今日、初めて旦那の涙を見た

とは言っても、映画を見て、本を読んで知人の死や子供の成長を見て泣いた姿は見たことがある。

でも、自身のことで涙を流した姿は一緒になって11年経つけど初めて見たと思う。
それも仕事のことで。

旦那はとてもストイックな性格で、
限界を越えても踏ん張りながら耐え抜き、多方面での成功や信頼を積み上げてきた人。

家庭での旦那の姿や、私への寄り添い方の部分で正直これまであらゆる不満はあった。

喧嘩をしても感情をぶつける派の私とは正反対に、常に理性的、正論大好き人間で私への見下した目線やあまりに冷酷だと感じることも色々あった。価値観が合わず結婚をしたことを出会ったことを後悔する日も増えていく一方で夫婦関係としてはだいぶ前から白けていたし不安定だった。

それでも仮面夫婦のように、子供や友人たちの前では楽しく過ごし、どうでも良いテレビなどを見て笑い合う日はあった。
けど私にとって大切だと思える話や日々の育児の悩み事、そんなことに耳を傾けて共に考えてくれるようなことはあまりなかった。

だから私も話さなくなった。旦那がいる空間がストレスだった。自分が自分でいられなくなるような、息が苦しいような感覚。
旦那の機嫌一つでその日1日が左右される日々。

うまくやり過ごすことばかりを考えていて、言いたいことも言えない窮屈な生活。
このままじゃ旦那に潰されるという危機感。

必要なのは旦那の稼いできてくれるお金で、その他の部分では実母や友人で全てがまかなえる。
精神的に必要なのは旦那以外の存在がほとんどで。

だとしたら旦那の意味ってなんだろう?

このまますれ違いながらゆくゆくは互いを憎み合って見下しあっていくのかな?
お金を稼げなくなったら私にとって価値がない人?

一緒に歩む未来がこれっぽっちも明るいものに思えなくて。

もう終わりなのかな

なんどそう思っただろう。

ただ一つ、かろうじてあったのは仕事面での尊敬の念。頭が良くて能力をもっていて仕事がものすごくできる人。稼げる人。

そこに対する尊敬は確かにあった。
私にはない、素晴らしい能力だったから。

でも、だから
私は感謝すべき、私がまず彼を立てるべき、なのにそれができてない、彼に比べて私は何も持ってない、そんな分際で文句を言ってはダメなのか、仕事ができる人に家族が不自由なく暮らせるほどに稼いでくる人に、家庭でのことや妻の感情までフォローしろと思ってしまうのは私のエゴなのか。

そんなことをずっと思いながらきていたのだけれど。

今日旦那の涙を見てなんか色々と覆った。

涙を見てほだされたといえばそれまでなんだけど、普段弱みを見せない人が見せた涙を見て、
こんな風に弱った時に本音を話してくれる人を支えたいと思ったし、私にできることはこの人が帰ってくる家庭を温かい場所にしておくことだ、と。
こんなにも外の世界で身を斬りながら働き辛い思いをしながらも、家族のために全力投球して頑張ってくれてる人、せめて家ではストレスを減らして安心して穏やかにくつろげるような空間にしてあげたい。
そう心から感じた。
変な話だけど、そこに愛を感じた。愛を感じたのは本当に久しぶりだったんだ。

凍りついていた私の中のなにかが突如として溶け出すような感覚

そういえば元は温かい人だった
笑うことが大好きで人に対する思いやりもある人だった真面目で細かい人だけど話力がすごくてそこから生まれる楽しい会話のやりとりに、ギャップを感じて好きになったんだっけ
笑のツボが一緒で、こんな風に笑い合いながらずっと歳をとっていきたいななんて思ってた
誠実で家族を大切に思う人で、彼は彼なりに彼のやり方で家族を想って大切にしてくれているんじゃないか
ささやかなことに楽しみや幸せを見つけられるような人で、そういうところがとても素敵だなって思ってたんじゃなかったっけ

いろんなことが一気に思い出されてきた。
良いところ=お金
だなんていつからそんな浅はかな見方しかできなくなっていたんだろう


女は男の涙に弱いのだろうか。

なんか今までほんとごめん。
求めすぎていたかもしれない
図になっていたかもしれない
勘違いしていたかもしれない

なんかなんかほんとごめん。



明日には気持ちがコロッと変わってる可能性もあるけれど(笑)、とりあえず今の気持ちを書き留めたくて。

気分が高揚中につき乱文失礼しました。