晩ごはんに肉を食べました。焼き肉です。
その後家に帰りテレビをつけてラノベを読みました。

『肉を食べると人は本音を語る。』

そのような内容の言葉がテレビから聞こえると母が言いました。

「本音言ってみ。」

何について本音を言えというのか……。
わかりません。
なので今現在の状況から一つ言えることを口に出します。

「これからの1年くらいがめんどくさい。」

母は答えます。

「それはめんどくさいんじゃなくて、怖いんだ。」


なるほど確かにそうです。
必要以上にラノベや漫画を読み漁っているのもそのせいです。
胃酸の過剰分泌で胃が痛いのもそのせいかもしれません。
メンタルが弱いのは自分でもわかっていますが、私は怖かったのだと、なるほど納得です。



『泣いたからといってどうにかなると思うな。』

母は昔からそのようなことを言います。
こんな乱暴な言い方ではありませんが、そんな感じです。
なので私自身、感情を表に出すことはあまり褒められたことではないという認識です。
自分が『男』というものになってゆくのだと悩んだ中学生のときには、泣いても喚いてもどうにもならないことがあるのだということも知りました。
怒ったところで何かいいことがあるわけでもない。
泣いたところで何を得られるわけでもない。

感情をむき出しにして果たしてそれをどぶつける場所などあるのか。
そんなものは誰かに押し付けたりするものではないはずです。
自分の中に留め、消化する。
悲しいことがあれば夜に一人で泣けば済む話です。
自分の涙を誰かに見せることで何が変わるわけでもありません。

そんなことを言う私は果たしていつも冷静で感情の起伏のない人間なのかと言うとそれがそうでもありません。
安定剤や抗鬱剤なんかに頼っているのがよい証拠です。
自分の中で消化だなんて笑えます。
自分で言ってて鼻で笑っちゃいます。

消化できていないから胃も痛くなるし、本なんかを読んで気を紛らわそうとします。
これからのことに不安や恐怖を感じているくせにそれを誰にも悟られたくないという思いがあります。
誰かに伝えたところで楽になるのか。
怖くてたまらないのだと涙を流せば誰かが助けてくれるのか。
私にはわかりません。

泣いてどうにかなるわけではありません。
確かにそう思っています。
でも私が泣いたり怒ったり、そうやって誰かに自分の感情を知られたくないというのははっきりいってただの

『格好つけ』

です。
本当は誰かに自分の気持ちを知ってほしいし、だいじょうぶだよと慰めてもらいたい。
別に何が変わるわけでもない。
でも本当は誰かに分かってほしいと思っています。

私は懐疑的な人間です。
誰も信用していないから、自分自身すら信じられないから誰にも気持ちを伝えることができない。
簡単に言えば素直さが足りないのです。
それに、それらをどう伝えていいのかもわかりません。

自分の性別に疑問を持ち始めてからは

『どうせ大人になればこんな関係は続かない。いずれ終わる。』

いずれ私は自分の気持ちを抑えられず、変わる。
その時が来れば一切の過去を捨てなければならない。
昔の私はそのように考えました。
だから交友関係に関しては

『いつかなくなってしまうもの。』

そのような考えで学生時代を過ごしました。
それが間違いであったのかはわかりませんが、人と関わることに憶病な今の自分は失敗だったのだと言えます。
人との付き合いを疎かにし、人を遠ざけ続けた結果が今の自分です。
どうせ終わる関係なら最初からない方がいい。
そこそこの付き合いで学生生活に支障をきたさない程度の距離を保てばいい。
放課後一緒にサッカーボールを追いかけた友達も、部活で一緒に楽器を鳴らした友達も、遅くまで一緒に残って受験勉強をした友達も、名前すら思い出せない人が多いです。

私の意識は常に私の世界の中にしかなかった。
自分のことしか考えられなかった。
考えなかっただけかもしれません。
性別のことを言い訳にするのならどうとだって言えます。
ただ、それは他の誰でもない自分に跳ね返ってきた。
言い訳したところでその何もかもは自分に返ってくる。

もしかしたら小学生のとき自分というものを自覚したその瞬間、私は生きていくことを諦めたのかもしれません。
いついなくなってもいい、そう思ったのかもしれない。
自分がどう生きていけるのか、それを全く思い描けなかった。
でも人間は『いなくなる』んじゃありません。
『死ぬ』んです。
それを甘く見ていたのだと思います。

今だって自分がいなくなってしまえばいいと思うことはありますが、それはありえない話です。
何もかもをなかったことにできるのなら多くの人がそれを選択するのだと思いますが、それができないから人は生きていくし死んでいきます。
私は死んでいくことができないから生きていきます。
全くもって贅沢な話です。
我ながら呆れます。
生きることを許された私は前向きに、そしてもっと建設的に生きてゆかねばならない、本当はそうなのだと思います。

『人生遅すぎることはない。』

そんなことをよく言われます。
それが本当なのだとすれば私は今こんな場所でぐだぐだと大した内容でもない自分の考えなど書いている場合ではありません。

でもやっぱり誰でもいい。
誰が読むかもわからないこんなものでも、自分の気持ちを吐き出す場所が欲しい。
それだけの理由で書くブログです。
その副産物としての情報の発信、そんなところです。

私はこれ以外に自分の気持ちを表現する方法を知りません。