さっきあんなこと を書いたので、

俺の「殺人」についての考えを書いてみる。


殺人は、被害者に関わる不特定多数への心の傷害罪だ。


被害者に関心を持つ全ての人に、その人の死が影響を与える。

老衰や病気など、緩慢に迫り来る死に覚悟が出来ている場合はともかく、

殺人は突然に、継続してきた生をせき止めるものだ。


被害者本人はたいがい生を望んでいた。

だが、本人が死を望んでいる場合もある。

自らが加害者となって自分を殺す。自殺だ。


自殺だろうが他殺だろうが、関わる人が怒り、悲しみ、負の感情に塗れることに変わりはない。

だから、自殺も殺人であると考える。



悲しむ者がいなければ、迷惑を被る者がいなければ、殺してもいいのか?


本当に、誰も悲しまず、困らないなら、俺はいいと考える。


俺が自殺を躊躇う理由は、もちろん死への恐怖が第一に挙げられるが、離れ離れでも一応家族がいるし、交流も薄いけれど岡山で一応友達と呼べるものができた。

こんなダメ人間でも、彼らに悲しみを与えてしまうし、誰かに後始末を任せなければならない、ということがある。

それが嫌なのだ。


喜びや楽しみが少ない。苦しみや悲しみと比べてあまりにも。

僅かの喜びに、生きる苦しみを乗り越えて生きるだけの価値を見出せているだろうか?

未練はあるが、生きる苦しみを乗り越えてまで達成すべきほどのことだろうか?


かつて北方先生(誰?)はこう云ったそうだ。(電波男より)

「女を抱け!ソープランドへ行って童貞を捨てて来い!」


・・・ふん、そんなもの要らんよ。悦びのうちに入らん。

皮膚というデバイスから入力される信号で脳に快楽を与えるだけだろ。

だったら直接脳内でイメージデータを走らせても同じじゃないか。

だったらなおさらのこと、自在に弄れる脳内イメージで充分。

わざわざ現実世界で高い金出して女を買う必要もない。

もっとも金がないから買えないのだが。


死んだあと、意識がどこへ行くのか、誰も知らない。

俺も知らない。消えてしまう。

死んだら妄想し放題ってんなら、喜んで死のう。

だが、その保証がない。それだけが怖い。


自殺を仕事にできないかな、そんなことを考えたことがある。


今、空前の自殺ブーム。

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政府は認めないだろうなー・・・


明日また、故郷金沢から母親が俺の様子を見に来るらしい。

自殺の許しをくれるのだろうか?