みちのく紀行 巻の三・八甲田山 | 真実の実は苦い

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無知蒙昧な中年男が、悪魔に食べさせられた真実の実。月の女神が示した絵のない絵本のページをめくる。

私の認識が及ばないのであれば別だが、八甲田山は別に霊場ではない。火山性の峰々の総称であり、「八甲田山」という単独の山があるわけでもない。
青森県の霊山取材は稲荷山と恐山の二つ。どちらも取材そのものは2~3時間で終わっているので、空いた時間で他もいくつか廻った。何といっても私にとっては初青森であり、Ladyはみちのくの達人なのだ。そんなわけで今回、八甲田山にも縁ができたのである。

初日の稲荷山の取材をほぼ午前中で終え、我々は昼食を取ることにした。
Lady「十三湖にいくか、わりと近いから。昨日教えてあげたでしょ。シジミが捕れるとこだよ。」
私「ああ、はいはい。」
青森の郷土料理が食べたかった私は、前日の夜に居酒屋でシジミ汁を食べた。その時にLadyから「十三湖という湖がシジミの産地」と教えてもらったのだ。他にも『生姜味噌おでん』や『貝焼きみそ』、『いちご煮』なども食べたが、どれも美味しかった。
『生姜味噌おでん』は終戦直後の闇市で生まれたものらしいが、おでんに生姜入りの味噌ダレをかけたシンプルなものながらも大変美味である。気に入ってしまった。
『貝焼きみそ』は大きなホタテの貝殻を容器代わりに使い、ホタテと野菜などを溶き玉子であえて火にかけたものである。何とも香ばしくて美味だ。テーブルの上で固形燃料を使って作るのだが、煮えるのを待つのが辛いほどである。
『いちご煮』は青森の代表的な郷土料理だそうだ。ウニとアワビを具としたお吸い物で、ウニが苺のように見えることからのネーミングらしい。今日では高級食材であるが、昔から漁師の間では普通に食されてきたという。
青森最期の夜にはタラを使った『じゃっぱ汁』も食したが、とにかく魚介類が美味しかった。
普通のお店で食べる分にはどれもリーズナブルなので、観光や出張の旅行者には嬉しいかぎり。とは言え、ここぞばかりに散財したので、今の私はかなり辛い状況に陥ってはいるが。(T_T)

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十三湖は河口付近の海のようなたたずまいであった。湖岸には漁船の船だまりもあった。
岸辺に建つ食事処に入る。目的のメニューは『しじみラーメン』。
壁のメニュー表を見ると、冠無しと『特製』とがある。お店のオバちゃんに違いを聞いてみると、シジミの大きさだという。
Ladyは特製を、私は普通を頼んでシジミを比較してみたが、たしかに大きさがかなり違っていた。
スープは半ば透き通っており、塩っぱい。文字通り、シジミ汁にラーメンが入っている感じだ。
と、ここで私の性格的な弱点が出た。
やや神経質な私は、先にシジミの身を全部かき出すか食べてしまわないと気がすまない。シジミ汁ならそれで問題はないが、ラーメンだとその間に麺がのびてしまう。(T_T)
Ladyにもその場で指摘されたが、性格なのでどうしようがない。orz

食事を終え、あとはひたすら車で南下した。青森市内を抜け、さらに南を目指す。
私「どこ行くですか?」
Lady「十和田湖に沈む夕日を見ようと思ってさ。」
私「十和田湖って、かなり遠くないです?」
Lady「まあね。ちょっと無理かな。酸ヶ湯(すかゆ)温泉までなら行けるかな。」
私「すかゆ?・・・・スカトロの湯?」
Lady「バカ、違うね。酸性が強い温泉だよ。昔の雰囲気が残った湯治場でさあ、『千人風呂』っていう、すンごいデカイお風呂があんだよ。」
私「ほう。」
Lady「子どもの頃さあ、ジイさんとバアさんの湯治に付き合わされてさあ、夏休みが丸々潰れちゃったことがあったよ。」
私「へえ、一ヶ月以上逗留してたんだ。(笑)」
Lady「そんなにいなかったけどね。」
私「あ、そうか。北国の夏休みは短いんでしたね。」
Lady「そこに行く途中にさ、親戚のオジさんがやってる茶店があってさ。お土産とか売ってんだけど。」
私「ふむ。」
Lady「あれ、何のお茶だったかなあ?お茶が置いてあって誰でも自由に飲めるんだよね。」
私「ほう。」
Lady「『長寿茶』って言うんだけどさ。
私「ははあ、それは結構なお茶ですな。」
Lady「張り紙がしてあってね。『一杯飲めば10年生きる。二杯飲めば20年生きる。三杯飲めば死ぬまで生きる』って書いてあんの。(笑)」
私「ぶはははははっ!(爆)それは飲んでみたい。 ヾ(≧∇≦)」
Lady「でしょ。(笑)」
私「オレも長生きできるかな?」
Lady「じゃない?ウチのジイさんとバアさんは死ぬまで生きてたからね。(笑)」
しかしながら、お茶屋に着いたころには既に5時を回っており、周辺のお店共々全て閉まっていた。
Lady「残念だったね。まあ、酸ヶ湯はもうすぐだから。」

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酸ヶ湯温泉は八甲田山系の一角にあり、曲がりくねった道を車で上った先の道沿いにあった。宿は一軒しかないが大きな施設で、宿泊所や浴棟の他に土産店や食事処などの棟が建っている。観光客が来ているのか、広い駐車場はいっぱいであった。離れた場所に車を停め、付近を散策してみる。
Lady「千人風呂にだけ入ることもできるからね。それ目当てで来てる人が多いのかも。」
私「南阿蘇の地獄温泉の雰囲気に似てるなあ。」
Lady「へえ、どんなとこ?」
私「宿が二軒あって、清風荘ってとこがこんなカンジですね。やっぱり元々は湯治場で、観光客が多くて。」
土産店は広く、地酒がたくさん並んでいた。本場の南部煎餅もある。そば饅頭は九州のものより3倍ほど大きかった。
Lady「夏休み中、ここで過ごしたって言ったじゃない。他にも子どもが何人か連れてこられてたのね。男の子が多かったけど。こんなとこ子どもには退屈だから、子どもだけ集まって遊ぶようになってさ。みんなで上の地獄沼とかよく行ってたよ。」
私「地獄沼ですか・・・・(^_^;」
しからばと、地獄沼へと移動することにした。

最初は徒歩で行こうとして、上の駐車場まで歩いた。こちらはあまり車は停まっていない。駐車場の背面に白い壁があり、妙に泥で汚れている。
Lady「あれは雪だよ。」
私「えーっっ!」

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近づいてみると、土色に汚れているものの確かに雪である。縁の方は雫がしたたっていたが、表面を触ってみるとガチガチに固まっていた。九州出身の私には思いもよらない光景であった。時は6月中旬。夕暮れではあるが、寒いというほどの冷気は感じられない。とはいえ、夜中になればもっと寒いのだろうし、日中もさほど暑くはならないのかもしれない。
駐車場前の道路からは、宿の施設へと降りる小路が伸びていた。
Lady「冬はこの辺、雪で埋もれちゃってね。この路の辺りはトンネルが掘られるんだよね。その中通って宿まで下りていくの。」
私「九州人には想像つかねえや。(^_^;」
Lady「こっちの駐車場、昔はなかったんだけどな。地獄沼にもできてるかな?」
ということで、小路を使って一旦車まで戻り、車で移動することにした。

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駐車場はなかったが、車を停めるスペースは十分にあった。
地獄沼は乳白色に濁っており、水面からは湯気が立ち上っていた。辺りは硫黄の匂いで満ちていた。
Lady「子どもの頃は歩いてくるしかなかったからそうしてたけど、こうして来てみると結構離れてたね。」
私「うん。子どもは健脚ですな。」
Lady「そっちに『まんじゅうふかし』があるよ。」
Ladyは道路の反対側の谷を指差した。
Lady「足湯でもないな・・・・。蒸気で腰を暖めるんだよね。」
『まんじゅう』とは東北弁で、女性のアソコのことを指す言葉だそうだ。
Lady「小学生だったから知らなくてさ。帰ってから父ちゃんに『まんじゅうってナニ?』って聞いたのね。」
Ladyの父親は津軽出身である。
Lady「でも要領得なくてさあ。ナンかはぐらかされるんだよね。そしたら母ちゃんが『アンタ、ちゃんと教えてやんなよ』って出てきてさ。『アンタやお母さんに付いてるもんだよ』って。そしたらいつの間にか、父ちゃんいなくなってた。(笑)」
私「なるほど。(^_^;」

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道路を渡り、緩やかな斜面を徒歩で降りる。温泉を汲み上げているのか、小さなポンプ小屋らしきものから盛んに蒸気が噴き上がっていた。奥に宿泊施設もあったので、ここが湯元となっているのだろうか。

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かたわらには噴気が上る空き地があった。亜硫酸ガスのためであろう、その一角だけ草木が生えておらず、地獄特有の荒涼とした景観が目を引く。入口は封鎖されており、『危険』の文字の看板があった。一番奥にお地蔵さんが立っているが見えた。
後で調べたのだが、過去に八甲田山域で自衛隊員が訓練中、窪地に溜まった火山性ガスにより3人死亡しているそうだ。近年でも山菜採りをしていた女子中学生が中毒死している。この周辺は、いたるところにこうした危険地帯があるのだろう。

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さらに奥へ進むと、渓流沿いに風雅な東屋が建っていた。簡素な木のベンチが置かれ、『まんじゅうふかし』の看板が掲げられていた。後ろの渓流は透きとおっていたが、せせらぐ水面には湯気が立っていた。
Lady「遊んでた男の子たちがさあ、『ここはLadyちゃんとケイコちゃんだけが座っていいんだ』って言うんだよね。(笑)」
そう言いながら、ヒバ材の木でできた細長いベンチに腰を下ろすLady。

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Lady「アンタも試してみなよ。」
そう言われてベンチに寝そべってみたが、男の自分がそうしているのが、イケナイことをしているかのような感覚に陥る。
ベンチは思った以上に暖かく、ジンワリと熱が体内に伝わってくる感じだ。冷え性の女性などにはたまらなく気持ちが良いだろう。

その後、車に戻って山を下り始めた。途中、Ladyの指示で脇道へそれ、やがて現れた広い駐車場へと入っていった。お土産店と食事処を兼ねているのか、わりと大きな店があるが、時刻が遅いせいか閉まっていた。駐車場に我々以外の車はなく、人影もなかった。
Lady「この先にさあ、雪中行軍の遭難事件で捜索隊に見つかった人の像があんだよ。」
私「へえ、そうなんだ!」

明治35年1月、ロシアとの軋轢を深めた日本陸軍は寒冷地での戦闘を想定し、八甲田山中で大規模な行軍訓練を行った。隊員総数210名の第5連隊第2大隊は装備も冬山に対する意識も軽微であり、悲惨な結果を招くこととなった。
我々の年代だと映画『八甲田山』で、北大路欣が「天は我々を見放したか~~~っっっ!!!」と叫んでいたのがあまりに印象深い。

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白樺の林の中を伸びる、よく整備された歩道を200~300m歩いた。
Lady「隊の遭難を知らせに行ってた兵士が、立ったまま仮死状態で見つかるんだよね。その場所に、見つかったとき姿で銅像が建てられてるんだよ。」
私「へえ、そうなんだ。見つかったときはまだ生きてたんですね。」
Lady「あの人は助かったはずだよ。」
私「あ、そうなんだ。」
Lady「凍傷で手足は失ったと思うけど。」
私「あれって、何人くらい助かったの?」
Lady「どうだったかな。数人じゃない?」

第5連隊第2大隊は1月23日に青森を出発し、翌日には八甲田山中で遭難に近い状態となった。この年の寒波は例年を8~10℃下回っていたそうで、体感温度は-50℃に達したといわれる。極限の状態の中で隊員たちは次々に力尽き、発狂して崖から飛び降りたり川に飛び込んだりする者も相次いだ。隊列が保てず、しだいに隊は散り散りになってしまう。
1月27日に後藤房之助伍長が仮死状態で立っているのが発見され、気を取り戻した彼の口から隊の遭難が発覚した。2月2日までにわずかな生存者の発見と遺体の回収が行われたが、全ての遺体が見つかったのは雪解け後の5月28日であった。
隊員210名のうち、生存者はわずか11名。捜索には雪山に慣れたアイヌ人の猟師やアイヌ犬までもが加わり、延べ1万人規模で行われている。仮死状態で見つかった者の中には、気付け薬の注射を打とうと試みたが、皮膚が凍り付いて針が刺さらなかったというケースがあったらしい。遺体も凍結が激しく、丁寧に扱わないと間接部から粉々に砕けたという。
生存者も五体満足で助かったものは3名だけで、1人は指3本とアキレス腱、1人は左脚を切断、他は過度の凍傷により四肢切断となっている。
予断だが、隊員の中には気が触れて服を脱ぎ捨てて凍死する者もいたらしい。これは寒冷地遭難の際に度々見られる現象で、脳の錯覚によるものらしい。人は寒くなると自然と身体が震えだす。これは身体を振動させることで体温を高めようという反射運動だが、これが高じると身体が暑いと脳が錯覚を起こすのだそうだ。冬山の遭難などで、衣類を脱ぎ捨てた遺体が見つかることがしばしばあるらしい。

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後藤伍長の銅像が建つ場所への入り口には『後藤伍長発見の地』と案内してあるが、実際の発見地は数キロ青森よりのところらしい。後藤伍長は事件時はまだ23歳。凍傷により手足を失っているが、その後結婚し、子をなし、村議会議員まで務めたそうである。
銅像の台座には漢文で事件のことが記してあった。『何故漢文で?』と思ったのだが、この銅像が建てられたのは事件からわずか4年後の明治39年のことで、除幕式には後藤伍長本人も立ち会ったらしい。

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漢文などまともに読む気になれずに斜め読みしていると、「しょうがないね。ウエール人が読んでやるよ。」と、国立大学国文学科出のウエールズ人が、鮮やかに呼んでくれた。
これでいいのか、オレ?(T_T)

Lady「すごいね、息が白いよ。」
そう言われた私は、ハアァと息を吐いてみた。うっすらと白い息が、薄闇に暮れる八甲田山の空に浮かんだ。
改めて銅像を見上げる。
私「なんか、感無量だな。」
Lady「ん?」
私「よもや自分が、八甲田山の遭難現場の地に立つことになるなんて想像だにしませんでしたよ。雪深い山奥だと思ってたから、そんなとこに自分が行く日が来るなんて夢にも思わなかった。近くまで車で来れるなんて考えないですしね。」
Lady「ここだって冬に来れば相当なもんだよ。車は入れないし、アンタなら簡単に遭難できるよ。」
私「いや、ま、そうでしょうけど。(^_^;」
銅像の建つ地からは、連なる山々の峰を一望することができた。
私「そうじゃなくて。これから先もアアタのそばにいると、自分では思ってもみなかった世界を見ることになるんだろうなって思うわけですよ。自分が知らないだけのことがいっぱいあるって、何度も実感するんだろうなって。」
Lady「だろうね。」
私「こんな歳になって、今さらこれだけ見聞が広まるとはね。アアタといるととんでもない厄災にも見舞われるけど、知識と経験だけは得られるよね。自分だけじゃ絶対経験できないようなことをさ。」
Lady「(笑)」
私「どうせ人生捨てた身だし、たとえ地獄の風景でも、体験できるものなら見てみたいよね。」
Lady「競争しようか。」
私「あん?」
Lady「駐車場まで競争!」
私「ああっ?勝手にやっちくりっ!( ̄▽ ̄;」
Ladyは瞬く間に駆け出していった。速い。
いつもこれだ。山道や長い階段を降りるとき、いつもLadyは競争と言って走り出す。年寄りの私がそんなことをしたら、すっ転んでたちまち血だるまになるのは目に見えている。
私は自分の白い息を眺めながら、足早に彼女の後を追っていった。