「女房と畳は新しいほどよい」 | 首都圏放浪記

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世田谷のはち公が、日記を兼ねて、東京湾周辺の日常や、関東甲信越のツーリング情報を綴ります。

体育の日の今日、午前中は、まだ台風に伴う雨も落ちてこなかったので、


愛車のお掃除(^-^)/


昨日は風のある海岸線を走ったので、足回りとエンジンを良く拭きます。





タイヤホイールにべっとりとついた油分はケミカルを使って拭き取りながら、タイヤの傷をチェック。





チェーンに給油とたるみをチェック。





最後にタイヤに空気を補充・圧力を調整して終わりです。






あっ、そうだ!


今日の記事のタイトルのことがまだでした。m(_ _ )m


故安岡正篤先生の著書は昔からよく読んできました。

先生の本が30冊以上本棚にあります。


小雨が降りだした午後から、その中の「人間としての成長(東洋の古典から何をいかに学ぶか」を読み直しました。


その中で、先生は、「女房と畳は新しいほうがよい」ということわざの本当の意味を説かれています。


********** 「人間としての成長」安岡正篤著より ***********


「女房と畳は新しいほうがよい」


世の大抵の人はこの言葉を間違って解釈している。


畳は綺麗好きな人なら年に一回ぐらいは取り換えるでしょうが、女房を年に一度づつ取り換えるなどということは、どんな物好きな浮気な人間でも出来よう筈がない。

しかし、出来もしないことが諺になる理屈はないわけです。


実はこれは、畳そのものを考えれば解ることで、畳というものは本当に全部取り換えてしまうものでは決してないのです。


表が汚くなると裏返す。

それが出来なくなると表を取り換えるというだけのことで、肝腎の床は少しも変わらない。

つまり装いを変えるに過ぎないわけであります。


女房も亦然りで、何年経っても新婚当時と同じように新鮮な瑞々しさを持っておるほどよいということであります。


それなら何年経っても夫婦は円満で幸福である。


しかし世の女房共は結婚すると直ぐ所帯じみて、新鮮味もなにもあったものではない。

朝起きても、頭に櫛も入れずにざんばら頭で、寝床から這い出したような恰好のままで、その辺をうろうろする。


夜になったら洗いざらしてよれよれになった寝巻を着てもぐり込む。

これでは面白くないのが当たり前のことであります。


これは、亭主にも言えることで、夜になると、如何にも生存競争に疲れ果てた格好をして帰って来たり、そうかと思うと、酔いしれて、愚なるものの見本みたいな恰好で帰ってくる。

そうして朝になってもなんだかまだ薄ぼんやりとして出かけていく。


これでは、女房の方から言うと、亭主と畳は新鮮な程よいということになる。


*****************  ここまで  *************


このくだりを読んで、はたと、カミさんの自転車の前照灯が点かないことを思い出して、チェックすると、球切れ。


6V2.4Wの電球を求めて自転車屋さんへ。

たったこれ一つの買い物なので申し訳なさそうに店員さんから受け取って帰りました。



還暦過ぎた亭主でも、少しは新鮮味を出しておかないと、居場所がなくなっちゃいますからね(/_;)/~~