれしい
◯◯してくれてもいいんじゃないか

自分の子どもにだったら、なおのこと。

◯◯な子になって欲しい
◯◯はしないで欲しい

毎日が期待の連続だ。

風邪は引かないで
ケンカをしないで
素直に返事して
宿題は自分から始めて
野球の試合は全力投球で
しかもファインプレーを見せて

しかし、子どもは当たり前に期待を裏切る。

健康であって欲しいけれど、病気になる。
仲良くあって欲しいけれど、ケンカをする。
試合に勝って欲しいけれど、負けてしまう。
試験に合格して欲しいけれど、落ちてしまう。
明るく笑って欲しいけれど、ふてくされる。
分かったと言って欲しいけれど、イヤと言う。

期待をすればするほど、裏切りは鮮やかだ。

親の期待は子どもの願いとしばしばズレている。
子どもの応援と称して、親自身の勝手な都合や目論見が見え隠れしている。

だから、きちんと子どもは裏切り、あなたの思い通りには行きませんよ、と告げてくれるのかもしれない。

6人の子どもとの生活は、毎日がある意味期待ハズレの連続だ。

だからと言って期待をしないで子どもを育てるというのは難しい。

期待というのは、ガソリンに変わる。

期待というガソリンがあるからこそ、子どもという走者と一緒に走ることができるから。

ガソリン不足の親は子どもの毎日に付き合い切れないのだ。

親は子どもが小さなうちは期待というガソリンを燃やし、一緒に走る。

しかし、そのうち期待ハズレの連続でガス欠になり、どうぞご自由に行ってらっしゃい。と自然と手を離して行く。

その時が子離れか。

ハイハイをする赤ちゃんには、期待などないのに。

いつから、期待をするようになるのかな。

18の長女に言われた言葉が残る。

「そうじゃなきゃダメなの?」

「そうじゃなきゃ愛せないの?ケチだね。」

本当にケチだ。

そうじゃない時でも、
ママだけはあなたを愛そう。

期待をして、裏切られての連続でも。

また懲りずに期待しよう。

そして言ってあげよう。

いつも応援している。
どんなに裏切られてもママはあなたの行く道を応援している。と。

無条件の愛をいつもあたえるほど人間ができてはいないけれど。 

ガッカリした顔を子どもについつい見せてしまうけれど。

泣いたり笑ったりを懲りずにできる、ちょっと迷惑なうるさいサポーターでいたい。

さ、今日も行ってらっしゃい。
あとからオニギリ持って応援に行くからね。