自分がいかになまくらになったのか。
確認するために、俺の、「俺のためのゲーム探し」の要素を書き出して見ることにしました。

興味を持ったゲームの情報の収集能力。雑誌、ネット、口コミ・・・を期待するような仲間は俺にはいませんが。ともかくこれが耳です。

画面写真やプロモ動画からどう動くか、どう動かせるか、それは楽しいのかという情報を読み取る能力。これが目です。

そして、現物(パッケージ)を手に取ります。おもむろに裏返します。パケ裏に詰め込まれた煽り文句、説明文、画面写真のメッセージ、あらゆる文字情報から想像力を広げて、書き手の作りたい、ユーザーに届けたい空気のニオイを嗅ぎ取る、これが鼻です。

購入前に体験版等に触れる機会があれば、操作感覚、世界観、物理法則、それらをひっくるめて、空気が肌に合うかを直接確かめることができます。それは手ですがその機会は限られています。

購入前にできることはここまで。

そして購入後はそれを目一杯楽しむ。多くの場合は、ここが初体験の手になります。

自らの手で楽しむことでスキルが身につき、動かす楽しさが、やがて無駄が削ぎ落とされ美しくなっていき、そこに優越感や恍惚感さえも生まれてきます。そこへ至る技能、あるいは努力の才能が腕です。

同時に、直接触れることで、作り手のあらゆるメッセージを深く味わうことができます。
シナリオ、演出、背景、音楽、効果音、誘導、殺意、空間、
全てのものを味わい、自身の感性に従って評価する、これが舌です。

それらの行為に向ける情熱、そして難点を補ってやる贔屓目、それこそが愛なのです。


エネルギー、使いすぎですかね?
私はコレクションを維持できませんでした。それは私の愛が足りなかったからです。
愛が足りないのに、どうしてそれを求めることができましょうか。
これこそが、私が自分を、その資格を失った者として罰し続けた理由でした。

回復の兆し、それは愛するための心の余裕が生まれてきたからなのかも知れません。