憂鬱になる時
ここのところ1ヶ月くらい放置していた郵便物やらなんやら、とにかく自分の名前が入ったものをまとめてシュレッダーにかけた。小さいシュレッダーなので、何回も何回もゴミを捨てながら黙々と作業を進める。地味で暗くてちっとも楽しくない作業だ。
以前は結構気にせずにポイポイ捨てていた私だが、1回ゴミを誰かに開けられたことがあってからキチンとシュレッダーにかけるようになった。当たり前といえば当たり前のことだ。至極。
しかしこの、自分の名前が入ったものや自分を特定出来るものを処分するという作業は、自分自身の存在を削除しているような気分になって気が滅入る。今日も22時頃にせっせとこの作業をしていたらすっかり気が滅入ってしまった。自分をこんな風に消さなくてはいけないなんて、いい知れない空しさ。
この週末、殆ど寝て過ごし、人と話すことも殆どなくて、そこにきてよしもとばななの新作を読んだりしたものだからもう気が滅入って滅入って。いや、よしもとばななさんの本は本当に好きなのだけど、今回のは決して好きな部類じゃなかったのに影響力があり過ぎた。22ページ目で早くも泣き、最後の方でもやっぱり泣いて、何で泣いているのかわからない自分とか、泣く時にやたらと目が痛かったこととか(泣くまいと力いれ過ぎ)、とにかく読むのがしんどくなる本だったのだ。
ちなみにコレ。
イルカ (文春文庫 よ 20-4)/よしもと ばなな

¥500
Amazon.co.jp
よしもとばななさんの本を読むと、いつも打ちのめされてしまう。
それは彼女の世界観がとても好きで、ジンジンする程自分に染み込んでしまうからだとも思う。だけど本当は、『ねえ、本当は何がしたいの?』と、私の中で私が私を責めるからだ。
彼女の本を読むといつもいつも、自分が本当にやりたいと思っているのにやらずに仕舞い込んでいることが揺り動かされてしまって、自分で動揺してしまうのだ。それをわかっていても読むのをやめられない、ばなな中毒だ。
そして焦る。いつも。今は今しかないのに、やりたいことをやらずにいていいのかと思う。明日は、いや1分後には死んでいるかも知れないのに、やらなくて後悔しないのか?と思う。
本当にそれがやりたいことなのか?
そうして自分と自問自答していることがまた憂鬱にもなり、意外と好きな時間でもあって、いつも思うのだ。
孤独だなと。
いつも孤独だった。誰といても。孤独なんて言葉があるのだから、人は孤独を知っているのだ。
人は誰でも孤独なんだと、私は思って生きている。
孤独だからこそ、人と関わって生きていくのだと思っている。
人は人から生まれるのに、孤独なのだ。不思議だ。
この孤独に触れた小学生の頃の自分を思って抱きしめてあげたくなるが、その延長線上に生きてきてシュレッダーで自分を削除している今の私も相当寂しくて、抱きしめてあげたくなる。
いつも怖いのだ。きっと本当は生きていることが怖い。
それでも明日朝起きて、イングリッシュマフィンに目玉焼きとスパムを乗せて平らげて会社に向かうと、そんなことはすっかり忘れてしまうのだろう。いつかまたこうしてちょっと自分を見つめるときがやってきて、また怖くなることがあっても、ちゃんと私は次の瞬間を生きているだろう。
それが、日々を作っていくサイクルだ。
以前は結構気にせずにポイポイ捨てていた私だが、1回ゴミを誰かに開けられたことがあってからキチンとシュレッダーにかけるようになった。当たり前といえば当たり前のことだ。至極。
しかしこの、自分の名前が入ったものや自分を特定出来るものを処分するという作業は、自分自身の存在を削除しているような気分になって気が滅入る。今日も22時頃にせっせとこの作業をしていたらすっかり気が滅入ってしまった。自分をこんな風に消さなくてはいけないなんて、いい知れない空しさ。
この週末、殆ど寝て過ごし、人と話すことも殆どなくて、そこにきてよしもとばななの新作を読んだりしたものだからもう気が滅入って滅入って。いや、よしもとばななさんの本は本当に好きなのだけど、今回のは決して好きな部類じゃなかったのに影響力があり過ぎた。22ページ目で早くも泣き、最後の方でもやっぱり泣いて、何で泣いているのかわからない自分とか、泣く時にやたらと目が痛かったこととか(泣くまいと力いれ過ぎ)、とにかく読むのがしんどくなる本だったのだ。
ちなみにコレ。
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よしもとばななさんの本を読むと、いつも打ちのめされてしまう。
それは彼女の世界観がとても好きで、ジンジンする程自分に染み込んでしまうからだとも思う。だけど本当は、『ねえ、本当は何がしたいの?』と、私の中で私が私を責めるからだ。
彼女の本を読むといつもいつも、自分が本当にやりたいと思っているのにやらずに仕舞い込んでいることが揺り動かされてしまって、自分で動揺してしまうのだ。それをわかっていても読むのをやめられない、ばなな中毒だ。
そして焦る。いつも。今は今しかないのに、やりたいことをやらずにいていいのかと思う。明日は、いや1分後には死んでいるかも知れないのに、やらなくて後悔しないのか?と思う。
本当にそれがやりたいことなのか?
そうして自分と自問自答していることがまた憂鬱にもなり、意外と好きな時間でもあって、いつも思うのだ。
孤独だなと。
いつも孤独だった。誰といても。孤独なんて言葉があるのだから、人は孤独を知っているのだ。
人は誰でも孤独なんだと、私は思って生きている。
孤独だからこそ、人と関わって生きていくのだと思っている。
人は人から生まれるのに、孤独なのだ。不思議だ。
この孤独に触れた小学生の頃の自分を思って抱きしめてあげたくなるが、その延長線上に生きてきてシュレッダーで自分を削除している今の私も相当寂しくて、抱きしめてあげたくなる。
いつも怖いのだ。きっと本当は生きていることが怖い。
それでも明日朝起きて、イングリッシュマフィンに目玉焼きとスパムを乗せて平らげて会社に向かうと、そんなことはすっかり忘れてしまうのだろう。いつかまたこうしてちょっと自分を見つめるときがやってきて、また怖くなることがあっても、ちゃんと私は次の瞬間を生きているだろう。
それが、日々を作っていくサイクルだ。