ブログ開設からの年数とかとは全く関係ありません。。
今年もまたこの日を迎える事が出来ました。
YAHOO!ブログでは毎年の様にこの日に記事にしておりましたが、
私にとっては15年前の今日5月28日が
「生かされた運命の日」
であることを決して忘れません。
「私の生きざま」を最近ご訪問頂いた私の事を良く知らない皆様や自分への反省の意味やモチベーション維持の為に生きている限りブログを続けている限りこの事について毎年書かせて頂こうと思います。
私はバイクで片側2車線の国道を走行中に側道から飛び出してきた車と衝突し
その反動で中央車線に投げ飛ばされ、落ちたところを12トンのダンプに轢かれました。。
病院に運ばれた時には出血多量で緊急の輸血、肺の一部が破裂そして全身のいたるところを骨折、特に両下肢は高度挫滅と呼ばれるどうしようも無い状態でした。
そして遠のく記憶の中で医師から
との問いに、それしか選択肢が無いのなら・・・と
遠のく記憶の中で頷いていた様です。。
三途の川の向こうで「お前がこっちに来るのはまだ早い!!」と言われてハッとして目が覚めたのは事故から3日後でした。。
しかし全身のいたるところが骨折して絶対安静の日が何日も続き、ICUに何日間も入れられていた事を今でも鮮明に覚えております。。
自分の身体を全く動かせない、もしくは動かそうとすると激痛が走り結局は寝たきりの状態が3ヶ月以上続きました。。
(特に骨盤が真っ二つに割れ、体を固定され寝返りを許されるまで3ヶ月掛かりました)
(特に骨盤が真っ二つに割れ、体を固定され寝返りを許されるまで3ヶ月掛かりました)
私と同じ様な事故で何年か前に有名芸能人の方でお亡くなりになられた方がいらっしゃいます。
俳優で活躍していた 故 萩原流行さんの事故死がまさしくそうでした。
そして
「神様は辛い事に耐えられる人間に生きる道を選んで下さった」
とも(私は宗教団体とは一切ご縁がございません。念の為)
15年目の今日に至るまで色々な事が有りました。。
刑事訴訟 第一加害者は執行猶予付の禁固刑、第二加害者は無罪
民事訴訟 入院中に損害賠償について沢山の本を読み勉強しました。
しかし加害者の保険会社からの提示額は低く、弁護士を立てて損害賠償請求で裁判を行いました。
何回かの公判後
私1:9加害者(第一加害者8:第二加害者2))の過失割合を認定
裁判所は私の主張(モチロン弁護士を通じて)を全面的に採用して頂き
和解額をそれぞれの加害者に提示し、紆余曲折はありましたが全員和解に応じ、
1年掛かって裁判が終わり損害賠償訴訟は終了しました。。
ただ、賠償金を貰っても、失ったものは沢山あります。。
今まで簡単に出来た事が出来なくなってしまった事。。
私は右足下腿切断だけでなく、左足にも重い障害を抱えております。
左足底は広背筋から筋肉ごと移植した皮膚の為に強度が1/10しかなく、直ぐに皮が剥け出血してしまいます。さらに神経が通っていない為に足裏が血だらけになっても気付かず、靴を脱いだ時に血の海になっている事も多々ありました。。
また、足の指も親指と小指を回復の見込みがないとの事で事故当日の手術で切断しております。
そして足首の関節の可動域も普通の方の1/2しかなく歩く事さえままならないのが本当の私の姿なのです。
そして足首の関節の可動域も普通の方の1/2しかなく歩く事さえままならないのが本当の私の姿なのです。
さらに体中に大きな傷跡が残っており、 走る事や泳ぐ事等皆様にとって何でも無い事が私には難しいのです。
その他にも皆さんにとってはごく当たり前の事でも私にとっては大変な事が沢山あります。。
しかし、やらないで嘆くだけと言う考え方は好きでなく、
(「やれば出来る」はやらなければやらないで済むと言う考え方に解釈が出来てしまうので使いません)
しかし、車の運転免許は絶対に取り戻したいし、願わくば大好きだったオートバイにも再び乗りたいと思って運転免許試験場に向かいました。
尚、途中で障害を持った者は免許を失効したからと言って、免許交付日が変わると言う形式上の免許再交付だけではありません。運転適正検査と言う名の特別な試験が課せられます。
この運転適性検査に落ちた場合には該当する運転免許は返納しなければならないと言う極めて厳しいと検査と言う名の試験でした。
自動車の運転免許はリハビリ病院で疑似的なテストをやっていたお陰で何とかクリアしました。
しかしオートバイ(大型二輪)は両下肢に障害がある者の前例が無いと担当審査官に渋られました。。
私的にはバイクのコツを頭と体で覚えていたつもりでしたので、ダメでも良いからやらせてくれと言うと熱意が通じ、数名の大型二輪の技能試験官立ち合いの下いくつかの実技審査を行い、全部クリアして
太鼓判を頂き前例を作りました。。
JAFの国内B級ライセンス(ペーパーテストのみ、但し障害のある者は書類による事前審査有)取得後、国内A級ライセンスを取るべく申請を行いましたが、障害を持つ者には事前に書類と実技審査と言う壁があります。
4点式のシートベルトを着用した状態からベルトを外し、ドアを開けての脱出・ドアが開けられない状態を想定して窓からの脱出をビデオで秒数が分かる様に撮ると言う課題でした。
これは一人では出来なく、家族の協力を得てVIDEO撮影しJAFに提出。
家族の協力のお陰もあり無事事前審査に通り、A級ライセンス講習会で講義を受け、後日富士スピードウェイで行われたJAF公認の競技で無事規定タイム内でゴールし、国内A級ライセンスを取得する事が出来ました。
重い障害を持つもので国内A級ライセンスを所持している者も数少ないと言われております。
ちなみに普通の方なら国内B級をお持ちであれば国内A級ライセンス講習会兼JAF公認競技会を行うケースが多く、その日のうちに国内A級ライセンス取得出来るプログラムがあり、誰でも取れるライセンスです。
*登山
昨年から登山を始めてみました。
実は学生時代はワンダーフォーゲル部に所属していて、山での生活を楽しんでいた時期がありました。
事故後は足の後遺症(右下腿義足・左足も足首が健常の方の1/2の可動域しかありません)の問題で一生登山は無理だと思っておりました。
でも、スキーが出来るのであれば登山も・・・と言う思いから、昨年は高尾山にチャレンジし走破しました。
今年は少し難易度が上がる大山に登りました。
高尾山と違って足場が悪いところもありますが、最近では登山用のストックもあり、これを杖代わりに足がダメな分身体を支える事で悪路を何とかこなしました。
そして、大山山頂に無事到着しました。
最大斜度45度と言われる世界最大の一枚岩。今年10月26日をもって登山禁止になります。
昨年、準備不足と体力不足から中腹までしか登れませんでした。
今年は絶対頂上まで・・・と言う思いで臨みました。
体中傷だらけになりましたが、何とか頂上制覇しました。
頂上から見た360度の絶景今でも瞼に焼き付いております。
これからも少しずつですが、自分の可能性を信じて色々な山を登ってみたいと思っております。
*自転車でサイクリング
右足が義足ですと、なかなかペタルを踏み込む感覚が掴めません。
最初はママチャリで練習しておりましたが、2年ほど前からMTBタイプの自転車を漕ぎ始めました。
今年はまず、自宅から片道30kmある江の島までサイクリングをしました。
平坦な道に少し慣れてきたので、さらにハードルを上げる為車に自転車を載せて河口湖に行きました。
河口湖を起点にして負荷が掛かる上り坂の御坂トンネルまで行こうとスタートしました。
実際御坂トンネルに到着するとまだ頑張れそうだったので旧道を通って御坂峠を上り始めました。
このルートも自分が健常者の頃でもなかなか辛い行程でした。
途中で何度もめげそうになりましたが、何とか頂上にある峠の茶屋で美味しいほうとうを食べる事が出来ました(笑)
*プールの継続
時々記事にしておりますが、私でも泳げる様なプールを見つけて会社の帰りに時間がある限り通っております。
最初はヘルパーを付けないと沈んでしまって泳ぐことすら出来ませんでした。
しかしながら、体幹トレーニングを続けているうちに何も付けずにごく普通に泳げる様になってきて、現在も継続しております。。
最近休憩のインターバルが短くなり、限られた時間の中で泳ぎ少しずつタイムも上がっている様な気がしております。
[これからチャレンジしたい事]
だんだんとハードルを上げなければならなくなってきました(笑)
*英会話力アップ
これは既に実践し始めました。旅行に行くのにボギャブラリーに乏しく、まさしくジャングリッシュ
程度の英会話力しかありません。
程度の英会話力しかありません。
幸い自己啓発の為の会社からの補助も貰えるようになったので、最近英会話教室に通う様になり
ました。少しでも海外の方と楽しくコミュニケーションを取れるようになりたいです。
*東京2020ボランティア活動
こちらはどうなるか分かりませんが、東京2020オリンピックの大会ボランティアに応募しております。
もし、採用されたあかつきには英会話力をアップさせて実践の場で少しでも活用出来ればと考えております。
こちらは去年も書きました(笑)
デビューするには、まだまだで、体軸が定まらず、練習場でも右に左に飛んで行き自分の思い通りに飛ぶ様な状態で無い事は分かっていますが、ゴルフコースは電動カートで回る所も多いと聞きました。
直ぐにデビューするつもりはありませんが、ゴルフコースで思いっきり飛ばしてみたいと言う夢だけは持ち続けていきたいと思います。
*スキーの上達
昨年はスキーに行けませんでした。
何年か前に15年ぶりに再開したスキーですが、当初はスキーの板に合った滑りが出来ていませんでした。
私のスキーは昔習ったズラシのスキー技術です。
現在のスキーはカービングスキーとは分かっていたのですが、それを体得する機会が有りませんでした。しかし、ブロ友さんのスキーのプロにカービングスキー板に合った体の軸(内倒気味)を使ったスキー技術を教えて貰いました。少し前まで緩斜面しか滑る事が出来ませんでしたが、この技術を体得して少し中斜面でも転ばずに滑る事が出来る様になってきました。
もう少し中斜面で転ばずに自分のラインで滑れるようになりたいと思っております。
ちなみに、リハビリの主治医にスキーの話をしたら、あなたの様な両足に障害(特に右下腿義足)を抱えて普通の板で普通にスキーをする人は聞いた事が無いと言われました。。
通常の方はストックに小さいスキー板が付いた特殊なものの方が殆どの様です。
バイクの再試験の時もそうでしたが、
前例が無ければ作れば良いものだと私は思います。。
来シーズンも少しずつでも上達して皆さんの足手纏いにならない様に頑張って、また来年もこんな私と一緒にスキーをして下さるブロ友さんがいらっしゃればこの上ない幸せです。。
*ワンメイクレースへの参戦
費用面・メンテナンス面等課題が沢山あり実現は難しいと思いますが、いつの日かレースに参戦して
ビリでも良いので完走してみたいです。
私の大切な家族、まずは家内の事。
私の生死が分からないまま病院に来て、不安なままの3日間、その後私が目が覚めた時に見た家内の涙を流した顔、そして退院まで献身的に私を励まし続けくれた事この先も一生忘れません。。
特に左足底の皮膚移植手術の前に、医師からは最悪の場合左足も切断するかもしれないと告げられておりました。
さすがにその夜は眠れなかったのですが、察してか夜中に家内からメールが来ました。。
との励ましのメールでした。。
精神的に極限の状態でのこのメール・・・、本当に涙が止まらず、
もし私が退院したあかつきには家内にも恩返ししようと心に誓ったのがこの時でした。。
そして子供達には車いすに乗れる様になるまで黙っている様に家内にお願いしておりました。
それは、父親が寝ているベッドにいくつもの点滴を繋がれていて、身動き出来ない状態を幼い子供の目に焼き付けさせたくなかったからです。
私はここでも涙が止まりませんでした。
辛い苦難を乗り越える事が出来たと思います。
この様な不運(不幸とは思っていません)な出来事があったからこそ、
我が家は他の普通のご家族より絆が深くなったものと私は思っております。
感謝の気持ち、自分を奮い立たせる為に家族の事は毎年必ず書こうと思います。
[仕事の事]
父親として「働かざる者食うべからず」と言うのが私の信念であります。
一生懸命働いて子供達を養うのが父親としての当然の事と考えております。
それを家族が分かってくれているので私が仕事を終え家に帰ると必ず家族が
「おかえり~」と今でも温かく迎えてくれます。。
長男坊は家を出て2年経ち一人暮らしで自立しております。
娘は大学4年生、ほぼ就職活動も終え、あと数か月で学生生活を終えようとしております。
と言う事で私の親としての子供を養う役目ももう直ぐ終えようとしております。
路頭に迷う寸前だった私を救ってくれた今の会社に感謝しております。
今まで貯金通帳に見た事が無い金額がある日振り込まれました。。
そう損害賠償金が一括で振り込まれたのです。 人間は目の前にお金があると欲深くなる事を思い知りました。。
最初の頃はそれまでの生活では絶対考えられない、高級な国産車に乗ったり
着るものも高級な服を着たりと夫婦・家族を含めて散財をしておりました。。
しかし、いつしか何かが違う事に気付き、家内とも相談して
やはり自分の身の丈に合った生き方をするべきと考える様になりました。
ごく普通の生活をしております。。
*旅行費用の予算制
これは今も継続中です。
今まで湯水の如く使っていた大切なお金ですが、子供に手が掛からなくなり
時間的余裕も出来てきたので、最近では夫婦で別々に旅行する事も多くなりました。。
何故夫婦一緒に行動しないのか?
私と家内では価値観が違います。家内は飛行機等に全く興味が無く、コンサートなどを楽しむための旅行が主体です。
私はどちらかと言うとまだ見ぬ世界の色々な所に行ってみたいと思っており、飛行機旅を楽しみながら旅行する事がメインです。。
価値観の違い・・・、例えば人気グループ「嵐」のコンサートチケットに10万円と言うのが私には理解できない様に、家内も羽田ー香港をビジネスクラスを10万円かけて行く事が出来ないと言う事と同じ様なものです。。
同じ10万円でもお互いその価値観が違います。
ただ我が家ではお互いの価値観の違いを否定するのではなく尊重し、今まで人の何倍も苦労して来た分、今を楽しく生きようと言う事でお互いの決められた予算の中である程度自由に活動出来る様にしております。。
家内のあのメールの文章は生涯忘れる事はありませんが、自分で動けるうちに色々な所に行きたいと 常々思って行動しております。
今年もブログを通じて沢山の方々とお会い出来て色々な事を教わりました。
そして、私の事を分かっていて色々な所でお声掛け下さったり、 旅行に誘って下さったりする方がいらっしゃる事、そしてお気遣い下さっている事、
いつも本当に有難く思っており感謝の気持ちで一杯です。。
ここ数年沢山のブロガーさんと色々なところでお会いしてお話が出来る事が私にとって
とても楽しみであり、毎回ワクワクしながらその時を待っております。。
いや、生きて行かなければいけないのです。
そんな事を書いても何の解決方法にもならないからです。
(今回を除いて・・・)
大魔王