日本人が他者のみならず、自分自身をも大切に出来なくなっているからではないか、人が自分と他者に向ける意識は無関係ではなく密接につながっているから。
と論じています。
要は、自分で自分のことを大切にしない尊ばない人間は、他人をも尊べない!
というロジックです。逆に言うと、他人を大切に尊ぼうと思えば、まずは自分自身を大切にしなければいけないということです。確かにそうかもしれませんね。
ところで、人間にはよく、
①人の美点、良いところに先に目がいくタイプと
②人のいいところよりも、まず欠点が目に付くタイプの、
2通りのタイプがいると言われますよね。
恐らく前者のタイプ(美点にまず目がいくタイプ)の人間は、自分で自分のことが好き、自分自身のこんなところが好きといった、言わば自分自身を受容する、自己受容、自己肯定が出来る人なのでしょう。だから他人に対しても良いところが先に目に付く。
翻って自分自身はどちらのタイプなのか考えた時に(実は考えるまでもなく自信を持って言えますが)、明らかに私の場合は後者の方ですね。
悲しいかな、自分で自分のことが好き、自分のこんなところが大好きなんて思ったことは一度もありません。わかりやすく言うと、もっと才能豊かに生んで欲しかったとか、もっとかっこいい顔に生んで欲しかったとか。極端に言うとこんな感じ。
今の自分に満足したことなど一度もないし、常にもっとよくなる、もっといい方法がある、もっと大きくなる、もっと上へといった、よく言えば向上心がある、悪く言えば常に自己否定しているといったところでしょうか。
そんな自分ですから、当然他人に対しても同様に考えても何の不思議もないでしょう。だから、後者のタイプ。人のいいところよりも、まず欠点や改善点が目に付いて、もっとこうした方がいいのに、こうあるべきなのに・・・とその人の美点、いい点になかなか目がいくことがありません。
人間が自分と他者に向ける意識は無関係ではなく密接につながっていると筆者は論じましたが、私自身は全く同じだと言い切っていいと思います。
かといって、これまで45年間生きてきて培ってきた、あるいは自然と身についてしまったそうした価値感はなかなか変えられませんよね。
でもそうした価値観(を持った自分自身)さえも受け入れよということですよね。
最後に、こうあります。
親から受け継いだ、この世に1つだけの生命と身体が自分です。改めてその尊さを自覚するとき、自ずと他者の尊さも感じられることでしょう。
と。
自分は18歳のとき(高校3年)に、当時23歳だった兄をなくしました。それまでは誰が見ても100%兄が家業を継ぐことになっていましたから、それによって私の人生は大きく変わることになったのです。
(ものづくり屋が持つべき職人魂、商才、頭脳、能力や資格など持ち合わせないと今でも思っている)私が継承することになったわけですから。このような結果になることを神様以外に誰が予想できたことでしょう。
でも最近、これは最初から決まっていた運命なのだと思うようになりました。天意、天命と言ってもいいかも知れません。この世に私が生を受けた理由、この世で私が果たす役割、使命はそれなんだと。
全知全能の神様ですから、恐らく相応の能力、資格のないものに理不尽な運命はくださいと思われます。つまり自分は(努力することによって)この難局を乗り切れるだけの資格がある存在なのだと。