岐路も、通過点のひとつにすぎない。
昨夜、父から電話がありました。
いつも通り不機嫌そうに電話に出る私。
「なに?」
「いや、ほら、仕事の話。」
「それがなに?もう結論は出たでしょ。」
「そうだけどほら。どうだったかと思って。」
「どうもこうもないよ。結論は出た。それ以上でも、それ以下でもないでしょう。」
「そうだけど、その答えを選ぶまでに色々悩んで葛藤があったりしたわけだから、そういうことも大事じゃないか。」
「そんなこと、会社には関係ないんだよ。YESなのかNOなのか。会社が求める答えはそれだけだよ。」
「そうか・・・。」
「で?なに?他に用はないの?」
「ああ、まあ、それならいいんだ。」
「なんなのいったい?」
「いや、・・・・・・落ち込んでるんじゃないかと思って。」
「・・・落ち込んでなんてないよ。全然。」
「そうか。じゃあ、おやすみ。」
父、ありがとう。
終始ツンケンしていて本当にごめん。
大丈夫だよ私。落ち込むような答えは選ばないから。
人生の岐路なんて大それたことを言ったけれど、こういうことは人生に何度もあることなんだと思います。何かを選ぶとき。人が聞いたらささいなことでも自分にとってはとても大きな問題ということもあるし、人が聞いたらものすごく大事なのに自分にとっては自動販売機で飲み物を買うくらいささいな選択だったりもするのでしょう。
今回の私の選択は、私にとってはそこそこ大きな選択でした。
会社の人から突然舞い込んだ、
「東京にこないか」
という誘い。公式なものではなく、あくまでもそういう可能性を本人がどう取るか?どう答えるか?という水面下の話でした。しかし水面下でありながら、実に現実的で、具体的な誘いでした。ここでの答えが、今後の自分の進路を決めることはすぐにわかりました。この水面下で交わされる交渉は私の正式な答えになる。唐突に、人生の岐路に立ったと気がつきました。
私のような地方採用の女性が東京に呼ばれる。殆ど聞いたことのない話です。それも具体的に、『まだ未知の仕事で、一から始めるプロジェクトがある。これに適した人はいないか。』という状況で声がかかる。この上なく光栄なことで、身震いするほどでした。実力というより期待値で声がかかっていることはわかっていたけれど、そうして私を引っ張り出そうとしてくれている人達がいるなんて、にわかには信じがたい話でした。
これまでもこのブログでお話ししてきたように、私は今の会社でこれから活躍するには長野を出るしかないだろうという壁の前に立っていました。上司からも
「長野を出る気はないか?これから先長野ではやることがなくなってしまうだろうから、出ることを考えた方がいい。東京とか国内のスケールじゃなくて、世界に出るくらいのことを考えたらどうだ?これからはそういう活躍の場もあるんだよ。」
と言われたこともありました。もう1年前の話です。その時は可能性として考えたらどうか?というアドバイスとしての話でした。まさかその1年後に、まさにその壁の前に立ち尽くすことになるとは、当時の私は思いもしませんでした。
実は、そろそろ上司に相談しようと思っていたところでした。これから自分はこの会社でどう進んでいけば良いのか。現実的にどんな道を選べそうなのか。色々な人が長野を出ることを期待してくれていることは薄々感じていたし、実際それに応え、自分自身のやりがいを追求し、会社に貢献出来る道はどこにあるのか。上司に相談してこの冬考え、春までに何らかの結論を出そうと思っていたところだったのです。
話があった夜は、混乱したまま唐突に意味不明なメールを2人に送りました。
いつも何かあるとすぐに沢山の人に連絡したくなる私だけれど、今回は2人にメールして終わりました。なんとなく、今回は自分の中でキチンと考えなくてはいけないと思ったからだと思います。こんなことを急に言われても周りも反応に困るだろうし。2人に送ったメールも、全く中身には触れない、空をつかむようなメールでした。(その方がよっぽど困るだろうけれど。申し訳なかったです。)その夜はそのままもう寝ようと思い、すぐに眠りました。すぐに、眠ることが出来ました。
翌日仕事をしながらグルグルする頭で『そうだ、あの人だ!』と思いついた人に連絡をしました。本当に急だけれど今日明日で会えませんか?と。その人はこの唐突な誘いにキチンと反応してくれて、その夜一緒にご飯を食べました。身の回りのことや、ご飯のことや、共通の友達のことや、そういう何気ない会話と一緒に東京行きの話をしました。いつものガールズトークと変わらない雰囲気で東京行きの話をして、実に現実的かつ女心満載なアドバイスをいただいて、本当にその人と話が出来て良かったと思ったものです。あの時、彼女以上に私に必要な話をしてくれる人はいなかっただろうと思うし、他の人とではあのいつもと同じ空気で話が出来ることはなかっただろうと思います。いつも通りに話せたから、いつもの自分の意識でこの問題を見ることが出来ました。
なんて自分は夢見心地なんだろうと反省もし、改めてなんて嬉しい光栄な話なんだろうとも思い、働きマンである自分にとっては願ってもない話であると思いました。同時に、働きマンではない自分を掘り起こすような時間でもありました。
そしてその夜、あの混乱の最中意味不明なメールを送ってしまった相手から、私が一番聞きたかった答えが返ってきたのでした。それは今回の問題に全く触れない話題だったし、単に相手の意見を聞いただけで私に対しての意見はひとつもなかったのだけれど、そのタイミングで私が一番聞きたかったことでした。最も相手はこんな話が背後にあるなんて夢にも思わなかったことでしょう。
翌日父に会って、話をしました。
唐突な話に父はすっかり混乱した様子で、非常に落ち着いた表情で何度も何度も
「お前の体がその生活に耐えられるのか?お前の性格では倒れるまで無理してしまうのに、体がもつとは思えない。お前が健康ならいいけれど、大きな病気を抱えているのに。」
と繰り返していました。表情も口調も落ち着いていたけれど、私が何を言っても父はその言葉を繰り返していました。ずっとずっと。何度も何度も。
今回の岐路は、『東京で仕事をするかどうか?』という一見単純なものでしたが、同時に『東京を選ばないなら、この会社での大きな発展はないだろう。』という暗黙の了解でもありました。私に声をかけてくれた方もそれを十分わかって私に話したし、私も十分わかって話を聞きました。長野でも出来ていないことややりたいことがまだまだいっぱいあるし、やることがなくなることなんて本当はないのです。ただ自分が目指すことがここにあるかどうかというだけのことで。それは長野で出来ることなのかというだけのことで。
そして同時に、『長野から出て行く』という選択でもあったのです。当たり前のことだけれどこれは大きな問題でした。自分の生きる場所を、自分で決めるのです。親がいたからここにいて、特に外にいく機会もなく(あったけれどそれは選ばず)今ここにいて、不満もいっぱいあるけれどここに仕事も生活もあるんだもん。そんな気持ちから一転、自分の意志でどこに生きるかを決めるわけです。ものすごく大袈裟に言っていますがこれは私にとっては大きな問題でした。
沢山悩んだようで、実は同じところをグルグルしていただけなんだと思います。
私は長野に残ることを選びました。
散々大袈裟に書いてきましたが、今日も明日も、私はここに生きていくことにしました。ひとまず。
(人生には何が起こるかわからないからね!)
私の選択を、会社の人は淡々と受け止めました。多分予想していたのだと思います。その答えを告げて、この会社での今後を今までとは違う視点で見つめていくべくスイッチを切り替えました。社内で期待して下さった方々に本当に感謝して、私が長野で出来ることをこれからやっていこうと思います。
岐路に立って、一瞬立ち止まったけれど周りの人の支えもあって私はまた一歩踏み出せて、今はまたテクテク歩いています。正直1ヶ月前の私には想像もつかなかった道に踏み出した感がありますが、相変わらず自分の人生は面白いなぁと思ってニンマリしながら歩いています。
こんなことでこんな長文を書く私ですが、皆様どうかこれからもよろしくお願いします。
おぼろげではなく、自分で選んでここにいるということは、一種の覚悟を腹の底に据えた気分でなんとも清々しいものです。
いつも通り不機嫌そうに電話に出る私。
「なに?」
「いや、ほら、仕事の話。」
「それがなに?もう結論は出たでしょ。」
「そうだけどほら。どうだったかと思って。」
「どうもこうもないよ。結論は出た。それ以上でも、それ以下でもないでしょう。」
「そうだけど、その答えを選ぶまでに色々悩んで葛藤があったりしたわけだから、そういうことも大事じゃないか。」
「そんなこと、会社には関係ないんだよ。YESなのかNOなのか。会社が求める答えはそれだけだよ。」
「そうか・・・。」
「で?なに?他に用はないの?」
「ああ、まあ、それならいいんだ。」
「なんなのいったい?」
「いや、・・・・・・落ち込んでるんじゃないかと思って。」
「・・・落ち込んでなんてないよ。全然。」
「そうか。じゃあ、おやすみ。」
父、ありがとう。
終始ツンケンしていて本当にごめん。
大丈夫だよ私。落ち込むような答えは選ばないから。
人生の岐路なんて大それたことを言ったけれど、こういうことは人生に何度もあることなんだと思います。何かを選ぶとき。人が聞いたらささいなことでも自分にとってはとても大きな問題ということもあるし、人が聞いたらものすごく大事なのに自分にとっては自動販売機で飲み物を買うくらいささいな選択だったりもするのでしょう。
今回の私の選択は、私にとってはそこそこ大きな選択でした。
会社の人から突然舞い込んだ、
「東京にこないか」
という誘い。公式なものではなく、あくまでもそういう可能性を本人がどう取るか?どう答えるか?という水面下の話でした。しかし水面下でありながら、実に現実的で、具体的な誘いでした。ここでの答えが、今後の自分の進路を決めることはすぐにわかりました。この水面下で交わされる交渉は私の正式な答えになる。唐突に、人生の岐路に立ったと気がつきました。
私のような地方採用の女性が東京に呼ばれる。殆ど聞いたことのない話です。それも具体的に、『まだ未知の仕事で、一から始めるプロジェクトがある。これに適した人はいないか。』という状況で声がかかる。この上なく光栄なことで、身震いするほどでした。実力というより期待値で声がかかっていることはわかっていたけれど、そうして私を引っ張り出そうとしてくれている人達がいるなんて、にわかには信じがたい話でした。
これまでもこのブログでお話ししてきたように、私は今の会社でこれから活躍するには長野を出るしかないだろうという壁の前に立っていました。上司からも
「長野を出る気はないか?これから先長野ではやることがなくなってしまうだろうから、出ることを考えた方がいい。東京とか国内のスケールじゃなくて、世界に出るくらいのことを考えたらどうだ?これからはそういう活躍の場もあるんだよ。」
と言われたこともありました。もう1年前の話です。その時は可能性として考えたらどうか?というアドバイスとしての話でした。まさかその1年後に、まさにその壁の前に立ち尽くすことになるとは、当時の私は思いもしませんでした。
実は、そろそろ上司に相談しようと思っていたところでした。これから自分はこの会社でどう進んでいけば良いのか。現実的にどんな道を選べそうなのか。色々な人が長野を出ることを期待してくれていることは薄々感じていたし、実際それに応え、自分自身のやりがいを追求し、会社に貢献出来る道はどこにあるのか。上司に相談してこの冬考え、春までに何らかの結論を出そうと思っていたところだったのです。
話があった夜は、混乱したまま唐突に意味不明なメールを2人に送りました。
いつも何かあるとすぐに沢山の人に連絡したくなる私だけれど、今回は2人にメールして終わりました。なんとなく、今回は自分の中でキチンと考えなくてはいけないと思ったからだと思います。こんなことを急に言われても周りも反応に困るだろうし。2人に送ったメールも、全く中身には触れない、空をつかむようなメールでした。(その方がよっぽど困るだろうけれど。申し訳なかったです。)その夜はそのままもう寝ようと思い、すぐに眠りました。すぐに、眠ることが出来ました。
翌日仕事をしながらグルグルする頭で『そうだ、あの人だ!』と思いついた人に連絡をしました。本当に急だけれど今日明日で会えませんか?と。その人はこの唐突な誘いにキチンと反応してくれて、その夜一緒にご飯を食べました。身の回りのことや、ご飯のことや、共通の友達のことや、そういう何気ない会話と一緒に東京行きの話をしました。いつものガールズトークと変わらない雰囲気で東京行きの話をして、実に現実的かつ女心満載なアドバイスをいただいて、本当にその人と話が出来て良かったと思ったものです。あの時、彼女以上に私に必要な話をしてくれる人はいなかっただろうと思うし、他の人とではあのいつもと同じ空気で話が出来ることはなかっただろうと思います。いつも通りに話せたから、いつもの自分の意識でこの問題を見ることが出来ました。
なんて自分は夢見心地なんだろうと反省もし、改めてなんて嬉しい光栄な話なんだろうとも思い、働きマンである自分にとっては願ってもない話であると思いました。同時に、働きマンではない自分を掘り起こすような時間でもありました。
そしてその夜、あの混乱の最中意味不明なメールを送ってしまった相手から、私が一番聞きたかった答えが返ってきたのでした。それは今回の問題に全く触れない話題だったし、単に相手の意見を聞いただけで私に対しての意見はひとつもなかったのだけれど、そのタイミングで私が一番聞きたかったことでした。最も相手はこんな話が背後にあるなんて夢にも思わなかったことでしょう。
翌日父に会って、話をしました。
唐突な話に父はすっかり混乱した様子で、非常に落ち着いた表情で何度も何度も
「お前の体がその生活に耐えられるのか?お前の性格では倒れるまで無理してしまうのに、体がもつとは思えない。お前が健康ならいいけれど、大きな病気を抱えているのに。」
と繰り返していました。表情も口調も落ち着いていたけれど、私が何を言っても父はその言葉を繰り返していました。ずっとずっと。何度も何度も。
今回の岐路は、『東京で仕事をするかどうか?』という一見単純なものでしたが、同時に『東京を選ばないなら、この会社での大きな発展はないだろう。』という暗黙の了解でもありました。私に声をかけてくれた方もそれを十分わかって私に話したし、私も十分わかって話を聞きました。長野でも出来ていないことややりたいことがまだまだいっぱいあるし、やることがなくなることなんて本当はないのです。ただ自分が目指すことがここにあるかどうかというだけのことで。それは長野で出来ることなのかというだけのことで。
そして同時に、『長野から出て行く』という選択でもあったのです。当たり前のことだけれどこれは大きな問題でした。自分の生きる場所を、自分で決めるのです。親がいたからここにいて、特に外にいく機会もなく(あったけれどそれは選ばず)今ここにいて、不満もいっぱいあるけれどここに仕事も生活もあるんだもん。そんな気持ちから一転、自分の意志でどこに生きるかを決めるわけです。ものすごく大袈裟に言っていますがこれは私にとっては大きな問題でした。
沢山悩んだようで、実は同じところをグルグルしていただけなんだと思います。
私は長野に残ることを選びました。
散々大袈裟に書いてきましたが、今日も明日も、私はここに生きていくことにしました。ひとまず。
(人生には何が起こるかわからないからね!)
私の選択を、会社の人は淡々と受け止めました。多分予想していたのだと思います。その答えを告げて、この会社での今後を今までとは違う視点で見つめていくべくスイッチを切り替えました。社内で期待して下さった方々に本当に感謝して、私が長野で出来ることをこれからやっていこうと思います。
岐路に立って、一瞬立ち止まったけれど周りの人の支えもあって私はまた一歩踏み出せて、今はまたテクテク歩いています。正直1ヶ月前の私には想像もつかなかった道に踏み出した感がありますが、相変わらず自分の人生は面白いなぁと思ってニンマリしながら歩いています。
こんなことでこんな長文を書く私ですが、皆様どうかこれからもよろしくお願いします。
おぼろげではなく、自分で選んでここにいるということは、一種の覚悟を腹の底に据えた気分でなんとも清々しいものです。