地獄の黙示録・特別完全版 | あの時の映画日記~黄昏映画館

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あの日、あの時、あの場所で観た映画の感想を
思い入れたっぷりに綴っていきます



地獄の黙示録・特別完全版』 原題:Apocalypse Now Redux

2000年(米) フランシス・F・コッポラ監督作品


1980年3月17日。

今はなきシネラマOS劇場で鑑賞した本作品のオリジナルは、

僕にとって事件でした。


映画という媒体の、

芸術としての奥深さ、

表現の可能性の限りなさ、

そして、

映画を観賞するにあたっての作家主義への傾倒。

すべてが衝撃だった。


そして20年たって、

本作品が公開された。


その期間、

たくさんの作品を観てきた僕にとって、

ある意味観たくない作品だった。

今の感性で観るにあたって、

果たしてあの時の衝撃が薄らぐことがないだろうかというのが不安だった。


しかしやっぱり観ておかないと、

自分の何かがはっきりしないような気がして、

劇場に足を運んだ。


オープニング、

画面の前を行きかうヘリコプターの音にかぶさって、

ドアーズの“The End”が聞こえてきたときは、

あの時と同じ感覚がよみがえってきた。

とても感慨深かった。


そして3時間23分。

ウィラード大尉と共にした、

20年ぶりの魂の旅が終わった。


とてもわかりやすくなっていたな。

それが最初の感想だった。


オリジナル版の批判の対象になっていた、

舌っ足らずのストーリーが、

見事に補完されていた。


でもそれは、

不完全さに不可思議な魅力を感じていた僕にとって、

あまりありがたいことではなかった。


オリジナルでは笑顔一つ見せなかったウィラード大尉が、

ギルゴア中佐のサーフボードを隠してしまうシーンで、

子供のように笑っているのである。


物語のキーマンであるカーツ大佐。

オリジナルでは必ず身体のどこかが影に隠れていて、

決して全身をみせなかった。

その彼が本編では、

明るい場面で全身登場するのである。


カーツ大佐は、

すでに人間を超えた存在になっていて、

それが故に必ず体のどこかが闇に消えていたのだという、

僕の勝手な解釈が吹っ飛んでしまったのだ。


フランス人入植者のシーンは、

確かに大事なシーンだっただろうけど、

追加するべきじゃなかったと思う。

このシーンに登場する一人の女性の登場で、

むせ返るような男たちの死への旅がぶれてしまったような気がしたからである。


燃料と引き換えに、

慰問のプレイメイトを買うシーンも、

必要だったのか。


本編が発表されたからと言って、

僕のオリジナル版に対する評価が下がることはない。

この「特別完全版」は、

僕にとって全く別の作品として記憶されたから。


でも、オリジナルを知らない人にとっては、

こちらのほうが、

“闇の奥”への旅がしやすいかもしれない。

オリジナルでは道に迷ってしまったから。


でも僕は、

オリジナルの勝手な思い込みと哲学を愛します。


オリジナルのレビューは、

こちら


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