滝行の本来の目的と言うのは、厳しいものなのではなく、生きてゆくために必要不可欠なミネラルを肌で摂取すると言うのが真実である…
悪いものに憑かれる?憑かれないためになどと言うものでもなく、自分は祓いができるから大丈夫だそんな面倒くさいことをしなくてもなどと言う自称霊能者もいるが、霊的な事、御寺や神社などの威厳高ぶる厳しい修行って言うほどのものでない。
威厳性は後からついてきたものなんだ
幼少期からずっと水と言うものに深く関わりずっと
気持ちを寄せていた
村の巫女を卒業し、某御寺にも通っていろんな事を教えてくれたんだ
だから免許を皆伝してもらい、私の自由に好きな感覚で広めさせてもらっているの
➀古来から先代様達が修行の中で一番良い方法の一つであり
➁自然様から出る滝はミネラルが豊富で皮膚から摂取でき、
尚且つ免疫力が上がりつつ抵抗力もつく事
➂人は大人になればなるほど脳のお喋りが止まらなくなる、
人は無心と言う状態がキープできないからだ、
滝に打たれているときは脳がお喋りする暇もなく打たれ続け集中できるんだよ。
それがいつしか自然と一つになるさまざまな理由で御寺や神社に修行として取り入れられる。
かつての人たちの栄養を補給でき、健康になるためのものが、いつの間にか威厳化され、一部の人達だけのものになってしまった。
私の先生達は 職業をその身に置きながらそれに背くような物言いをする…
だけど、本来はそうゆうものなんだ。
もっと短なものなんだよ…
人の煩悩と言うのは魂がある限り、なくなる事はない
無の境地と言うものは私の人生がまだそんなに生きていないのかもしれないが、存在しないと私は現段階では思う
自分の視るものが他人には細部まで共有できないほどに確実なんだ
丹生川上中社鳥居横、新緑の時にだけに姿を表す
緑龍🐉
私が想ふ滝行、水行と言う行は、無の境地でもなく
煩悩を取り払うものでもなく、心を休め、身体のコンディションを整える事だ🐰
そこにドラゴン🐲のエネルギーも一緒に入れると言う事だ
神様からの借り物である肉体にミネラルたっぷり栄養を摂るんだよ。
普段の生活では決して補えないものがあるんだ
龍の霊体(蛟系)
水龍
そして人が本来持つ言霊と言うものと、
水に感謝をする(これは水に限った事ではないけどね)
ほとんどの人は目の前に便利なものが溢れ、当たり前と思う時があるだろう、そしてそれがいつか消えた時、どうこうする余地もなくなった時、冷静さを失い、奪い合い最悪の状態になるんだ
人によってはただの水遊びだと思うだろう、
神道や仏教などで知識を得たならそうは思えなくなるんだ…
感謝を込めたものは必ず良い事になって返ってくるんだ🐰
そう
今自分が辛い事が起こってる時とか因果じゃないけど、前世前前世自分がそれ同じ事人に言い払ったんだよ、あるいはしてしまったんだよ、
幸せとは今在る幸せが幸せではなく、その行動一つ一つの自分が今感謝の種を蒔いている過程で変わって来るんだ
ねぇ、今、不満とか機嫌良くない事してたら、勿体無いよね
それを一線を越えると言ったのかな、良い事に越えるのは良いと想うが 悪事に一線を越えるのは本当に幸せの道から堕ちてしまうよね。
神様は常に平等であるから改める余地もあるのにまた同じ事を繰り返すと無限にそんな代を重ねるんだろう
欲を煩悩と言い良くない事の総称としてしまうのは改ざんされた聖書と同じだ
煩悩には色がありいろんな個性を表現できる良いものでもあるんだ🐰✨
龍もたくさん個性的な子もいて全てが愛おしい🐰✨
それに伝わっている神話の八百万様も個性で溢れているじゃないか(๑˃̵ᴗ˂̵)✨
・・だからこそ想うんだ、滝行ってね、万物全ての憩いの行でもあるんだ…
神様の借り物で僕たちはこんな楽しい表現ができるのだから
その体様を僕たちが支配しようなんて畏れ多いね、だからたまには自分と言う意識も休めなくっちゃぁねぇ
君には視えるかな
世界では空想と呼ばれた彼らが霊体ではあるけれど、活き活きと泳ぐ御姿が
彼ら(龍族)とともに生活に必要な滝行と言うものを一緒に広めようヽ(*^ω^*)ノ✨✨✨
龍恩感謝