ブログ開設からの年数とかとは全く関係ありません。。

 

また、今日の記事は自分の身の上の事について長文のみですの

興味の無い方はスルーして下さい。

 

今年もまたこの日を迎える事が出来ました。

 

 

私にとっては17年前の今日5月28日が

 

「生かされた運命の日」

 

 

であることを一生涯決して忘れません。

 

 

 

「私の生きざま」

 

を最近ご訪問頂いた方、そしてフォローして下さった方で私の事をよく知らない皆様の為、

そして自分への反省の意味やモチベーション維持の為に生きている限りブログを

続けている限りこの事について毎年書かせて頂こうと思います。

 

尚、内容についてお気に召さない方はどうぞフォローを解除して頂いて

結構です。ご縁が無かったものと思って割り切っております。

 

 

 

17年前の今日5月28日、私は交通事故に遭いました。

 

バイクで片側2車線の国道を走行中に側道から飛び出してきた車と衝突し

 

その反動で中央車線に投げ飛ばされ、落ちたところを12トンのダンプに轢かれました。。

 

病院に運ばれた時には出血多量で緊急の輸血、肺の一部が破裂そして全身のいたる

ところを骨折、特に両下肢は高度挫滅と呼ばれるどうしようも無い状態でした。

 

そして遠のく記憶の中で医師から

 

「右下腿の回復の見込みは無いが切断しても良いか?」

との医師からの問いに、それしか選択肢が無いのなら・・・と

 

遠のく記憶の中で頷いていた様です。。

 

 

その後は生死を彷徨っていたようで、夢の中で私の守護霊と言われている祖母が出て来て

 

三途の川の向こうで「お前がこっちに来るのはまだ早い!!」と言われてハッとして目が

覚めたのは事故から3日後でした。。

 

しかし全身のいたるところが骨折して絶対安静の日が何日も続き、ICUに何日間も入れられて

いた事を今でも鮮明に覚えております。。

 

自分の身体を全く動かせない、もしくは動かそうとすると激痛が走り結局は寝たきりの状態が

3ヶ月以上続きました。。
(特に骨盤が真っ二つに割れ、体を固定され寝返りを許されるまで3ヶ月掛かりました)

 

 

もちろん、五体満足で何不自由なかった自分が突然この様な状態になって自暴自棄になり、

精神的におかしくなりそうになりました。

 

 

「何で自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだ!!」

 

 

しかし、医師からのその後の私の人生・生き方を変える一生忘れらない言葉

 

 

「あなたは運が良いほうです。あと1秒いやあとコンマ1秒早くても遅くても頭やお腹を

踏まれた筈。私は交通事故で何人もその様な悲惨な患者さんを見てきた」

 

私と同じ様な事故で何年か前に有名芸能人の方でお亡くなりになられた方がいらっしゃいます。

 

俳優で活躍していた 故 萩原流行さんの事故死がまさしくそうでした。

 

私は悟りました。

 

「私は生かされた運命の人間であり、この様な事になるのは

宿命だったんだ」

 

そして

 

「神様は辛い事に耐えられる人間に生きる道を選んで下さった」

 

とも(私は宗教団体とは一切ご縁がございません。念の為)

 

 

白血病を告白した池江りかこ選手も同じ様な主旨のお話をなさり、ありのままの自分を

臆することなく公表し、そしてその病気を克服するばかりか頑張って頑張って東京

オリンピックの代表に内定したその頑張りに心から敬意を表します。

 

今年だけ書きますが、

その様に努力を積み重ねて勝ち取った池江りかこ選手への「東京オリンピック辞退しろ」

言う主旨の発言をする輩、

 

同じ人間として恥ずかしいです。

 

 

私はその生かされた運命と言う心の支えがあったからこそ、何十回の手術、決して言葉では

表す事が出来ない壮絶なリハビリにも耐え、車椅子から歩行器、歩行器から両松葉杖、

そして片杖から最後には何も補助具を持ったり付けたりしなくても歩けるになり、

今日も歩き続けております。

 

今年もまだ新型コロナウイルスが終息しておらず、毎日の様にお亡くなりになられている方が

いらっしゃいます。何十万人もの命を奪った恐ろしい感染症との闘いは未だ終わって

いません。まだまだ気を引き締める必要がありますね。

 

ただ去年とちがってワクチン接種が日本でも始まっております。

暗いトンネルから明るい光が見えて始めてきました。

あと少しの辛抱で世の中が変わっていくと思います。

 

来年の今頃には世界中に平穏の日々がふたたび訪れることを願って止みません。

 

 

17年目の今日に至るまで色々な事が有りました。。

 

 

[訴訟]

 

刑事訴訟 

 

第一加害者は執行猶予付の禁固刑、第二加害者は無罪

 

第一加害者は罪の重さを十分認識して

いつも

「時間があるので寄ってみました」

 

と仰って私の見舞いに来てくれました。

 

決して時間がある方では無い事を私は知っております。

 

人柄がこう言うところに現れますね。

 

罪を憎んで人を憎まず

 

第一加害者の量刑は重く、会社の処罰規程の対象になる様でした。

その方が処罰を軽くして欲しい為に私のところに来ているのでは無い事は

分かっております。

 

そこで、その方の勤務先の社長宛に量刑を軽くしてくれる様嘆願書を書きました。

(決して頼まれたとかいう事はありません)

 

結果はかなり軽い処分になったと聞いております。

 

普通なら自分を貶めた人間に対して処罰を軽くする様な嘆願書など心情的に書けないと

思います。

ただ、私は人柄からその方が善人である事は分かり、人を憎む事は止めました。

 

今でも年賀状のやり取りをする仲です。

 

尚、今まで書きませんでしたが、第二加害者には罪の意識がなく、病院にも1回も顔を

出しませんでした。第一加害者との違いがこのようなところに表れました。

人として許せないと言う気持ちが沸いてきした。

そこで、刑事裁判で裁判官に第二加害者を「厳罰に処して下さい」と被害者として証人尋問

にて証言しました。

結果的には不起訴処分となりましたが、後日裁判長から第二加害者に対して相当な説教を

していた旨の話が弁護士を通じて伝わってきたのは少し嬉しかったです。

 

 

民事訴訟 

 

入院中に損害賠償について沢山の本を読み勉強しました。

 

しかし加害者の保険会社からの提示額は低く、弁護士を立てて損害賠償請求で

裁判を行いました。

 

この弁護士についても、実は加害者の弁護士はいつもは被害者救済を担当する弁護士

の先生でした。その先生から、「貴方は裁判をやった方が良い」と言われましたが、

私には弁護士の先生のツテなどありません。するとその先生が弁護士の先生を

紹介して下さりました。

 

自分と相対することになる弁護士の先生をご紹介いただくなんて事はあまり無いかと思います。

 

こういう面でも私は人に恵まれていたと思います。

 

そして、私の担当弁護士の先生と共に訴状を作り上げ何回かの公判後

 

私1:9加害者(第一加害者7:第二加害者2))の過失割合を認定

 

裁判所は私の主張(モチロン弁護士を通じて)を全面的に採用して頂き

 

和解額をそれぞれの加害者に提示し、紆余曲折はありましたが全員和解に応じ、

 

1年掛かって裁判が終わり損害賠償訴訟は終了しました。。

 

ここで自分としては一区切りになったと思います。

 

 

[失った事・得た事]

 

失った事

 

裁判で賠償金を貰っても、失ったものは沢山あります。。

 

今まで簡単に出来た事が出来なくなってしまった事。。

 

私は右足下腿切断だけでなく、左足にも重い障害を抱えております。

 

左足底は広背筋から筋肉ごと移植した皮膚の為に強度が1/10しかなく、

直ぐに皮が剥け出血してしまいます。さらに神経が通っていない為に足裏が

血だらけになっても気付かず、靴を脱いだ時に血の海になっている事も多々

ありました。。

 

また、足の指も親指と小指を回復の見込みがないとの事で事故当日の手術で

切断しております。
そして足首の関節の可動域も普通の方の1/2しかなく歩く事さえままならないのが

本当の私の姿なのです。

 

さらに体中には広背筋を含む皮膚を移植した為に醜状痕と呼ばれる大きな傷跡が

残っており、 走る事や泳ぐ事等皆様にとって何でも無い事が私には難しいのです。

 

その他にも皆さんにとってはごく当たり前の事でも私にとっては出来なかった事が沢山あります。

 

しかし、やらないで嘆くだけと言う考え方は好きでなく、

 

 

「やろう出来る!!」

 

 

と言う考え方が私の根底にあります。

 

(「やれば出来る」はやらなければやらないで済むと言う考え方に解釈が出来てしまうので使いません)

 

 

 

得た事

 

1、失効した運転免許の完全復活

 

入院中に運転免許が失効してしまいました。

 

しかし、車の運転免許は絶対に取り戻したいし、願わくば大好きだったオートバイにも再び

乗りたいと思って運転免許試験場に向かいました。

 

尚、途中で障害を持った者は免許を失効したからと言って、免許交付日が変わると言う

形式上の免許再交付だけではありません。運転適正検査と言う名の特別な試験が

課せられます。

 

この運転適性検査に落ちた場合には該当する運転免許は返納しなければならないと言う

極めて厳しいと検査と言う名の試験でした。

 

自動車の運転免許はリハビリ病院で疑似的なテストをやっていたお陰で何とかクリアしました。

 

しかしオートバイ(大型二輪)は両下肢に障害がある者の前例が無いと担当審査官に

渋られました。。

 

私的にはバイクのコツを頭と体で覚えていたつもりでしたので、ダメでも良いからやらせてくれ

と言うと熱意が通じ、数名の大型二輪の技能試験官立ち合いの下いくつかの実技審査を行い、

全部クリアして太鼓判を頂き前例を作りました。。

 

2、JAF 国内A級ライセンス取得

 

6年ほど前にJAFの国内A級ライセンスを取得しました。

 

JAFの国内B級ライセンス(ペーパーテストのみ、但し障害のある者は書類による事前審査有)取得後、

国内A級ライセンスを取るべく申請を行いましたが、障害を持つ者には事前に書類と実技審査と言う壁

があります。

 

4点式のシートベルトを着用した状態からベルトを外し、ドアを開けての脱出・ドアが開けられない状態を

想定して窓からの脱出をビデオで秒数が分かる様に撮ると言う課題でした。

 

これは一人では出来なく、家族の協力を得てVIDEO撮影しJAFに提出。

 

家族の協力のお陰もあり無事事前審査に通り、A級ライセンス講習会で講義を受け、後日富士スピード

ウェイで行われたJAF公認の競技で無事規定タイム内でゴールし、国内A級ライセンスを取得する事が

出来ました。

 

重い障害を持つもので国内A級ライセンスを所持している者も数少ないと言われております。

 

ちなみに普通の方なら国内B級をお持ちであれば国内A級ライセンス講習会兼JAF公認

競技会を行うケースが多く、その日のうちに国内A級ライセンス取得出来るプログラムがあり、

誰でも取れるライセンスです。

 

 

この様に自分が失いかけたものを少しずつでも取り戻せるように未だに頑張っているところです。。

 

 

 

 

 

 

そしてこれからも色々な事にチャレンジしていこうと思います。。

 

 

[昨年から今日までに出来た事・継続している事]

 

*ジョギング

現在勤務している会社は昨年3月(各国も入国規制が始まった頃)から基本テレワークとなり

現在も継続されています。

 

昨年恐る恐る始めたジョギング(ランニングではありません・・・汗)

たった1.6kmですが休みながらですが走る事を続けています。

皆さんにとって歩く様な一歩でも私にとっては前進の一歩だと思ってこれからも頑張ります。

 

*スキー

昨年の蔵王で調子に乗って、今年は友人と北海道でスキーをした事は皆様の記憶にも新しいと思います。。

今までは1日でしたが今回は3日間。

少しづつですが、スキーで長い距離・長い時間を滑れる様になったのは私にとってさらなる進歩でした。

 

*水泳

プールがまだ平時に戻った訳ではありませんが、私でも泳げるプールがあり

そこで限られた時間ではありますが、泳いでおります。

歳と共に筋力低下していきますが、少しでも現状維持する為にジョギング同様継続していくつもりです。

 

 

*オートバイでツーリング

 バカは死ななきゃ治らない(笑)

 

昨年7月に北海道を750㏄のバイクでツーリング

今年5月に九州を1300㏄のバイクでツーリング

 

昨年チャレンジしたいという事を今年一つ実践することが出来ました。

最初にバイクに跨った時は自分でも不安でしたが、走り始めて直ぐに

感覚を取り戻して普通に走る事が出来ました。

 

これからも無理のない範囲でバイクツーリングを続けようと思います。

 

 

 

[これからチャレンジしたい事]

 

毎年ハードルを上げなければならなくなってきました(笑)

 

*登山

これは継続している項目に該当するかもしれませんが・・・。

 

一昨年、丹沢の大山登頂成功して調子こいて、昨年再び大山登山に行きました。

岩場でバランスを失い背中から落ちてしまい、右義足があらぬ方向を向いてしまいました。

後日、その右足の断端が内出血して大きく腫れ上がり紫色になっていました。

 

それからは嫁様からの指導が入り、一人での登山は禁止と言う事になりました。

ただ、長男坊も少し太り気味なので長男坊とまずは高尾山を下から登って山頂に無事到着。

今度は再度大山を違うルートから攻めてみようと今から考え中です。

また、他の山にも挑戦しようと考えております。

 

*自転車でツーリング

我が家にはクロスバイクと呼ばれるロードバイクとマウンテンバイクをミックスしたような自転車が

あります。気が向いた時だけですがクロスバイクと呼ばれるチャリで江ノ島まで行ったりしています。

また、富士スピードウェイをチャリで走ったりしますが、寄る年波には勝てず、4キロののアップダウン

が激しい道のりで心臓が破裂する位の上り坂で長時間の休憩をしながら走っていたりします(笑)

街中を走るのはスピードが出る分恐怖ですが、体力維持の為にもっと身体を動かすために長距離を

走ってみたいと思います。

 

*英会話力アップ

これまた去年の続きで既に実践しておりますが、なかなかロートルの頭ではボギャブラリーが乏しいです。

海外旅行が出来る様になった暁には海外の方と、もっとコミュニケーションを取れるようになりたいです。

 

*ゴルフのコースデビュー

 

こちらは何年も書き続けて実践出来ておりません(笑)

デビューするには、まだまだで、体軸が定まらず、練習場でも右に左に飛んで行き自分の

思い通りに飛ぶ様な状態で無い事は分かっていますが、ゴルフコースは電動カートで回る

所も多いと聞きました。

 

直ぐにデビューするつもりはありませんが、ゴルフコースで思いっきり飛ばしてみたいと言う

夢だけは持ち続けていきたいと思います。

 

 

*スキーの上達

 

私のスキーは昔習ったズラシのスキー技術です。

 

現在のスキーはカービングスキーとは分かっていたのですが、それを体得する機会が

有りませんでした。しかし、ブロ友さんのスキーのプロにカービングスキー板に合った

体の軸(内倒気味)を使ったスキー技術を教えて貰いました。

少し前まで緩斜面しか滑る事が出来ませんでしたが、この技術を体得して少し中斜面

でも転ばずに滑る事が出来る様になってきました。

ただ、ビデオを見るとまだズラシのスキーをやっている時がありこの点をもう少し改善

したいと思っております。

 

ちなみに、リハビリの主治医にスキーの話をしたら、あなたの様な両足に障害

(特に右下腿義足)を抱えて普通の板で普通にスキーをする人は聞いた事が

無いと言われました。。

 

通常の方はストックに小さいスキー板が付いた特殊なものの方が殆どの様です。

 

バイクの再試験の時もそうでしたが、

 

前例が無ければ作れば良いものだと私は思います。。

 

来シーズンも少しずつでも上達して皆さんの足手纏いにならない様に頑張って、

また来年もこんな私と一緒にスキーをして下さるブロ友さんがいらっしゃれば

この上ない幸せです。。

 

 

 

 

 

[家族の事]

 

私の大切な家族、まずは家内の事。

 

私の生死が分からないまま病院に来て、不安なままの3日間、その後私が目が

覚めた時に見た家内の涙を流した顔、そして退院まで献身的に私を励まし続け

くれた事この先も一生忘れません。。

 

特に左足底の皮膚移植手術の前に、医師からは最悪の場合左足も切断するか

もしれないと告げられておりました。

さすがにその夜は眠れなかったのですが、察してか夜中に家内からメールが

来ました。。

 

「大丈夫、たとえ両足が無くて車イスになっても私が色々なところに連れて行ってあげるから・・・」

 

との励ましのメールでした。。

明日、自分の両足が無くなるかもと言う精神的に極限の状態でのこのメール・・・、

 

本当に涙が止まらず、

 

もし私が退院したあかつきには家内にも恩返ししようと心に誓ったのがこの時でした。

 

そして子供達には車いすに乗れる様になるまで黙っている様に家内にお願いしておりました。

 

それは、父親が寝ているベッドにいくつもの点滴を繋がれていて、身動き出来ない状態を

幼い子供の目に焼き付けさせたくなかったからです。

 

 

3か月後に車いすの姿で再会した時子供達は最初はビックリし涙を流しておりましたが

 

 

「お父さん生きていてくれてありがとう!!」

 

私はここでも涙が止まりませんでした。

 

 

この子供たちの言葉そして献身的な家内の支えがあったからこそ

 

辛い苦難を乗り越える事が出来たと思います。

 

この様な不運(不幸とは思っていません)な出来事があったからこそ、

我が家は他の普通のご家族より絆が深くなったものと私は思っております。

 

感謝の気持ち、自分を奮い立たせる為に家族の事は毎年必ず書こうと思います。

 

[仕事の事]

 

父親として「働かざる者食うべからず」と言うのが私の信念であります。

 

一生懸命働いて子供達を養うのが父親としての当然の責務と考えております。

 

それを家族が分かってくれているので私が仕事を終え家に帰ると必ず家族が

 

「おかえり~」と今でも温かく迎えてくれます。。

 

 

何よりも嬉しい事です。。

 

長男坊は転職して自宅に戻って来て私達と一緒に暮らしております。

 

娘も既に社会人になって2年が経ちました。

 

と言う事で私の親としての子供を養う役目はほぼ終えた様なのですが、

働けるうちは頑張って働き、社会に少しでも貢献できればと思って今日も仕事を続けております。

 

数年前事業縮小による前職からの離職後、路頭に迷う様な状態に陥りましたが、

幸い私を拾ってくれた今の会社。既に拾ってくれた上司は恩返しが出来ないまま卒業されて

しまいましたが、今でも感謝の気持ちを忘れません。

また、今の上司もたとえ定年になっても一緒に働いてくれと言われております。

本当にありがたい話で感謝の言葉しかありません。

 

私はここでも人に恵まれるいると改めて思った次第です。

 

 

[反省した事]

 

今まで貯金通帳に見た事が無い金額がある日振り込まれました。。

 

そう損害賠償金が一括で振り込まれたのです。 人間は目の前にお金があると

欲深くなる事を思い知りました。。

 

最初の頃はそれまでの生活では絶対考えられない、高級な国産車に乗ったり

 

着るものも高級な服を着たりと夫婦・家族を含めて散財をしておりました。。

 

しかし、いつしか何かが違う事に気付き、家内とも相談して

 

やはり自分の身の丈に合った生き方をするべきと考える様になりました。

 

 

それまで散財してきたものを全て売却し、現在は当たり前の如くごく普通の家庭と

同じ様にごく普通の生活をしております。。

 

 

当たり前の事が当たり前の様に出来なかった自分が今となっては恥ずかしいです。

我が家は決してセレブではありませんし、ましてや富豪などではありませんので

念の為(笑)


 

[旅行の事]

 

*旅行費用の予算制

 

これは今も継続中です。

 

今まで湯水の如く使っていた大切なお金ですが、子供に手が掛からなくなり

 

時間的余裕も出来てきたので、最近では夫婦で別々に旅行する事も多くなりました。

 

何故夫婦一緒に行動しないのか?

 

私と家内では価値観が違います。家内は飛行機等に全く興味が無く、コンサートなどを

楽しむための旅行が主体です。

私はどちらかと言うとまだ見ぬ世界の色々な所に行ってみたいと思っており、飛行機旅

を楽しみながら旅行する事がメインです。。

 

価値観の違い・・・、例えばジャニーズ系のコンサートチケットに10万円と言うのが私には

理解できない様に、家内も羽田ー香港をビジネスクラスを10万円かけて行く事が出来

ないと言う事と同じ様なものです。。

 

同じ10万円でもお互いその価値観が違います。

 

ただ我が家ではお互いの価値観の違いを否定するのではなく尊重し、今まで人の何倍も

苦労して来た分、今を楽しく生きようと言う事でお互いの決められた予算の中である程度

自由に活動出来る様にしております。。

 

昨年から今年にかけてコロナ禍の影響で海外旅行が出来ない為に、夫婦で出掛ける

機会が多くなりました。しかし、お互いのその予算の中で行動する形になっております。

つまり支払いは等分にして別勘定で行うようにしております。

 

私の場合この先いつ歩けなくなるか分からない状態で今を必死に生きております。

 

家内のあのメールの文章は生涯忘れる事はありませんが、自分で動けるうちに色々な

所に行きたいと常々思って行動しております。

 

 

今回の記事も昨年のコピペの様なものですが私自身の信念は変わらないと言う事を

お伝えしたかっただけです。

 

 

[ブログの存在]

 

昨年から今年にかけて、残念ながらコロナの影響で例年行われていた海外や国内での

オフ会が中止になってしまっております。

 

ただ、私の事を分かっていて色々な所でお声掛け下さったり、 旅行に誘って下さったり

する方がいらっしゃる事、そしてお気遣い下さっている事、

 

いつも本当に有難く思っており感謝の気持ちで一杯です。。

 

ここ数年沢山のブロガーさんと色々なところでお会いしてお話が出来る事が私にとって

 

とても楽しみであり、毎回ワクワクしながらその時を待っております。。

 

 

こんな私の様な人間でも明るく前向きに生きています。

 

いや、生きて行かなければいけないのです。

 

 

また私はブログでは泣き言や恨み辛みは書かない様にしています。。

 

そんな事を書いても何の解決方法にもならないからです。

 

(今回を除いて・・・)

 


 

私のブログがホンの少しでも皆様のお役に立てる事が出来ましたなら幸いです。

 


 

私の座右の銘

 


 

「我が人生反省すれど後悔無し」

 

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。



 

大魔王