カレンダーも12月となり、めっきり冷え込んできましたね。

 「おかあさんといっしょ」の北風小僧の寒太郎を聴きながら「寒いよ寒いよ」と、出川口調で言い訳をしながら二度寝したら例によって昼でした。

 ブレーカーが飛ぶのが怖くて、ここしばらくエアコンは使ってません。


 そういえば、人間の体内時計の周期は24.7時間で、近隣の惑星では火星の自転周期と同じだそうですね。それを根拠に人類は火星からの惑星移民の子孫だとするトンデモ説もあるようです。

 人類は、太陽の光を浴びることでこの周期をリセットして毎日補正してきたといいます。

 しかし俺は電気代無料をいいことに、煌々と明かりをつけたままの部屋で寝ています。

 光による体内時計のリセットが効かない状態で室内に引き篭もっていると、行動パターンが冷血動物のそれのように変化して、気温が上昇して体温が上がるまで行動を停止するのかな?

 そういえば、英語では無二の親友を表す言葉として「レプタイル」というのがあり、これは爬虫類の事をさす言葉でもあるのだとか。とかげ人の浸透計画は遺伝子レベルでかなり進行しているのかもしれません、とそれ以上のトンデモ説をぶち上げてみたり。

 まぁ流石に恒温動物の哺乳類では体温調整で動けないってのはないでしょうけど。


 一日のうち気温が一番高くなるのは太陽がもっとも高くなる正午ではなく、太陽が地面を暖め、暖まった地面が空気を暖めるというタイムラグから、だいたい14時ごろなのだそうです。

 そして、一日のうち気温がもっとも低くなるのは、日が落ちてエネルギーの供給が止まり、熱が失われて、次のエネルギー供給が始まる直前ということで、日の出の直前なのだそうです。

 日の出が近づくと眠りにつき、昼頃起きだす俺の生活パターンにぴたりと当てはまってしまっていますね。

 光による体内時計のリセットができないと、あるいは気温の変化をスイッチにするようになるのかもしれませんね。


 テレビをつけっぱなしにしてあったのですが、月が替わって曲も替わり、久しぶりにNHKみんなのうたで「カゼノトオリミチ」を聞きました。

 「疲れてしまったんだ 戦うのも守るのも」とか「進むも戻るも 好きにしていいから あなたに全てを 委ねるよ」というフレーズが、ダメ人間の俺にはたまらなく心地よく響くのです。


 戦うのにも、守るのにも、もう疲れました。

 そりゃ守れるなら守りたいけど、それは俺のエゴでもあるわけで。

 奪うのと同じくらい、守るという行為もエゴのぶつけ合いなんだ。

 俺が守ったものに、守られるだけの価値はあったんだろうか?


 だから、変革のために戦う人たちを賛辞するのと同じか、あるいはそれ以上に。

 守るために戦う人、戦ってきた人、戦って死んだ人を敬う必要があるのです。

 争いごとは忌避すべき穢れだからこそ、進んで自ら誰かの代わりに穢れを被って戦っている人達に畏敬の念を捧げる必要があるのです。


 既得権益に固執する寄生ウヨクと、国家解体と主権譲渡を画策する売国サヨクは、等しく価値がない。