※お久しぶりです。今、チリ南部、南極から1000Km離れたパタゴニアのプエルトナタレスという街にいます。ラオスからいきなりチリかよ!という感じですが、もしよければ読んでくださいな。
Besito(ベシート)という言葉を知っているだろうか。
主にスペイン語圏での挨拶の仕方なのだが、女性同士、男女間でお互いに頬を寄せ合ってする挨拶のキスのことだ。
スペイン本国では両頬に、中南米では右頬に1回が普通らしい。
かくいう自分もスペイン語圏に入ってから、仲良くなった人たちとは、そのBesitoで挨拶をしている。
最初は気恥ずかしい気持ちもあったが、慣れてしまうと、むしろただ握手するだけだと、ちょっと距離感があるなぁ、とすら思ってしまうようになった。
そういえば、スペイン語圏以外でも、仲良くなった人(主に女性だが)とはHug(ハグ)をしているなぁ、と思ったら、そういえば、日本ってそういう挨拶の仕方ってないなぁと思った。
もちろん、そういうものがなくても、きちんとした挨拶というのは心に伝わるものだと思うし、そういう日本のやり方も美しいと思うものの、やはりHugやBesitoのように直接、人と人が触れ合うことで、より一層気持ちが伝わる挨拶もいいもんだなぁと思う。
ちょっと話がそれるかもしれないが、最近、思っていること。
日本は農村を離れ、都市を築いていく中で、どんどん合理化を進めてきた。それ自体は、個人の役割を明確にし、それぞれの箇所で能力を発揮する事に注力することができ、日本の社会を世界で2番目の経済大国にするほどの効果を上げたが、いかんせん、都市というものは人が多すぎて、個人の存在意義が薄れてしまったように思う。
人と人との関係は切れ、核家族化が進み、それぞれが孤立していった結果、今、世間で問題になっているような、社会問題が増えてきたのではないか、と思っている。
合理化が進んで、人と人との関係性が薄くなっている日本の現状をふと思った時、人と人が抱き合ったり、キスしたり、直接的コミュニケーションで互いの存在を確認して、笑顔で話し合っている前述の人たちを見ると、この位、個人と個人の距離が近いと、さらに都市化が進んでも、きっと大丈夫なんだろうなぁ、とふと思ってしまった。
距離が近い、というのは、今の言葉でいうと、うざったい関係、ということなのかもしれない。
けど、もうちょっと、人との関係がうざったい位のほうが、群れを作って、社会を作りながら発展してきた人間本来の本質であり、そういう関係性の中でも前向きに助け合って暮らす方が、人は、より幸せに生きられるんじゃないか。
チリ最南端のパタゴニアへ向かう飛行機の中で、ふとそんなことを思ったのであった。