子育てとは、「期待」を手放す修行だろう。
ひとは誰かに何かを期待している。
親に
友達に
夫に
◯◯であるはず
◯◯であって欲しい
◯◯してくれたらうれしい
◯◯してくれてもいいんじゃないか
自分の子どもにだったら、なおのこと。
◯◯な子になって欲しい
◯◯はしないで欲しい
毎日が期待の連続だ。
風邪は引かないで
ケンカをしないで
素直に返事して
宿題は自分から始めて
野球の試合は全力投球で
しかもファインプレーを見せて
しかし、子どもは当たり前に期待を裏切る。
健康であって欲しいけれど、病気になる。
仲良くあって欲しいけれど、ケンカをする。
試合に勝って欲しいけれど、負けてしまう。
試験に合格して欲しいけれど、落ちてしまう。
明るく笑って欲しいけれど、ふてくされる。
分かったと言って欲しいけれど、イヤと言う。
期待をすればするほど、裏切りは鮮やかだ。
親の期待は子どもの願いとしばしばズレている。
子どもの応援と称して、親自身の勝手な都合や目論見が見え隠れしている。
だから、きちんと子どもは裏切り、あなたの思い通りには行きませんよ、と告げてくれるのかもしれない。
6人の子どもとの生活は、毎日がある意味期待ハズレの連続だ。
だからと言って期待をしないで子どもを育てるというのは難しい。
期待というのは、ガソリンに変わる。
期待というガソリンがあるからこそ、子どもという走者と一緒に走ることができるから。
ガソリン不足の親は子どもの毎日に付き合い切れないのだ。
親は子どもが小さなうちは期待というガソリンを燃やし、一緒に走る。
しかし、そのうち期待ハズレの連続でガス欠になり、どうぞご自由に行ってらっしゃい。と自然と手を離して行く。
その時が子離れか。
ハイハイをする赤ちゃんには、期待などないのに。
いつから、期待をするようになるのかな。
18の長女に言われた言葉が残る。
「そうじゃなきゃダメなの?」
「そうじゃなきゃ愛せないの?ケチだね。」
本当にケチだ。
そうじゃない時でも、
ママだけはあなたを愛そう。
期待をして、裏切られての連続でも。
また懲りずに期待しよう。
そして言ってあげよう。
いつも応援している。
どんなに裏切られてもママはあなたの行く道を応援している。と。
無条件の愛をいつもあたえるほど人間ができてはいないけれど。
ガッカリした顔を子どもについつい見せてしまうけれど。
泣いたり笑ったりを懲りずにできる、ちょっと迷惑なうるさいサポーターでいたい。
さ、今日も行ってらっしゃい。
あとからオニギリ持って応援に行くからね。
