龍と言う生き物とは、信じ続けなければその存在を確認することはできないのかもなニヤリ

そもそも単なる人の創造の生き物ではないんだよ

(下段の瀧🟰↑白龍王↑)

引っ越しの観点から村での滝行が難しくなってきた時のことだ。ある程度自由に行き来ができるようになった私はこの瀧で白龍王と出逢うことになったんだ…


この時はそう、1度目だから挨拶をするだけで、瀧には入らなかったんだ…

二人ともまだぎこちない関係なのがとても懐かしく愛くるしく想てくるw

まだ初めましての頃だし、その龍王がこの瀧を愛し生涯現役で見護っていくと覚悟をし、以来ずっとここに棲んでいるんだ…


今回もその瀧に行く前にはまず、ここ中社さんでこれから滝行をするにあたっての御祈願かつ、神に仕えると言う意気込みをしお祈りさせていただくの…

祈りはしっかりと…

一言一句間違えることのないように宣るのニヤリ


そして今回もこの地をまとめる龍王ニヤリ

・・心得た‥龍の子よ…

 信じ続ける者だけが、その存在を視ることが出来る…

彼らは基本龍体(霊体)で、自身の成長を日々精進しておられるんだ…

人間的な主観で生きるものにはまず視ることはできない

龍の持つエネルギーが雲に伝わり周りを覆うからこそ龍雲と言うのが出来る、

そう、龍雲とはどれだけそこに長くいたのかで鮮明に龍の形になって現れるんだ…


同じく、雲以外でも草木にいればその龍体エネルギーが草木に伝わり、その姿を現す…


だからこそ、どこに宿っているのかが容易にわかるんだ…そもそもエネルギーがダダ漏れだからねニヤリ

いつもの龍王と約束をした七滝で…

簡易的なお供えをし祝詞を宣り、面と向かって挨拶をするニヤリ

九字をきって下段の瀧横の岩に自身の名をなぞるの



私とともに来た御心様達にはしていただく行事かなニヤリ初めましてもこの先も…

霊的に言えばこの地自体に君自身を覚えてもらう事


私自身が毎回している理由は、この地と自身を重ね合わせると意味も備えている…

例えば何か乗り物をしているとしよう…

車であれば、何かが当たったりすれば、自身の身体じゃなくともその振動や感覚で伝わり、どこに何が当たったのかがわかるよね…


それと同じ感覚が備わり、上段の瀧にいても誰が来たのかが瞬時にわかるんだよ…


何故 印を組むのかって!?


それは 自分の御宮である身体と仏神の身体を重ね合わせる事


(そこに龍王と自身を重ね合わせる)

自分の言葉と仏神の言葉を重ねあわせる事


自分の心と仏神の心を重ね合わせる事であり


これは、三密行といい手に印を結ぶことによって


自分の身体と仏神の身体を合わせる 身密


口に真言と呼ばれる呪文を唱える事による


自分の言葉と仏神の言葉を合わせる 口密


瞑想により心の中に本尊を招き入れる


自分の心と仏神の心を重ね合わせる 意密



そう、印の中には仏教で言う幖幟で溢れている


幖幟(ひょうし)と言うのは簡単に言えば

本誓 本願と言う意味でもあり、

名を呼べばいついかなる時も




〜に導く 〜の寳を授ける 一切の罪を消除する

不動であれば強力な法の縄で救済する等の意味が込められている…



真言は梵語でマントラと言うが、


マンとは思念 思惟 トラが器の意味である…


そう、仏神の思念が盛られた器と言うものだ…


身近でいえば、瞑想をする時にへその前に両手を重ねる手の形も印の一種の定印であり


お墓や仏壇に向かって手を合わせる事も

合掌印と言い私達は自然に印を組んでいるんだ…


自身の深淵を覗き、君の新たなる真髄を導く事にもなるであろう…