ハクロマークは、従業員の皆さんならご存じの通り、2月が期末。3月が期首なので、小さな会社ながらも、3月の第一土曜日は午前中を使って継栄計画発表会を毎期行っています。もちろん来期も予定通りです。
デッドラインが決まっていますので、1月と2月は、発表する経営方針を作り込む毎日です。
ただ今回はいつもと違うやり方をしようかと考えています。
このブログを出す週一のタイミングで、一つずつ方針を書いて出していこうかと。
3月7日(土曜日)まで金曜日が何回あるのかというと7~8回。これだけあれば「今期の取り組み」として、いつも発表している以下のカテゴリーごとの方針はできあがります。
●人事・組織戦略
●商品戦略
●顧客戦略
●マーケティング戦略
●財務・投資戦略
ただ、こうした基本方針や戦略は、ブログのような公のネットで発表するものではありません。誰が見ているか分からないからです。
では、それをどこに書いていくかというと、会社にいる従業員の方ならいつでも見れる社内サーバーです。そこに、これから毎週金曜日に、来期の上記方針や戦略を書いておきますので、翌週以降にチェックして下さい。
Share2>2020来期の方針 (ここに置いています)
従いまして、「今期の取り組み」(現時点では来期の取り組みになりますが)の発表が終わるまでは、この社長ブログは一旦お休みします。
中には、この社長ブログを全く読んでいない残念な従業員もいると思います。毎週投稿している社長ブログは決して旅行記やグルメ日記ではなく、ハクロマークの従業員には全員、毎週欠かさず読んで欲しいと思って精魂込めて書いていますが、強制ではありません。でも今日からサーバーに書き込む内容は来期の方針ですから、従業員が読んでいないでは済まされませんね。
チーム内の同じメンバーなら、いつもだれが社長ブログを読んでいないか分かると思うので、そうした人には是非ともこの情報を伝えてあげて下さい。
では早速今回から書いていきます、第一回目の今日は、方針のなかでも私が最も重要だと考えている、人材育成に関する「人事・組織戦略」からです。部署別に方針を書いていますので、要チェックです!
よろしくお願いします。
9連休あった冬休み(お正月休み)でしたが、相変わらず何も考えない日は1日もなく、何かしら仕事なり勉強なり考えごとをずっとしていました。
(自分で言うのもどうかと思いますが)根が超真面目な上に心配性というか安心することが全くありません。
遊んだりゆっくりしたら、その間に頑張っている競合にやられるとか抜かれるとか、さぼったらその分いつか必ずどこかでしっぺ返しが来るとか。そんな風にどうしても考えます。
ちなみに私は"人生チャラ"が持論で、これはどういうことかというと、簡単に言うと、
楽をして一見得なように見えても結局どこかで付けを払わされる。逆に努力はいつか必ず報われる。つまり長い目で見ると人生は必ずどこかで帳尻が合うように出来ている!
これが、私の"人生チャラ理論"です。
でも、そう思えば、
努力は続けられませんか?
そう思えば、
サボったり楽をしたりするのに気が引けませんか?
さて、稲盛さんの著書『誰にも負けない努力』(稲盛和夫述 出版社: PHP研究所)から引用して紹介する3回シリーズの最終回は、第二章「努力を重ねる」から、
10 さらに努力を重ねる
です。
------------------------------------------------------
10 さらに努力を重ねる
会社経営がうまくいくというのは、あたかもヘリコプターが地上から浮いて、重力に反して上がっていっているようなものだ。一生懸命、常にプロペラを回していなければ下へ落ちてゼロになる。それが自然の摂理である。だからこそ必死に漕ぎ続ける以外にないのである。
創業当時は、とにかく経営というものがわかっていませんし、会社をどういうふうに運営していけば、従業員が安心して働ける環境をつくってあげられるのかもわかっていませんでした。ただもう必死で働くという、それしかなかったんですが、売上が上がり、初年度から利益が出て、二年、三年と安定していったんです。
それでも、次から次へと新しいこと、例えば研究開発や技術開発、製品開発などにチャレンジしていったのは、安心するということが、私の哲学といいますか、考えの中にはなかったと思うんですね。
その頃私は、次のようにイメージしていました。会社が安定しているという状態は、ちょうどヘリコプターが空中に浮いているみたいなものだ。また、会社経営がうまくいく、売上が伸びるというのは、ヘリコプターが地上から浮いて、重力に反して上へ上がっている状態であると。
ですから、一生懸命エンジンを動かしてプロペラを回転させなければ、ヘリコプターは空中にとどまったり、さらに上へ上がっていかないわけです。会社が安定して利益が出るようになると、そこでほっこりして、「これで安定した」と思って努力を怠るようになります。 しかし、常にプロペラを回していなければ、下へ落ちていってまたゼロに戻ってしまう。それは自然の摂理、自然の理です。だから空中に浮いているだけでも、相当エンジンをかけなゃならない。それを私はたとえて言うなら、自転車を改造したような人力で飛ぶヘリコプターに乗っていて、エンジンじゃなしに、自分が一生懸命漕いでプロペラを回している姿を想像したのです。
安定というのは、宙に浮いて、上にも上がらないし下にも下がらないということで、どのくらい漕いだらプロペラが回って、そういう微妙な状態でとどまっていられるかというのはわからないわけです。ですから、とにかく下に落ちないように、安定すればするほど下に落ちないようにと思って漕げば、上へ上がっていくかもしれません。逆に、もうこれでいいと思って漕ぐのをやめれば、下に下がっていくことになります。下がっていったんじゃ、会社をダメにしてしまいますから、どうしても漕がなきゃならん。漕いだ結果が、自然に上へ上がっていったということです。
会社が安定し、よくなっても、さらに努力をしたのは、私にしてみれば会社を立派に運営せにゃならんという危機感が常にあったからです。どの程度働けば、どの程度一生懸命やれば、その安定した状態でとどまっていられるのかということがわからないものですから、必死で漕ぎ続ける以外にないと思ったんですね。
今考えてみると幼稚な考え方でしたけれども、それは非常に正しかったんだと思います。というのは、賢い人は皆、ここまで成功したと。だから、この程度でいいんだと思って力を抜かれる。地面から重力に逆らってここまで上がってきた。ここまで来たんだからもう安心だといって力を抜かれるものだから、じりじりと下がっていく。下がっていってもまだ十分安定していると思うから、だんだんダメになってしまって倒産するということも起こってくる。そういう慢心が、成功した人が失敗していかれるもとだと思うんです。
私は貧乏性というか、常に危機感があって、必死で漕いでやっと宙にとどまっていられるんだと思って一生懸命漕いだ。その結果、どんどん上がっていったというだけのことです。「これでいい」と安心する気持ちにはなれなかった。もっと会社を立派にするためには、もっと安定させるためにはと考えて、いろんなことを創意工夫して仕事に精魂を込めたという、そういうことだと思います。
------------------------------------------------------
たとえが面白いですよね。
どれくらい頑張れば下に落ちないで宙に浮いていられるか、あるいは更に上へ上へと上がっていけるか、自分にはその塩梅が分からなかった。だからこそ、常に一生懸命ペダルを漕いで自力ヘリコプターのプロペラを回した。
なんて。
中途半端な成功者は、ちょっと上まで上がると安心して一生懸命漕ぐのを止めてしまうんですね。そうなると下へ落ちていってまたゼロに戻ってしまう。ここです。
------------------------------------------------------
賢い人は皆、ここまで成功したと。だから、この程度でいいんだと思って力を抜かれる。地面から重力に逆らってここまで上がってきた。ここまで来たんだからもう安心だといって力を抜かれるものだから、じりじりと下がっていく。下がっていってもまだ十分安定していると思うから、だんだんダメになってしまって倒産するということも起こってくる。そういう慢心が、成功した人が失敗していかれるもとだと思うんです。
------------------------------------------------------
もちろん私は自分が成功者だなんてちっとも思っていませんし、賢い人間だとも思っていません。むしろ逆です。ですから私のような凡人は安心などしてる場合では全くなくて、ただひたすら一生懸命ペダルを漕ぎ続けなければならないのです。
ただこの部分は凡人である私も全く同じ思いで、今日までやってきました。
------------------------------------------------------
会社が安定し、よくなっても、さらに努力をしたのは、私にしてみれば会社を立派に運営せにゃならんという危機感が常にあったからです。どの程度働けば、どの程度一生懸命やれば、その安定した状態でとどまっていられるのかということがわからないものですから、必死で漕ぎ続ける以外にないと思ったんですね
------------------------------------------------------
ハクロマーク製作所で働いている間は、私はこの気持ちを絶やすことなく持ち続けていることでしょう。
では、このシリーズの最後に。
【まとめ】
ここまで十数回という長きにわたって努力について書いてきました。
もちろん誰にも負けない努力は大切です。努力の絶対値が大きければ大きいほど、それは誰にも負けない努力と言えるでしょう。でも、もしそれが単発に終わってしまったらどうでしょう?
ですよね?
たとえ瞬間風速的に努力の値が大きくても、続かなければ意味がありません。
逆に、誰にも負けない努力と言えるほど努力の値は大きくなくても、それをずっと続けることが出来ればどうでしょう?それこそ"誰にも負けない努力"と呼べるのではないでしょうか?
そうです。やっぱり最後に、この言葉を使わずにはいられません。
"継続は力なり"
継続性の大切さについて、自身の事例も交え2~3紹介してこのシリーズを終えたいと思います。
私が筋トレを数年やっているのは、このブログでも紹介しましたのでご存じの通りです(ちなみに今年の目標は、ベンチプレス70㎏10回×2セットです)。
ベンチプレスもチンニング(懸垂)でもそうなんですが、ずっ~とやっててもなかなか上がらないんですよ。懸垂なんて5~6年前は一回もできなかったんですよ。でも、何年かやっていると1~2回できるようになる!気が付いたら6~7回できるようになってる。
ベンチプレスもそう。なかなか10回上がらないんですけど、いつしか上がるときが来るんですね。
これはどういうことかというと・・・
自分では分からないけれども、実はその間に少しずつ力が付いているんですね。だから上がらないからと言って諦めずに続けていると、あるポイントで急に上がる瞬間があるということです。もしこれが、上がらないからと言ってそこで止めていたら・・・・
ドリカムの歌でもありますよね?10,000回ダメでも10,001回目は何か変わるかもしれないっていう歌。確か・・・「何度でも」だったと思うけど。
二つ目の事例。
Googleは、私たちが正しい判断をする為に、正しい情報を届けたいと考えています。正しい情報とは文字通りの意味ではなく、包括的に書かれたページのことを指します。包括的なページとは、何かに偏った情報やそのことしか書かれていないページではなく、多様な視点・論点で書かれた記事、ページのこと。
要は、色々な切り口で書かれたページを上位表示させるということです。
つまり、あるクエリに対してページを上位表示させるためには、そのクエリに関して、どれだけ包括的な説明をしているか、その網羅性が問われます。アルゴリズム的にはカバレッジ(網羅率)と言います。例えば、『車』であれば、仕様や価格だけでなく、乗り心地や外観など様々な論点があり、それら全てを網羅し、どれだけ包括的に説明できているかが問われるということです。
ですから私たちは、ページ内に沢山の見出しを立てて多様な切り口で日々記事を書き足していかなければなりません。
そうして地道にコツコツと記事を網羅していくと、あるとき急に順位が上がる瞬間があるんです。
何が言いたいのか、もうお分かりですね?
そうです、これも筋トレと同じで、記事を上げても上げてもなかなか上位表示しない時があっても実は少しずつそのページに力が付いている。上がらないからと言って諦めずに続けていると、あるポイントで急に上がる瞬間があるということです。これがもし、上がらないからと言ってそこで止めていたら・・・・
これは何も筋トレやSEOに限った話ではありません。
何事も、最後は必ず努力は報われる!冒頭で持論を展開したように、少なくとも私はそう信じています。
ただすぐには結果は出ません。努力の時間と成果は一次関数のように比例しないのです。
ではどんな関数になるか?!
努力の関数は階段のような図を描きます。つまり、なかなか成果がでない平らな部分があって、でもある地点に到達すると急に上がる、そんな図。
私はこれを"成長曲線"と呼んでいます。
つまり成果が出てない時というのは、その平らな部分に居るだけなんです。ただ、踊り場にいるだけ。でもその先には・・・・
そうです、90度に上がるポイントが必ず来るんです!
そこまで諦めないで、いかに努力を続けられるかどうか?!
実はそこに、成功のポイントはあったんです。
ある人は、
成功の秘訣は何ですか?と聞かれて、
こう答えたと言います。
成功するまで続けること!
言い得て妙ですね。まさにその通り。
この成長曲線が分かっていれば、諦めそうになりかけたとき、少しは持ち堪えられますよね?がんばれそうですよね?
だから、
どうか諦めないで、あきらめないで、努力をこれからも続けていってください。
言いたいことは以上です。
長い間に渡って、私のウザいウザい"努力の話"にお付き合いいただき、本当に有り難うございました。
お互い、がんばりましょう。
(おわり)
(自分で言うのもどうかと思いますが)根が超真面目な上に心配性というか安心することが全くありません。
遊んだりゆっくりしたら、その間に頑張っている競合にやられるとか抜かれるとか、さぼったらその分いつか必ずどこかでしっぺ返しが来るとか。そんな風にどうしても考えます。
ちなみに私は"人生チャラ"が持論で、これはどういうことかというと、簡単に言うと、
楽をして一見得なように見えても結局どこかで付けを払わされる。逆に努力はいつか必ず報われる。つまり長い目で見ると人生は必ずどこかで帳尻が合うように出来ている!
これが、私の"人生チャラ理論"です。
でも、そう思えば、
努力は続けられませんか?
そう思えば、
サボったり楽をしたりするのに気が引けませんか?
さて、稲盛さんの著書『誰にも負けない努力』(稲盛和夫述 出版社: PHP研究所)から引用して紹介する3回シリーズの最終回は、第二章「努力を重ねる」から、
10 さらに努力を重ねる
です。
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10 さらに努力を重ねる
会社経営がうまくいくというのは、あたかもヘリコプターが地上から浮いて、重力に反して上がっていっているようなものだ。一生懸命、常にプロペラを回していなければ下へ落ちてゼロになる。それが自然の摂理である。だからこそ必死に漕ぎ続ける以外にないのである。
創業当時は、とにかく経営というものがわかっていませんし、会社をどういうふうに運営していけば、従業員が安心して働ける環境をつくってあげられるのかもわかっていませんでした。ただもう必死で働くという、それしかなかったんですが、売上が上がり、初年度から利益が出て、二年、三年と安定していったんです。
それでも、次から次へと新しいこと、例えば研究開発や技術開発、製品開発などにチャレンジしていったのは、安心するということが、私の哲学といいますか、考えの中にはなかったと思うんですね。
その頃私は、次のようにイメージしていました。会社が安定しているという状態は、ちょうどヘリコプターが空中に浮いているみたいなものだ。また、会社経営がうまくいく、売上が伸びるというのは、ヘリコプターが地上から浮いて、重力に反して上へ上がっている状態であると。
ですから、一生懸命エンジンを動かしてプロペラを回転させなければ、ヘリコプターは空中にとどまったり、さらに上へ上がっていかないわけです。会社が安定して利益が出るようになると、そこでほっこりして、「これで安定した」と思って努力を怠るようになります。 しかし、常にプロペラを回していなければ、下へ落ちていってまたゼロに戻ってしまう。それは自然の摂理、自然の理です。だから空中に浮いているだけでも、相当エンジンをかけなゃならない。それを私はたとえて言うなら、自転車を改造したような人力で飛ぶヘリコプターに乗っていて、エンジンじゃなしに、自分が一生懸命漕いでプロペラを回している姿を想像したのです。
安定というのは、宙に浮いて、上にも上がらないし下にも下がらないということで、どのくらい漕いだらプロペラが回って、そういう微妙な状態でとどまっていられるかというのはわからないわけです。ですから、とにかく下に落ちないように、安定すればするほど下に落ちないようにと思って漕げば、上へ上がっていくかもしれません。逆に、もうこれでいいと思って漕ぐのをやめれば、下に下がっていくことになります。下がっていったんじゃ、会社をダメにしてしまいますから、どうしても漕がなきゃならん。漕いだ結果が、自然に上へ上がっていったということです。
会社が安定し、よくなっても、さらに努力をしたのは、私にしてみれば会社を立派に運営せにゃならんという危機感が常にあったからです。どの程度働けば、どの程度一生懸命やれば、その安定した状態でとどまっていられるのかということがわからないものですから、必死で漕ぎ続ける以外にないと思ったんですね。
今考えてみると幼稚な考え方でしたけれども、それは非常に正しかったんだと思います。というのは、賢い人は皆、ここまで成功したと。だから、この程度でいいんだと思って力を抜かれる。地面から重力に逆らってここまで上がってきた。ここまで来たんだからもう安心だといって力を抜かれるものだから、じりじりと下がっていく。下がっていってもまだ十分安定していると思うから、だんだんダメになってしまって倒産するということも起こってくる。そういう慢心が、成功した人が失敗していかれるもとだと思うんです。
私は貧乏性というか、常に危機感があって、必死で漕いでやっと宙にとどまっていられるんだと思って一生懸命漕いだ。その結果、どんどん上がっていったというだけのことです。「これでいい」と安心する気持ちにはなれなかった。もっと会社を立派にするためには、もっと安定させるためにはと考えて、いろんなことを創意工夫して仕事に精魂を込めたという、そういうことだと思います。
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たとえが面白いですよね。
どれくらい頑張れば下に落ちないで宙に浮いていられるか、あるいは更に上へ上へと上がっていけるか、自分にはその塩梅が分からなかった。だからこそ、常に一生懸命ペダルを漕いで自力ヘリコプターのプロペラを回した。
なんて。
中途半端な成功者は、ちょっと上まで上がると安心して一生懸命漕ぐのを止めてしまうんですね。そうなると下へ落ちていってまたゼロに戻ってしまう。ここです。
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賢い人は皆、ここまで成功したと。だから、この程度でいいんだと思って力を抜かれる。地面から重力に逆らってここまで上がってきた。ここまで来たんだからもう安心だといって力を抜かれるものだから、じりじりと下がっていく。下がっていってもまだ十分安定していると思うから、だんだんダメになってしまって倒産するということも起こってくる。そういう慢心が、成功した人が失敗していかれるもとだと思うんです。
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もちろん私は自分が成功者だなんてちっとも思っていませんし、賢い人間だとも思っていません。むしろ逆です。ですから私のような凡人は安心などしてる場合では全くなくて、ただひたすら一生懸命ペダルを漕ぎ続けなければならないのです。
ただこの部分は凡人である私も全く同じ思いで、今日までやってきました。
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会社が安定し、よくなっても、さらに努力をしたのは、私にしてみれば会社を立派に運営せにゃならんという危機感が常にあったからです。どの程度働けば、どの程度一生懸命やれば、その安定した状態でとどまっていられるのかということがわからないものですから、必死で漕ぎ続ける以外にないと思ったんですね
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ハクロマーク製作所で働いている間は、私はこの気持ちを絶やすことなく持ち続けていることでしょう。
では、このシリーズの最後に。
【まとめ】
ここまで十数回という長きにわたって努力について書いてきました。
もちろん誰にも負けない努力は大切です。努力の絶対値が大きければ大きいほど、それは誰にも負けない努力と言えるでしょう。でも、もしそれが単発に終わってしまったらどうでしょう?
ですよね?
たとえ瞬間風速的に努力の値が大きくても、続かなければ意味がありません。
逆に、誰にも負けない努力と言えるほど努力の値は大きくなくても、それをずっと続けることが出来ればどうでしょう?それこそ"誰にも負けない努力"と呼べるのではないでしょうか?
そうです。やっぱり最後に、この言葉を使わずにはいられません。
"継続は力なり"
継続性の大切さについて、自身の事例も交え2~3紹介してこのシリーズを終えたいと思います。
私が筋トレを数年やっているのは、このブログでも紹介しましたのでご存じの通りです(ちなみに今年の目標は、ベンチプレス70㎏10回×2セットです)。
ベンチプレスもチンニング(懸垂)でもそうなんですが、ずっ~とやっててもなかなか上がらないんですよ。懸垂なんて5~6年前は一回もできなかったんですよ。でも、何年かやっていると1~2回できるようになる!気が付いたら6~7回できるようになってる。
ベンチプレスもそう。なかなか10回上がらないんですけど、いつしか上がるときが来るんですね。
これはどういうことかというと・・・
自分では分からないけれども、実はその間に少しずつ力が付いているんですね。だから上がらないからと言って諦めずに続けていると、あるポイントで急に上がる瞬間があるということです。もしこれが、上がらないからと言ってそこで止めていたら・・・・
ドリカムの歌でもありますよね?10,000回ダメでも10,001回目は何か変わるかもしれないっていう歌。確か・・・「何度でも」だったと思うけど。
二つ目の事例。
Googleは、私たちが正しい判断をする為に、正しい情報を届けたいと考えています。正しい情報とは文字通りの意味ではなく、包括的に書かれたページのことを指します。包括的なページとは、何かに偏った情報やそのことしか書かれていないページではなく、多様な視点・論点で書かれた記事、ページのこと。
要は、色々な切り口で書かれたページを上位表示させるということです。
つまり、あるクエリに対してページを上位表示させるためには、そのクエリに関して、どれだけ包括的な説明をしているか、その網羅性が問われます。アルゴリズム的にはカバレッジ(網羅率)と言います。例えば、『車』であれば、仕様や価格だけでなく、乗り心地や外観など様々な論点があり、それら全てを網羅し、どれだけ包括的に説明できているかが問われるということです。
ですから私たちは、ページ内に沢山の見出しを立てて多様な切り口で日々記事を書き足していかなければなりません。
そうして地道にコツコツと記事を網羅していくと、あるとき急に順位が上がる瞬間があるんです。
何が言いたいのか、もうお分かりですね?
そうです、これも筋トレと同じで、記事を上げても上げてもなかなか上位表示しない時があっても実は少しずつそのページに力が付いている。上がらないからと言って諦めずに続けていると、あるポイントで急に上がる瞬間があるということです。これがもし、上がらないからと言ってそこで止めていたら・・・・
これは何も筋トレやSEOに限った話ではありません。
何事も、最後は必ず努力は報われる!冒頭で持論を展開したように、少なくとも私はそう信じています。
ただすぐには結果は出ません。努力の時間と成果は一次関数のように比例しないのです。
ではどんな関数になるか?!
努力の関数は階段のような図を描きます。つまり、なかなか成果がでない平らな部分があって、でもある地点に到達すると急に上がる、そんな図。
私はこれを"成長曲線"と呼んでいます。
つまり成果が出てない時というのは、その平らな部分に居るだけなんです。ただ、踊り場にいるだけ。でもその先には・・・・
そうです、90度に上がるポイントが必ず来るんです!
そこまで諦めないで、いかに努力を続けられるかどうか?!
実はそこに、成功のポイントはあったんです。
ある人は、
成功の秘訣は何ですか?と聞かれて、
こう答えたと言います。
成功するまで続けること!
言い得て妙ですね。まさにその通り。
この成長曲線が分かっていれば、諦めそうになりかけたとき、少しは持ち堪えられますよね?がんばれそうですよね?
だから、
どうか諦めないで、あきらめないで、努力をこれからも続けていってください。
言いたいことは以上です。
長い間に渡って、私のウザいウザい"努力の話"にお付き合いいただき、本当に有り難うございました。
お互い、がんばりましょう。
(おわり)
この冬、娘から、最近本を読むようになったと聞きました。
そう言えば・・・彼女が読書をしているところを私は見たことがありません。
「日記も最近書き出したの」
そうも言うではありませんか。
で、
それはなんで?
って聞いてみると・・・
就活でエントリーシートを書いているから!
なるほど!です。
エントリーシートに上手に書きたい!
その為には語彙も増やしたい!
だから本を読もう!
このロジックというかその気持ち、私もとてもよく分かります。
なぜなら私自身が、まさにそうだったから。
これまでに何度か言ってきたり、このブログでも書いたりしてきたことですが、私はハクロマークに入るまで読書なんかしたことがないと言っても過言ではないくらい、本を読んできませんでした。はっきり言って嫌いでした。小学中学の頃、休みの間の読書感想文の宿題も大の苦手でイヤでイヤでなりませんでした。結局、まえがきやあとがきを読んでそこを適当に写して、毎回出していたように思います。
それがこの仕事をするようになって、その時の自分からは想像も出来ないほど読むようになりました。自分でも信じられませんが、それは娘と同じように、
必要に駆られたから!
です。どんな必要性があったのかというと・・・
・ホームページに文章を書かないといけなかったから
・立場上、みんなの前で話をしないといけないから
・その他、こうしたブログを含め色々なシーンで文章を書かないといけないから
その為、
上手に書きたい!
その為には語彙も増やしたい!
言葉が上から降ってくるくらい引き出しを増やしたい!
そう強く思ったのです。もちろん経営戦略やマーケティングの本は、それ以上に読んだのは言うまでもありませんが、それでも文章本(文章の書き方に関する本)に関しては同じくらいよく読みました。今でも書棚にこの手の本がたくさんあるので分かります。
時々妻が、本をよく読んで勉強している私の姿を見て、
「拓も、秀さんに似て本を読むのが好きみたい」(拓というのは息子の名です)
って言うことがありますが、的外れも甚だしく、以下のどちらも間違っています。
・私が本を読むのが好きであること
・息子の拓が本を読むのが好きであること
既に上で書いた通り、私は本が好きで読んでいるわけでは決してありません。全ては、
必要だから
やらないといけないから
読んでいるだけ。それは長男も全く同じだと私は思います。
このお正月、彼が手にしていた本は以下の2冊でした。
弱者の戦略―人生を逆転する「夢・戦略・感謝」の成功法則 2008/9/1
栢野克己(著) 経済界(刊)

苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」2019/4/11
森岡毅(著) ダイヤモンド社(刊)

前者は、私の書棚にたくさんある本の中から彼が選び出した1冊。苦しかった・・・の方は、就活中の娘になにもできない分、せめて役立てて欲しいと私が娘にプレゼントした本を目にして読んだ1冊。
いずれも、今の彼の関心事、彼のアンテナに触れるテーマなのでしょう。
子どもたちがそうやってそれぞれに今のライフステージで必要に駆られて学んでいく姿、姿勢を見ていると、頼もしく思えるし輝いて見えます。
チャレンジしている姿ほど美しいものはないから。
私がそうだったように、これからの長い長い人生において、彼らの悩みや欲求は尽きないと思います。それを決してスルーすること無く、今までのように真正面から向き合い、一つ一つその解決や欲求を満たす為に精一杯努力していって欲しいと心から願います。
決して、解決出来ない問題はないから
決して、達成できない夢はないから
本が嫌いで書くのも大の苦手だった私が、こうやって公衆に触らされるブログが曲がりなりにも書けるようになったのも、上手く書けるようになりたい!そう強く思って努力を続けてきたからです。
流れ上、今回のブログはこんな内容になってしまいましたが、私はなにも君たちに関して心配していません。(心配したって今更ですよね)だって僕は君たちが子どもの頃、君たちのために何もしてこなかったのだから。
何もしてこなかったけど、君たちはこうしてそれぞれ、今のステージまで駆け上がってきたし、これからも私が何も言わなくても自分が望むところまで駆け上がる為の努力を続けるでしょう。
でも、私の人生を80歳としたら、もう残りはあと三分の一とそう長くはありません。君たちが歩んできた二十数年もの間、何もしなかったせめてもの償いとして、残りの人生において君たちの応援をさせていただこうと思っています。
これが年初にあたって強く思ったことです。
今年もよろしくお願いします。
そう言えば・・・彼女が読書をしているところを私は見たことがありません。
「日記も最近書き出したの」
そうも言うではありませんか。
で、
それはなんで?
って聞いてみると・・・
就活でエントリーシートを書いているから!
なるほど!です。
エントリーシートに上手に書きたい!
その為には語彙も増やしたい!
だから本を読もう!
このロジックというかその気持ち、私もとてもよく分かります。
なぜなら私自身が、まさにそうだったから。
これまでに何度か言ってきたり、このブログでも書いたりしてきたことですが、私はハクロマークに入るまで読書なんかしたことがないと言っても過言ではないくらい、本を読んできませんでした。はっきり言って嫌いでした。小学中学の頃、休みの間の読書感想文の宿題も大の苦手でイヤでイヤでなりませんでした。結局、まえがきやあとがきを読んでそこを適当に写して、毎回出していたように思います。
それがこの仕事をするようになって、その時の自分からは想像も出来ないほど読むようになりました。自分でも信じられませんが、それは娘と同じように、
必要に駆られたから!
です。どんな必要性があったのかというと・・・
・ホームページに文章を書かないといけなかったから
・立場上、みんなの前で話をしないといけないから
・その他、こうしたブログを含め色々なシーンで文章を書かないといけないから
その為、
上手に書きたい!
その為には語彙も増やしたい!
言葉が上から降ってくるくらい引き出しを増やしたい!
そう強く思ったのです。もちろん経営戦略やマーケティングの本は、それ以上に読んだのは言うまでもありませんが、それでも文章本(文章の書き方に関する本)に関しては同じくらいよく読みました。今でも書棚にこの手の本がたくさんあるので分かります。
時々妻が、本をよく読んで勉強している私の姿を見て、
「拓も、秀さんに似て本を読むのが好きみたい」(拓というのは息子の名です)
って言うことがありますが、的外れも甚だしく、以下のどちらも間違っています。
・私が本を読むのが好きであること
・息子の拓が本を読むのが好きであること
既に上で書いた通り、私は本が好きで読んでいるわけでは決してありません。全ては、
必要だから
やらないといけないから
読んでいるだけ。それは長男も全く同じだと私は思います。
このお正月、彼が手にしていた本は以下の2冊でした。
弱者の戦略―人生を逆転する「夢・戦略・感謝」の成功法則 2008/9/1
栢野克己(著) 経済界(刊)

苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」2019/4/11
森岡毅(著) ダイヤモンド社(刊)

前者は、私の書棚にたくさんある本の中から彼が選び出した1冊。苦しかった・・・の方は、就活中の娘になにもできない分、せめて役立てて欲しいと私が娘にプレゼントした本を目にして読んだ1冊。
いずれも、今の彼の関心事、彼のアンテナに触れるテーマなのでしょう。
子どもたちがそうやってそれぞれに今のライフステージで必要に駆られて学んでいく姿、姿勢を見ていると、頼もしく思えるし輝いて見えます。
チャレンジしている姿ほど美しいものはないから。
私がそうだったように、これからの長い長い人生において、彼らの悩みや欲求は尽きないと思います。それを決してスルーすること無く、今までのように真正面から向き合い、一つ一つその解決や欲求を満たす為に精一杯努力していって欲しいと心から願います。
決して、解決出来ない問題はないから
決して、達成できない夢はないから
本が嫌いで書くのも大の苦手だった私が、こうやって公衆に触らされるブログが曲がりなりにも書けるようになったのも、上手く書けるようになりたい!そう強く思って努力を続けてきたからです。
流れ上、今回のブログはこんな内容になってしまいましたが、私はなにも君たちに関して心配していません。(心配したって今更ですよね)だって僕は君たちが子どもの頃、君たちのために何もしてこなかったのだから。
何もしてこなかったけど、君たちはこうしてそれぞれ、今のステージまで駆け上がってきたし、これからも私が何も言わなくても自分が望むところまで駆け上がる為の努力を続けるでしょう。
でも、私の人生を80歳としたら、もう残りはあと三分の一とそう長くはありません。君たちが歩んできた二十数年もの間、何もしなかったせめてもの償いとして、残りの人生において君たちの応援をさせていただこうと思っています。
これが年初にあたって強く思ったことです。
今年もよろしくお願いします。
今年1月5日から始まったハクロマークの2019は、本日12月27日をもって一年間の業務を終えました。皆さん、お疲れ様でした。
振り返れば私自身の今年一年の過ごし方は、去年や一昨年と何も変わるところは無かったと思います。吹けば飛ぶような小さな会社ですから、安閑としていられないのは当然のこと。毎年少しずつ会社は大きくなっても、一瞬たりとも気を緩めることなく、いやむしろ人が増えれば増えるほど倒産のリスクは高まりますから、例年以上に危機意識を持って毎日真剣に戦って来たつもりです。
しかしこれまでにも書いたように、今年は去年ほどの勢いがありませんせんでした。その原因は色々とあるかもしれないけれど、いずれにせよ真の原因は努力が足りなかったと。ブログで原因分析した通り、誰にも負けない努力ができていなかった、それに尽きると。
誰にも負けない努力をする PARTⅡ
https://ameblo.jp/hakuromark/entry-12553507360.html
稲盛さんは、著書『誰にも負けない努力』(稲盛和夫述 出版社: PHP研究所)で、
一生懸命に働きさえすれば、経営は順調にいくのだと思います。どんな不況がこようとも、どんな時代になろうとも、一生懸命に働きさえすれば、十分にそれらを乗り切っていけると思っています。
と述べています。
では引き続き、その第二章「努力を重ねる」から、
8 誰にも負けない努力をする
を見ていきます。
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8 誰にも負けない努力をする
経営と人生において成功したいのなら、一生懸命に働くことである。あのアスファルトの割れ目からなんとしても生きようと芽を出している雑草のように、必死に一生懸命に働く。それ以外に、成功の道はないのである。
企業経営をしていく中で一番大事なのは、「誰にも負けない努力をする」ことだろうと思います。言葉をかえれば、一生懸命に毎日働くということが会社経営で最も大事なことだと思っています。また、幸せに、素晴らしい人生を生きたいと思うならば、毎日真剣に働くことが大切です。つまり、素晴らしい企業経営をするにしても、素晴らしい人生を生きるにしても、誰にも負けない努力をする。このことを除いては、会社経営の成功も人生の成功もありえないと思っています。一生懸命に働くことを忌み嫌い、少しでもラクをしようと思うならば、会社経営はもちろんのこと、素晴らしい人生も得ることはできません。
極端にいえば、一生懸命に働きさえすれば、経営は順調にいくのだと思います。どんな不況がこようとも、どんな時代になろうとも、一生懸命に働きさえすれば、十分にそれらを乗り切っていけると思っています。経営をするには経営戦略が大事だ、経営戦術が大事だと一般にはいわれていますが、一生懸命に働くということ以外に成功する道はないと思っています。
振り返ってみれば、二十七歳で京セラという会社をつくっていただき、以来、経営の道へと入ったわけですが、経営のケの字も知らなかった私は、会社を潰してはいかん、私を支援して会社をつくっていただいた方々に迷惑をかけてはならんというただその一念で、必死になって働いてきました。朝早くから夜は一時、二時まで働いていました。それを連日のように繰り返し、誰にも負けない努力を重ねてきたわけです。
京セラは来年、創立五十周年を迎えます。考えてみますと、この五十年間、創業のときと同じように一生懸命に働き通してきました。そのことが今日の京セラをつくっているということをみても、一生懸命に働くということ以上の経営のノウハウはないというのは、間違いのないことだと思っています。
思い出すのは、私の母方のおじのことです。満洲(現中国東北部)から裸一貫で戻り、終戦後、鹿児島で野菜の行商をしていました。おじは小学校を出ただけの人で、口の悪い親戚の者たちは、「あの人は学問もないし、知恵も足りないから、暑い日でも毎日大きな大八車を引いて、汗をたらしながら行商しているんだよ」と、いくらか軽蔑したように見ていました。
身体の小さなおじでした。そのおじが自分よりもはるかに大きな大八車に野菜を積み、暑い日も寒い日も行商をしているのを、幼い私はよく見ていました。おそらくおじは、経営とか、商売とか、経理とか、そういうものはまったく知らなかったと思います。しかし、ただ一生懸命に働くということで、やがて大きな八百屋を経営するようになり、晩年まで素晴らしい経営を続けていきました。学問がなかろうと何がなかろうと、黙々と働く。それが素晴らしい結果を招いていくのだということを、私は子供心に感じていました。
「私がなぜ「一生懸命に働く」ということを強調するのかといいますと、この自然界はすべて一生懸命に生きるということが前提になっているからです。少しお金ができたり、会社がうまくいくと、少しはラクをしようという不埒な考えをするのは、我々人間だけなのです。自然界にそういうものは決してありません。自然界に生きている動植物はすべて、必死に、 一生懸命に生きています。そういうことをみても、毎日毎日を真剣に、ど真剣に、一生懸命に働くということが、我々人間にとって最低限必要なことではないかと思うのです。
夏の日照りの中で、道路のアスファルトの割れ目から雑草が芽を出していることがあります。おそらく一週間も日照りが続けば枯れてしまうような、あまり水分もない、土もないようなところです。自然界ではそういうたいへん過酷な環境の中でも、種が舞い落ちれば、そこで芽を出し、葉を広げ、雨が降ったときに精一杯の炭酸同化作用(光合成)をし、葉を太らせ、そして花を咲かせ実をつけて、短い一生を終えます。また、石垣の隙間、土のない石と石のあいだであっても雑草が芽を出し、花を咲かせるのを、我々は目にします。
さらには、あの過酷な熱砂の砂漠にも、年に何回か雨が降るそうですが、雨が降った直後、たちまちにして芽を出し、葉を広げ、花を咲かせて実をつけ、わずか数週間で枯れていく。砂漠の中で精一杯に生き、子孫を残すために花を咲かせ、実をつけ、その実を地表へと落とす。そうしてわずか数週間の一生を終えていく。しかし、また来年、いつの日にか雨が降ったときに発芽する。
過酷な条件の中で、植物も動物も、みんなひたむきに必死で生きています。いい加減に、 怠けて生きている動植物はありません。その自然界のさまをみても分かるように、地球上に住んでいる我々人間も真面目に、一生懸命に生きることが最低条件であろうと思うのです。
創業当時の私は、そういうことなど知りません。知らないながらも、一生懸命に働かなければ、一生懸命に努力をしなければ、会社の経営はうまくいかないのだろうという恐怖心を抱いていました。その恐怖心から一生懸命頑張ってきたわけですが、今日振り返ってみて、それは決して間違いではなかったと思っています。どんな不況がこようとも、どんな厳しい環境がこようとも、人一倍努力をしていくということが最低条件なのだということを、私は今でも固く信じています。
いろんな人に「一生懸命に働いていますか」と聞くと、「ええ、働いていますよ」と返ってきます。これではいかん、伝わっていないと思ったので、私は「誰にも負けない努力をしていますか」「誰にも負けないような働きをしていますか」と聞くようにしています。あなたは自分では働いていると言っているけれども、そんな働きではナマなことです。もっと真面目に、もっと一生懸命に働かなければ、会社でも人生でもうまくいきませんよ。そういう意味で、私は「誰にも負けない努力をする」という表現をしているわけです。
一生懸命に働く、誰にも負けない努力をするのは、自然界に生きているものの当然の義務だと、私は思っています。その義務から逃れることはできません。
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稲盛さんの言葉には、"厳しさ"ももちろんありますが、えもいわれぬ"優しさ"が感じられます。どこかの誰かさんの、ただ厳しいだけの言葉と次元が違いますね。だから、こうしてブログに引用して紹介しているのです。私自身の言葉では上手く言えませんので。
何より、
こんな俺でも頑張ればきっと成功することができる!だから明日からやったるぞっ!
そんな気にさせてくれます。生きる勇気や未来への希望を与えてくれます。ただ厳しいだけではありませんよね(私も、人に元気や勇気を与えるそんな人間になりたい!)
今回も数えてみると、稲盛さんの上記の言葉の中に「一生懸命」が21回も出てきました。なかでも印象的なのは、"経営戦略"や"テクニック"なんかよりも、とにかく"一生懸命"の方が大事の部分。確かにそうかもしれません。というか、経営の神様がそう言うのですからきっとそうなんでしょう。ここです。
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経営をするには経営戦略が大事だ、経営戦術が大事だと一般にはいわれていますが、一生懸命に働くということ以外に成功する道はないと思っています。
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後半の自然界の話は、倫理や道徳、宗教に無頓着な方には理解し難かったかもしれません。これに関しては、私もこんな話を聞いて勉強したことがあります。
私たちは毎朝、まだ眠いとか寒いとか色々な理由で、目が覚めてもなかなか布団から出られずに、少しでも長く布団の中で寝ていたい!とかくそう思いますよね。でも自然界に生きる動物たちは、寒いからもうちょっと寝ていようとか決してそんなことは思いません(カラスがそんなこと、思うはずないでしょ)そんなことを思うのはわがままな人間だけなのです。
それと同じようなことが書かれているのがこの部分です。
------------------------------------------------------
少しお金ができたり、会社がうまくいくと、少しはラクをしようという不埒な考えをするのは、我々人間だけなのです。自然界にそういうものは決してありません。自然界に生きている動植物はすべて、必死に、 一生懸命に生きています。
------------------------------------------------------
自然界と同じような生き方・暮らし方をするのが幸せになる秘訣!そう勉強したものですから、以来私も自然界に歩調を合わせるべく、毎朝4時半に起きるようにしています。夏は全く苦にはなりませんが、寒い冬はそうは簡単ではありません。でも簡単ではない冬だからこそ鍛えがいがあるというもの。幸いなことに、もうすぐその鍛えがいのある、最も寒い2ヶ月がやってきます。
"4時半に起きること"は、誰にも負けない努力とは決して言えませんが、そのきっかけにしたい。
幸いなことにやる気満々です!と言うのも・・・
今年はラグビーワールドカップやグランメゾン東京で、改めて努力の大切さ・価値を思い知りました(だからこそ、このブログで延々もう何回書いてきたのでしょう、この努力シリーズ。もううんざりだと真子さんには言われ続けています)。
更には業績もこのような調子。
そして稲盛さんの、この厳しくもあり温かくもありそしてやる気にさせてくれる書物や言葉との出会い。
もう、誰にも負けない努力、やる気満々です!
ましてや一年のなかで一番目標を立てやすい時期と言えば・・・・
そう年末年始ですよね。
一年の計は元旦に有り
って言いますから。
このやる気に満ちた年末年始に、誰にも負けない努力ってどんなことができるか?!考えたいと思います。
(つづく)
振り返れば私自身の今年一年の過ごし方は、去年や一昨年と何も変わるところは無かったと思います。吹けば飛ぶような小さな会社ですから、安閑としていられないのは当然のこと。毎年少しずつ会社は大きくなっても、一瞬たりとも気を緩めることなく、いやむしろ人が増えれば増えるほど倒産のリスクは高まりますから、例年以上に危機意識を持って毎日真剣に戦って来たつもりです。
しかしこれまでにも書いたように、今年は去年ほどの勢いがありませんせんでした。その原因は色々とあるかもしれないけれど、いずれにせよ真の原因は努力が足りなかったと。ブログで原因分析した通り、誰にも負けない努力ができていなかった、それに尽きると。
誰にも負けない努力をする PARTⅡ
https://ameblo.jp/hakuromark/entry-12553507360.html
稲盛さんは、著書『誰にも負けない努力』(稲盛和夫述 出版社: PHP研究所)で、
一生懸命に働きさえすれば、経営は順調にいくのだと思います。どんな不況がこようとも、どんな時代になろうとも、一生懸命に働きさえすれば、十分にそれらを乗り切っていけると思っています。
と述べています。
では引き続き、その第二章「努力を重ねる」から、
8 誰にも負けない努力をする
を見ていきます。
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8 誰にも負けない努力をする
経営と人生において成功したいのなら、一生懸命に働くことである。あのアスファルトの割れ目からなんとしても生きようと芽を出している雑草のように、必死に一生懸命に働く。それ以外に、成功の道はないのである。
企業経営をしていく中で一番大事なのは、「誰にも負けない努力をする」ことだろうと思います。言葉をかえれば、一生懸命に毎日働くということが会社経営で最も大事なことだと思っています。また、幸せに、素晴らしい人生を生きたいと思うならば、毎日真剣に働くことが大切です。つまり、素晴らしい企業経営をするにしても、素晴らしい人生を生きるにしても、誰にも負けない努力をする。このことを除いては、会社経営の成功も人生の成功もありえないと思っています。一生懸命に働くことを忌み嫌い、少しでもラクをしようと思うならば、会社経営はもちろんのこと、素晴らしい人生も得ることはできません。
極端にいえば、一生懸命に働きさえすれば、経営は順調にいくのだと思います。どんな不況がこようとも、どんな時代になろうとも、一生懸命に働きさえすれば、十分にそれらを乗り切っていけると思っています。経営をするには経営戦略が大事だ、経営戦術が大事だと一般にはいわれていますが、一生懸命に働くということ以外に成功する道はないと思っています。
振り返ってみれば、二十七歳で京セラという会社をつくっていただき、以来、経営の道へと入ったわけですが、経営のケの字も知らなかった私は、会社を潰してはいかん、私を支援して会社をつくっていただいた方々に迷惑をかけてはならんというただその一念で、必死になって働いてきました。朝早くから夜は一時、二時まで働いていました。それを連日のように繰り返し、誰にも負けない努力を重ねてきたわけです。
京セラは来年、創立五十周年を迎えます。考えてみますと、この五十年間、創業のときと同じように一生懸命に働き通してきました。そのことが今日の京セラをつくっているということをみても、一生懸命に働くということ以上の経営のノウハウはないというのは、間違いのないことだと思っています。
思い出すのは、私の母方のおじのことです。満洲(現中国東北部)から裸一貫で戻り、終戦後、鹿児島で野菜の行商をしていました。おじは小学校を出ただけの人で、口の悪い親戚の者たちは、「あの人は学問もないし、知恵も足りないから、暑い日でも毎日大きな大八車を引いて、汗をたらしながら行商しているんだよ」と、いくらか軽蔑したように見ていました。
身体の小さなおじでした。そのおじが自分よりもはるかに大きな大八車に野菜を積み、暑い日も寒い日も行商をしているのを、幼い私はよく見ていました。おそらくおじは、経営とか、商売とか、経理とか、そういうものはまったく知らなかったと思います。しかし、ただ一生懸命に働くということで、やがて大きな八百屋を経営するようになり、晩年まで素晴らしい経営を続けていきました。学問がなかろうと何がなかろうと、黙々と働く。それが素晴らしい結果を招いていくのだということを、私は子供心に感じていました。
「私がなぜ「一生懸命に働く」ということを強調するのかといいますと、この自然界はすべて一生懸命に生きるということが前提になっているからです。少しお金ができたり、会社がうまくいくと、少しはラクをしようという不埒な考えをするのは、我々人間だけなのです。自然界にそういうものは決してありません。自然界に生きている動植物はすべて、必死に、 一生懸命に生きています。そういうことをみても、毎日毎日を真剣に、ど真剣に、一生懸命に働くということが、我々人間にとって最低限必要なことではないかと思うのです。
夏の日照りの中で、道路のアスファルトの割れ目から雑草が芽を出していることがあります。おそらく一週間も日照りが続けば枯れてしまうような、あまり水分もない、土もないようなところです。自然界ではそういうたいへん過酷な環境の中でも、種が舞い落ちれば、そこで芽を出し、葉を広げ、雨が降ったときに精一杯の炭酸同化作用(光合成)をし、葉を太らせ、そして花を咲かせ実をつけて、短い一生を終えます。また、石垣の隙間、土のない石と石のあいだであっても雑草が芽を出し、花を咲かせるのを、我々は目にします。
さらには、あの過酷な熱砂の砂漠にも、年に何回か雨が降るそうですが、雨が降った直後、たちまちにして芽を出し、葉を広げ、花を咲かせて実をつけ、わずか数週間で枯れていく。砂漠の中で精一杯に生き、子孫を残すために花を咲かせ、実をつけ、その実を地表へと落とす。そうしてわずか数週間の一生を終えていく。しかし、また来年、いつの日にか雨が降ったときに発芽する。
過酷な条件の中で、植物も動物も、みんなひたむきに必死で生きています。いい加減に、 怠けて生きている動植物はありません。その自然界のさまをみても分かるように、地球上に住んでいる我々人間も真面目に、一生懸命に生きることが最低条件であろうと思うのです。
創業当時の私は、そういうことなど知りません。知らないながらも、一生懸命に働かなければ、一生懸命に努力をしなければ、会社の経営はうまくいかないのだろうという恐怖心を抱いていました。その恐怖心から一生懸命頑張ってきたわけですが、今日振り返ってみて、それは決して間違いではなかったと思っています。どんな不況がこようとも、どんな厳しい環境がこようとも、人一倍努力をしていくということが最低条件なのだということを、私は今でも固く信じています。
いろんな人に「一生懸命に働いていますか」と聞くと、「ええ、働いていますよ」と返ってきます。これではいかん、伝わっていないと思ったので、私は「誰にも負けない努力をしていますか」「誰にも負けないような働きをしていますか」と聞くようにしています。あなたは自分では働いていると言っているけれども、そんな働きではナマなことです。もっと真面目に、もっと一生懸命に働かなければ、会社でも人生でもうまくいきませんよ。そういう意味で、私は「誰にも負けない努力をする」という表現をしているわけです。
一生懸命に働く、誰にも負けない努力をするのは、自然界に生きているものの当然の義務だと、私は思っています。その義務から逃れることはできません。
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稲盛さんの言葉には、"厳しさ"ももちろんありますが、えもいわれぬ"優しさ"が感じられます。どこかの誰かさんの、ただ厳しいだけの言葉と次元が違いますね。だから、こうしてブログに引用して紹介しているのです。私自身の言葉では上手く言えませんので。
何より、
こんな俺でも頑張ればきっと成功することができる!だから明日からやったるぞっ!
そんな気にさせてくれます。生きる勇気や未来への希望を与えてくれます。ただ厳しいだけではありませんよね(私も、人に元気や勇気を与えるそんな人間になりたい!)
今回も数えてみると、稲盛さんの上記の言葉の中に「一生懸命」が21回も出てきました。なかでも印象的なのは、"経営戦略"や"テクニック"なんかよりも、とにかく"一生懸命"の方が大事の部分。確かにそうかもしれません。というか、経営の神様がそう言うのですからきっとそうなんでしょう。ここです。
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経営をするには経営戦略が大事だ、経営戦術が大事だと一般にはいわれていますが、一生懸命に働くということ以外に成功する道はないと思っています。
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後半の自然界の話は、倫理や道徳、宗教に無頓着な方には理解し難かったかもしれません。これに関しては、私もこんな話を聞いて勉強したことがあります。
私たちは毎朝、まだ眠いとか寒いとか色々な理由で、目が覚めてもなかなか布団から出られずに、少しでも長く布団の中で寝ていたい!とかくそう思いますよね。でも自然界に生きる動物たちは、寒いからもうちょっと寝ていようとか決してそんなことは思いません(カラスがそんなこと、思うはずないでしょ)そんなことを思うのはわがままな人間だけなのです。
それと同じようなことが書かれているのがこの部分です。
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少しお金ができたり、会社がうまくいくと、少しはラクをしようという不埒な考えをするのは、我々人間だけなのです。自然界にそういうものは決してありません。自然界に生きている動植物はすべて、必死に、 一生懸命に生きています。
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自然界と同じような生き方・暮らし方をするのが幸せになる秘訣!そう勉強したものですから、以来私も自然界に歩調を合わせるべく、毎朝4時半に起きるようにしています。夏は全く苦にはなりませんが、寒い冬はそうは簡単ではありません。でも簡単ではない冬だからこそ鍛えがいがあるというもの。幸いなことに、もうすぐその鍛えがいのある、最も寒い2ヶ月がやってきます。
"4時半に起きること"は、誰にも負けない努力とは決して言えませんが、そのきっかけにしたい。
幸いなことにやる気満々です!と言うのも・・・
今年はラグビーワールドカップやグランメゾン東京で、改めて努力の大切さ・価値を思い知りました(だからこそ、このブログで延々もう何回書いてきたのでしょう、この努力シリーズ。もううんざりだと真子さんには言われ続けています)。
更には業績もこのような調子。
そして稲盛さんの、この厳しくもあり温かくもありそしてやる気にさせてくれる書物や言葉との出会い。
もう、誰にも負けない努力、やる気満々です!
ましてや一年のなかで一番目標を立てやすい時期と言えば・・・・
そう年末年始ですよね。
一年の計は元旦に有り
って言いますから。
このやる気に満ちた年末年始に、誰にも負けない努力ってどんなことができるか?!考えたいと思います。
(つづく)
前回、日本中のグルメ大会に出展を続けるM氏を、職場の教養を通して紹介しました。私はその姿を、対外試合で鍛えていると例えて表現しました。
会社の中で仕事をしているだけでは、自分の真の実力を計り知ることはできません。もしかしたら、毎日社内で同じことをしているだけに、かえって自分は知っていると、実力を過大評価しているかもしれません。これを、
井の中の蛙、大海を知らず
と言います。
大海を知るにはどうすればいいかというと、先ほども言ったように、対外試合いわゆる練習試合を組むのが一般的です。今回のラグビーワールドカップの一つ前の時の日本チームのヘッドコーチのエディジョーンズは、弱い日本チームを立て直すために世界一厳しい練習をしたのは有名な話ですが、もう一つ、海外遠征をして国際マッチをよくしました。確かに、そうすれば自分たちの実力がどれくらいか一発で分かりますからね。
では会社勤めの場合、自分の実力を知る対外試合のようなものはないのかというと、なくもありません。資格試験だったり昇進昇格試験がそうです。今ハクロマークがやっている社内テストもそうですね。ハクロマークのこんな簡素な社内テスト一つとってみても、自分の実力がどの程度か分かりますね。
テストを受けた人なら分かると思いますが、なんとなく分かっているようで、いざテストになったら上手く書けませんね。
そりゃーそうです。
それがどうしてか、毎日斉唱している「従業員心得」を例に取れば説明がつきます。これだけ毎日斉唱しているのですから、カードを見なくても言えそうなものですが、空で言えと言われても言えないでしょう。それはなぜでしょうか?!
答えは簡単。
覚えようとしてないから。
ただそれだけです。
商品知識も同じ。
普段、毎日の仕事の中で意識して覚えようと思ってませんから、分かったような気になってはいても実際には書けません。
何事も意識してやらないと、自然にやっているだけでは身につかないということです。自分自身が一人前になるためにどうすればいいか計画を立てるのはもちろん、何より意識して勉強する、意識して覚える、こういうことは絶対に必要です。毎日、会社に来てはただルーティンワークとして業務をやっているだけ。分からないことがあれば誰かに聞いてその場を凌ぐ!そんなことをしているだけでは一年経っても二年経っても一人前にはなれません。
せっかくなので紹介しておきます。継栄計画書の18ページに「知識や技術に裏打ちされた、お客様の良きアドバイザーになろう!」というコラムがありますので、この機会に是非読んで下さい。少なくとも、今のままではダメだ、努力しないと、という気になりますから。
さて、予定では今号と次号(12/27号)、そしてその次の1月3日の号で、長く続いた努力シリーズは終わる予定です。最後を飾る、この年末から年始にかけての3号に関しては、こちらの本を主に引用して書いていこうと思います。
誰にも負けない努力(稲盛和夫述 出版社: PHP研究所)

今回は、その第二章「努力を重ねる」から、
9:仕事を好きになる
を取り上げます。
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41ページ
9:仕事を好きになる
努力をして仕事を好きになる。本当に好きになったら、「誰にも負けない努力」ができる。そうして一生懸命に働く中で、創意工夫して仕事を進めるようになり、やがては素晴らしい成果ももたらされる。また、自分の魂を磨き、美しい心をつくっていくことにもなる。
一生懸命に働くということ、苦もなく苦しいことを連日続けていくには、今自分がやっている仕事、自分が毎日やっていることを好きになることだと思います。好きなことであれば、いくらでも頑張ることができます。好きになり、今やっている仕事に惚れ込んでしまえば、はたからは「あんなに苦労して、あんなに頑張ってたいへんだろう」と思えることも、本人は好きでやっているのですから、なんともないのです。
私は若い頃からそういうふうに思って、自分がしている仕事を好きになろうと努力しました。私は大学を出たものの、どこにも就職ができなくて、先生のお世話で焼き物の会社に入れていただきました。もともと興味を持っていたわけではない焼き物の世界は、私はあまり好きではありませんでした。しかも、入れていただいたところは、毎月給料日に給料が出ず、遅れて出てくるという会社でした。そのために、私は不満を持っていました。
しかし、不満たらたらで研究開発をしても、うまくいくはずがありません。ですから私は、この仕事を好きになろうと自分で思いました。好きにならなければ、打ち込んで研究もできないと考えたからです。
ちょうどその頃です。恋心が芽生えていた私は、「惚れて通えば千里も一里」という言葉を知りました。惚れた人に会いに行こうと思えば、千里の道も一里にしか思えない。どんなに疲れていても、あの人に会いに行こうと思えば、千里の道のりであっても、なんとも思わずに歩いていける。それが「惚れて通えば千里も一里」です。
確かに好きになり、惚れてしまえば、どんな苦労も苦労とは思わなくなる。そういうふうに私は自分で思うようにし、自分の仕事、研究を好きになろうと努力したのです。
好きな仕事についている人は結構です。しかし、好きな仕事につけるという幸運な人は、 そうはいないはずです。生活のために、その仕事をしているというのが普通だと思います。ならば、その仕事を好きになる努力をするということが必要です。好きになる努力をして、 本当に好きになったら、あとはしめたものです。誰にも負けない努力が簡単にできるはずです。「あんなに朝早くから夜遅くまで頑張っていて、身体を壊しやしないだろうか」とみんなが思うようなことも、平気でやってのけられるはずです。
成功にはいろんな方法があるといわれていますが、「一生懸命に働く」ということを除いて、成功はありえないと思っています。この厳しい経営環境の中で、さらには不景気がくると思われるような環境の中で頑張っていくには、この「一生懸命に働く」ということが必要ではないかと思っています。
一生懸命に働く、真面目に仕事に打ち込んでいくということには、もう一つの効用があります。毎日、自分の仕事に打ち込み、一生懸命に仕事をしていけば、漫然と仕事をするということはありません。自分の仕事が好きになり、一生懸命に仕事をすれば、少しでもよい方向へ仕事を進めていきたい、もっとよい方法はなかろうか、もっと能率が上がる方法はなかろうかと、普通の人でも考えるようになります。毎日を漠然と、ただ無駄に働く人はいないはずです。
一生懸命に働きながら、もっとよい方向に仕事を進めたい、もっとよい方法はなかろうかと考えていけば、創意工夫の毎日になっていきます。今日よりは明日、明日よりは明後日と、自分で工夫して仕事をしていくようになるわけです。そして、仕事に打ち込みながら、そういうことにいろいろと考えを巡らせていけば、素晴らしいひらめき、ヒントも得られるようになります。
私は自分のことを決して能力のある人間だとは思いませんでしたが、毎日必死で仕事をしながら、今日よりは明日、明日よりは明後日と仕事に工夫を加え、もっとよい方向に仕事を進めることはできないだろうか、例えば販売を増やしていくためにもっとよい売り方はなかろうか、もっとよい製造の方法はなかろうかと考えていました。それが、自分でも想像できないような素晴らしい成長発展を会社にもたらしてくれたのです。京セラが新しい製品を開発できたのも、新しい市場を開拓していったのも、そういうことを常に考えて努力をした結果です。
一生懸命に働くということがなければ、そういうひらめきも生まれてきません。生半可な、グウタラな仕事をしながら、何かよい方法はなかろうかと思っても、素晴らしい着想というものは出てきません。苦労し、行き詰まり、必死になって考えているから、神様がひたむきなその努力をかわいそうに思い、新しいヒントを与えてくれる。私はそういうふうに思っています。
真摯で、真面目で、一途な努力、そして一生懸命に考えているさまをみて、神様はボンクラな私に対してひらめき、知恵、啓示を与えてくれたのではないかと思っています。自分では得られないような素晴らしい知恵を与えてくれるのも、一生懸命に働いている結果だと思うのです。
世の中で偉大な発明発見をした人、新製品を開発したり、新技術を開発した人たちの生きざまをみてみると、すべての人が誰にも負けない努力をしています。ナマクラな仕事をして、成功した人、素晴らしい発明発見をした人は一人もいません。そういう点でも、一生懸命誰にも負けない努力をすることは、素晴らしい成果をもたらしてくれるのだと思っています。
さらにもう一つ大事なことがあります。
朝早くから夜遅くまで一生懸命に働けば、暇がありません。「小人閑居して不善を為す」 というように、人間というものは、暇があればろくなことを考えないし、ろくなことをしません。忙しいということ、一生懸命に働くということは、よけいなことを考える暇がないということです。
禅宗のお坊さんや修験道の山伏は、荒行をしながら自分の魂を磨いていきます。一点に集中し、雑念妄念がわいてくる間がないくらいに修行をして、心を整理し、心を磨き、純粋な素晴らしい人間性、人格を形成していきます。その過程と同じように、一生懸命に働けば、 雑念妄念を浮かべる暇がありません。つまり、一生懸命に働くということは人間の魂を磨くことにもつながっていくわけです。
私は皆さんに「魂を磨いていけば、そこには利他の心が生まれてくる」と説いています。よき心、思いやりのある優しい慈悲の心が芽生えてきます。そういうよき思いを心に抱く、 つまり世のため人のためになるようなよきことを思い、実行すれば、必ず運命はよい方向へと変わっていくということも、私は皆さんに説いてきました。会社の仕事にただ一途に打ち込んで働くだけでも、自分の魂を磨き、美しい心をつくっていくことになっていくわけです。
美しい心ができさえすれば、自然によき思いを抱き、よきことを実行するようになります。自分にどのような運命が授かっているのかはわかりませんが、そうした思い、実践はその運命をさらによい方向へと変えていく力になっていきます。「誰にも負けない努力をする」「一生懸命に働く」ということは、経営をするにしても、立派な人生を生きていくにしても、「これしかない」というほど不可欠なものなのです。
(ここまで)
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正直に言うと、私は自分のこの仕事が好きだと思ったことは一度もありません。これまで、ただ仕事だと思って、家業だと思って、潰してはならないのだと思って、一生懸命やってきただけであって、決して好きだから一生懸命やれているわけではありません。だから、妻にはいつもこう言ってきました。
"やりたいというよりやらなければならない"その使命感というか義務感というか、それだけでやっていると。
稲盛さんの言葉でいうと、ここですね。
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生活のために、その仕事をしているというのが普通だと思います。
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でもまぁ~、それが普通だと書かれていたので、少し救われた気がします。
逆に、
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好きな仕事についている人は結構です。しかし、好きな仕事につけるという幸運な人は、 そうはいないはずです。
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とあるように、好きな仕事についている人の方が少ないんですかね?
でも、この希少な存在である”好きな仕事に就いていた人”を私はひとりだけ知っています。それも最も身近な人で。それは誰かというと・・・
私の父です。
私の父は自分の商売を愛していましたし、実際自分が携わっているこの仕事が世界で一番良い仕事だと、ことあるごとに言っていました。
今思えば、父は究極のプラス思考の人でした。"自分の仕事が一番だ"と思っているのもそうですし、弱音を吐いたとこなんて一度も聞いたことがないし、でも陰で母にだけは言ってそうなので聞けば、母も聞いたことがない。だからこそ母も言います。
お父さんくらい、プラス思考の人はおらへんで
って。
本当にそう思います。
仕事がどんなに暇でも、愚痴や弱音、泣き言なんて一切無かった。そんなとき、考え込んだり悩んだりするのが普通だと思いますが、悩んでもなかった。悩んでるところなんて一度も見たことがないんです。
どうです?こう思いません。
全然違うやんって。
ほんとそう。私と全然違うどころか、正反対なんです!性格で父と似ているところなんて何一つ無いと思います。
父はゴルフが好きで、山に出て行くと当然一日会社を留守にするわけですが、そんなとき帰ってきた父に母が
仕事のこととか時々気になったりする?
って聞くと、父はいつでも
ゴルフしとう時は、1回も仕事のことなんて頭に出てきたことがない!
と。
何が言いたいか分かりますか?
そう、ほんと私と全然違うのよ。
私なんて逆ですよ逆。休みの日だっていっつも仕事のこと考えてるし、休みの日に休みに集中して、仕事のことが一切頭に出てこないなんて僕からしたらあり得ない。
そんな人に、そんな性格に、ほんとなりたかったなぁ~と今では心から思いますが・・・・
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ならば、その仕事を好きになる努力をするということが必要です。
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確かにそうです。
好きになれば、しんどい努力もできますもんね。いや、好きになれば「努力している」なんて自覚さえなくなるかも、です。
ここです。
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好きなことであれば、いくらでも頑張ることができます。好きになり、今やっている仕事に惚れ込んでしまえば、はたからは「あんなに苦労して、あんなに頑張ってたいへんだろう」と思えることも、本人は好きでやっているのですから、なんともないのです。
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好きになる努力をして、 本当に好きになったら、あとはしめたものです。誰にも負けない努力が簡単にできるはずです。「あんなに朝早くから夜遅くまで頑張っていて、身体を壊しやしないだろうか」とみんなが思うようなことも、平気でやってのけられるはずです。
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誰にも負けない努力が、苦労を苦労と思うことなく簡単にできる境地。それが、
その仕事を好きになること!
仕事が好きになれば、創意工夫や知恵、ひらめきも沸いてくる!
そうやって一生懸命考えていれば神様が助けてくれる!
このあたりは宗教家の稲盛氏の真骨頂。
簡単なことではないかもしれませんが、この「仕事を好きになる!」は、今までほとんど考えたことがないことなので、来年はそこを意識して毎日を生きる努力をしてみようと、これを読んで思いました。
ハクロマークに勤める従業員の方にもそう思ってもらえたらと思って今回書きました。是非参考にしてもらえたらと。
それにしても稲盛さんていう人は凄い人ですね?好きではない仕事を好きになろうと努力しましたって。
ここです。
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私は大学を出たものの、どこにも就職ができなくて、先生のお世話で焼き物の会社に入れていただきました。もともと興味を持っていたわけではない焼き物の世界は、私はあまり好きではありませんでした。しかも、入れていただいたところは、毎月給料日に給料が出ず、遅れて出てくるという会社でした。そのために、私は不満を持っていました。しかし、不満たらたらで研究開発をしても、うまくいくはずがありません。ですから私は、この仕事を好きになろうと自分で思いました。好きにならなければ、打ち込んで研究もできないと考えたからです。
ちょうどその頃です。恋心が芽生えていた私は、「惚れて通えば千里も一里」という言葉を知りました。惚れた人に会いに行こうと思えば、千里の道も一里にしか思えない。どんなに疲れていても、あの人に会いに行こうと思えば、千里の道のりであっても、なんとも思わずに歩いていける。それが「惚れて通えば千里も一里」です。確かに好きになり、惚れてしまえば、どんな苦労も苦労とは思わなくなる。そういうふうに私は自分で思うようにし、自分の仕事、研究を好きになろうと努力したのです。
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「惚れて通えば千里も一里」「小人閑居して不善を為す」などの故事を出すところも稲盛さんらしく、最後の方の、禅宗のお坊さんや修験道の山伏のくだりなんかは、私のような凡人ではもう理解しがたいところではありますが、でも自分にどのような運命が授かっているのかは分からないけれども、会社の仕事にただ一途に打ち込んで働くだけでも、その運命をさらによい方向へと変えていく力になるのであれば、やらない手はありませんし、それくらいなら我々でもできることです。
冒頭でご案内通り今回を含め3回シリーズで「誰にも負けない努力」という本から引用して参りますが、その中のキーワード、キーフレーズは
"一生懸命働く"
です。この、ある意味当たり前で単純な「一生懸命」という語句が上記文中の中だけでも「17回」も出てきます。
一部を再掲しますと、
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成功にはいろんな方法があるといわれていますが、一生懸命に働くということを除いて、成功はありえないと思っています。この厳しい経営環境の中で、さらには不景気がくると思われるような環境の中で頑張っていくには、この一生懸命に働くということが必要ではないかと思っています。
一生懸命に働く、真面目に仕事に打ち込んでいくということには、もう一つの効用があります。毎日、自分の仕事に打ち込み、一生懸命に仕事をしていけば、漫然と仕事をするということはありません。自分の仕事が好きになり、一生懸命に仕事をすれば、少しでもよい方向へ仕事を進めていきたい、もっとよい方法はなかろうか、もっと能率が上がる方法はなかろうかと、普通の人でも考えるようになります。毎日を漠然と、ただ無駄に働く人はいないはずです。
一生懸命に働きながら、もっとよい方向に仕事を進めたい、もっとよい方法はなかろうかと考えていけば、創意工夫の毎日になっていきます。今日よりは明日、明日よりは明後日と、自分で工夫して仕事をしていくようになるわけです。そして、仕事に打ち込みながら、そういうことにいろいろと考えを巡らせていけば、素晴らしいひらめき、ヒントも得られるようになります。
私は自分のことを決して能力のある人間だとは思いませんでしたが、毎日必死で仕事をしながら、今日よりは明日、明日よりは明後日と仕事に工夫を加え、もっとよい方向に仕事を進めることはできないだろうか、例えば販売を増やしていくためにもっとよい売り方はなかろうか、もっとよい製造の方法はなかろうかと考えていました。それが、自分でも想像できないような素晴らしい成長発展を会社にもたらしてくれたのです。京セラが新しい製品を開発できたのも、新しい市場を開拓していったのも、そういうことを常に考えて努力をした結果です。 一生懸命に働くということがなければ、そういうひらめきも生まれてきません。生半可な、グウタラな仕事をしながら、何かよい方法はなかろうかと思っても、素晴らしい着想というものは出てきません。苦労し、行き詰まり、必死になって考えているから、神様がひたむきなその努力をかわいそうに思い、新しいヒントを与えてくれる。私はそういうふうに思っています。
真摯で、真面目で、一途な努力、そして一生懸命に考えているさまをみて、神様はボンクラな私に対してひらめき、知恵、啓示を与えてくれたのではないかと思っています。自分では得られないような素晴らしい知恵を与えてくれるのも、一生懸命に働いている結果だと思うのです。
世の中で偉大な発明発見をした人、新製品を開発したり、新技術を開発した人たちの生きざまをみてみると、すべての人が誰にも負けない努力をしています。ナマクラな仕事をして、成功した人、素晴らしい発明発見をした人は一人もいません。そういう点でも、一生懸命誰にも負けない努力をすることは、素晴らしい成果をもたらしてくれるのだと思っています。
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次回も、この″一生懸命″についてみていきます。
(つづく)
会社の中で仕事をしているだけでは、自分の真の実力を計り知ることはできません。もしかしたら、毎日社内で同じことをしているだけに、かえって自分は知っていると、実力を過大評価しているかもしれません。これを、
井の中の蛙、大海を知らず
と言います。
大海を知るにはどうすればいいかというと、先ほども言ったように、対外試合いわゆる練習試合を組むのが一般的です。今回のラグビーワールドカップの一つ前の時の日本チームのヘッドコーチのエディジョーンズは、弱い日本チームを立て直すために世界一厳しい練習をしたのは有名な話ですが、もう一つ、海外遠征をして国際マッチをよくしました。確かに、そうすれば自分たちの実力がどれくらいか一発で分かりますからね。
では会社勤めの場合、自分の実力を知る対外試合のようなものはないのかというと、なくもありません。資格試験だったり昇進昇格試験がそうです。今ハクロマークがやっている社内テストもそうですね。ハクロマークのこんな簡素な社内テスト一つとってみても、自分の実力がどの程度か分かりますね。
テストを受けた人なら分かると思いますが、なんとなく分かっているようで、いざテストになったら上手く書けませんね。
そりゃーそうです。
それがどうしてか、毎日斉唱している「従業員心得」を例に取れば説明がつきます。これだけ毎日斉唱しているのですから、カードを見なくても言えそうなものですが、空で言えと言われても言えないでしょう。それはなぜでしょうか?!
答えは簡単。
覚えようとしてないから。
ただそれだけです。
商品知識も同じ。
普段、毎日の仕事の中で意識して覚えようと思ってませんから、分かったような気になってはいても実際には書けません。
何事も意識してやらないと、自然にやっているだけでは身につかないということです。自分自身が一人前になるためにどうすればいいか計画を立てるのはもちろん、何より意識して勉強する、意識して覚える、こういうことは絶対に必要です。毎日、会社に来てはただルーティンワークとして業務をやっているだけ。分からないことがあれば誰かに聞いてその場を凌ぐ!そんなことをしているだけでは一年経っても二年経っても一人前にはなれません。
せっかくなので紹介しておきます。継栄計画書の18ページに「知識や技術に裏打ちされた、お客様の良きアドバイザーになろう!」というコラムがありますので、この機会に是非読んで下さい。少なくとも、今のままではダメだ、努力しないと、という気になりますから。
さて、予定では今号と次号(12/27号)、そしてその次の1月3日の号で、長く続いた努力シリーズは終わる予定です。最後を飾る、この年末から年始にかけての3号に関しては、こちらの本を主に引用して書いていこうと思います。
誰にも負けない努力(稲盛和夫述 出版社: PHP研究所)

今回は、その第二章「努力を重ねる」から、
9:仕事を好きになる
を取り上げます。
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41ページ
9:仕事を好きになる
努力をして仕事を好きになる。本当に好きになったら、「誰にも負けない努力」ができる。そうして一生懸命に働く中で、創意工夫して仕事を進めるようになり、やがては素晴らしい成果ももたらされる。また、自分の魂を磨き、美しい心をつくっていくことにもなる。
一生懸命に働くということ、苦もなく苦しいことを連日続けていくには、今自分がやっている仕事、自分が毎日やっていることを好きになることだと思います。好きなことであれば、いくらでも頑張ることができます。好きになり、今やっている仕事に惚れ込んでしまえば、はたからは「あんなに苦労して、あんなに頑張ってたいへんだろう」と思えることも、本人は好きでやっているのですから、なんともないのです。
私は若い頃からそういうふうに思って、自分がしている仕事を好きになろうと努力しました。私は大学を出たものの、どこにも就職ができなくて、先生のお世話で焼き物の会社に入れていただきました。もともと興味を持っていたわけではない焼き物の世界は、私はあまり好きではありませんでした。しかも、入れていただいたところは、毎月給料日に給料が出ず、遅れて出てくるという会社でした。そのために、私は不満を持っていました。
しかし、不満たらたらで研究開発をしても、うまくいくはずがありません。ですから私は、この仕事を好きになろうと自分で思いました。好きにならなければ、打ち込んで研究もできないと考えたからです。
ちょうどその頃です。恋心が芽生えていた私は、「惚れて通えば千里も一里」という言葉を知りました。惚れた人に会いに行こうと思えば、千里の道も一里にしか思えない。どんなに疲れていても、あの人に会いに行こうと思えば、千里の道のりであっても、なんとも思わずに歩いていける。それが「惚れて通えば千里も一里」です。
確かに好きになり、惚れてしまえば、どんな苦労も苦労とは思わなくなる。そういうふうに私は自分で思うようにし、自分の仕事、研究を好きになろうと努力したのです。
好きな仕事についている人は結構です。しかし、好きな仕事につけるという幸運な人は、 そうはいないはずです。生活のために、その仕事をしているというのが普通だと思います。ならば、その仕事を好きになる努力をするということが必要です。好きになる努力をして、 本当に好きになったら、あとはしめたものです。誰にも負けない努力が簡単にできるはずです。「あんなに朝早くから夜遅くまで頑張っていて、身体を壊しやしないだろうか」とみんなが思うようなことも、平気でやってのけられるはずです。
成功にはいろんな方法があるといわれていますが、「一生懸命に働く」ということを除いて、成功はありえないと思っています。この厳しい経営環境の中で、さらには不景気がくると思われるような環境の中で頑張っていくには、この「一生懸命に働く」ということが必要ではないかと思っています。
一生懸命に働く、真面目に仕事に打ち込んでいくということには、もう一つの効用があります。毎日、自分の仕事に打ち込み、一生懸命に仕事をしていけば、漫然と仕事をするということはありません。自分の仕事が好きになり、一生懸命に仕事をすれば、少しでもよい方向へ仕事を進めていきたい、もっとよい方法はなかろうか、もっと能率が上がる方法はなかろうかと、普通の人でも考えるようになります。毎日を漠然と、ただ無駄に働く人はいないはずです。
一生懸命に働きながら、もっとよい方向に仕事を進めたい、もっとよい方法はなかろうかと考えていけば、創意工夫の毎日になっていきます。今日よりは明日、明日よりは明後日と、自分で工夫して仕事をしていくようになるわけです。そして、仕事に打ち込みながら、そういうことにいろいろと考えを巡らせていけば、素晴らしいひらめき、ヒントも得られるようになります。
私は自分のことを決して能力のある人間だとは思いませんでしたが、毎日必死で仕事をしながら、今日よりは明日、明日よりは明後日と仕事に工夫を加え、もっとよい方向に仕事を進めることはできないだろうか、例えば販売を増やしていくためにもっとよい売り方はなかろうか、もっとよい製造の方法はなかろうかと考えていました。それが、自分でも想像できないような素晴らしい成長発展を会社にもたらしてくれたのです。京セラが新しい製品を開発できたのも、新しい市場を開拓していったのも、そういうことを常に考えて努力をした結果です。
一生懸命に働くということがなければ、そういうひらめきも生まれてきません。生半可な、グウタラな仕事をしながら、何かよい方法はなかろうかと思っても、素晴らしい着想というものは出てきません。苦労し、行き詰まり、必死になって考えているから、神様がひたむきなその努力をかわいそうに思い、新しいヒントを与えてくれる。私はそういうふうに思っています。
真摯で、真面目で、一途な努力、そして一生懸命に考えているさまをみて、神様はボンクラな私に対してひらめき、知恵、啓示を与えてくれたのではないかと思っています。自分では得られないような素晴らしい知恵を与えてくれるのも、一生懸命に働いている結果だと思うのです。
世の中で偉大な発明発見をした人、新製品を開発したり、新技術を開発した人たちの生きざまをみてみると、すべての人が誰にも負けない努力をしています。ナマクラな仕事をして、成功した人、素晴らしい発明発見をした人は一人もいません。そういう点でも、一生懸命誰にも負けない努力をすることは、素晴らしい成果をもたらしてくれるのだと思っています。
さらにもう一つ大事なことがあります。
朝早くから夜遅くまで一生懸命に働けば、暇がありません。「小人閑居して不善を為す」 というように、人間というものは、暇があればろくなことを考えないし、ろくなことをしません。忙しいということ、一生懸命に働くということは、よけいなことを考える暇がないということです。
禅宗のお坊さんや修験道の山伏は、荒行をしながら自分の魂を磨いていきます。一点に集中し、雑念妄念がわいてくる間がないくらいに修行をして、心を整理し、心を磨き、純粋な素晴らしい人間性、人格を形成していきます。その過程と同じように、一生懸命に働けば、 雑念妄念を浮かべる暇がありません。つまり、一生懸命に働くということは人間の魂を磨くことにもつながっていくわけです。
私は皆さんに「魂を磨いていけば、そこには利他の心が生まれてくる」と説いています。よき心、思いやりのある優しい慈悲の心が芽生えてきます。そういうよき思いを心に抱く、 つまり世のため人のためになるようなよきことを思い、実行すれば、必ず運命はよい方向へと変わっていくということも、私は皆さんに説いてきました。会社の仕事にただ一途に打ち込んで働くだけでも、自分の魂を磨き、美しい心をつくっていくことになっていくわけです。
美しい心ができさえすれば、自然によき思いを抱き、よきことを実行するようになります。自分にどのような運命が授かっているのかはわかりませんが、そうした思い、実践はその運命をさらによい方向へと変えていく力になっていきます。「誰にも負けない努力をする」「一生懸命に働く」ということは、経営をするにしても、立派な人生を生きていくにしても、「これしかない」というほど不可欠なものなのです。
(ここまで)
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正直に言うと、私は自分のこの仕事が好きだと思ったことは一度もありません。これまで、ただ仕事だと思って、家業だと思って、潰してはならないのだと思って、一生懸命やってきただけであって、決して好きだから一生懸命やれているわけではありません。だから、妻にはいつもこう言ってきました。
"やりたいというよりやらなければならない"その使命感というか義務感というか、それだけでやっていると。
稲盛さんの言葉でいうと、ここですね。
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生活のために、その仕事をしているというのが普通だと思います。
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でもまぁ~、それが普通だと書かれていたので、少し救われた気がします。
逆に、
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好きな仕事についている人は結構です。しかし、好きな仕事につけるという幸運な人は、 そうはいないはずです。
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とあるように、好きな仕事についている人の方が少ないんですかね?
でも、この希少な存在である”好きな仕事に就いていた人”を私はひとりだけ知っています。それも最も身近な人で。それは誰かというと・・・
私の父です。
私の父は自分の商売を愛していましたし、実際自分が携わっているこの仕事が世界で一番良い仕事だと、ことあるごとに言っていました。
今思えば、父は究極のプラス思考の人でした。"自分の仕事が一番だ"と思っているのもそうですし、弱音を吐いたとこなんて一度も聞いたことがないし、でも陰で母にだけは言ってそうなので聞けば、母も聞いたことがない。だからこそ母も言います。
お父さんくらい、プラス思考の人はおらへんで
って。
本当にそう思います。
仕事がどんなに暇でも、愚痴や弱音、泣き言なんて一切無かった。そんなとき、考え込んだり悩んだりするのが普通だと思いますが、悩んでもなかった。悩んでるところなんて一度も見たことがないんです。
どうです?こう思いません。
全然違うやんって。
ほんとそう。私と全然違うどころか、正反対なんです!性格で父と似ているところなんて何一つ無いと思います。
父はゴルフが好きで、山に出て行くと当然一日会社を留守にするわけですが、そんなとき帰ってきた父に母が
仕事のこととか時々気になったりする?
って聞くと、父はいつでも
ゴルフしとう時は、1回も仕事のことなんて頭に出てきたことがない!
と。
何が言いたいか分かりますか?
そう、ほんと私と全然違うのよ。
私なんて逆ですよ逆。休みの日だっていっつも仕事のこと考えてるし、休みの日に休みに集中して、仕事のことが一切頭に出てこないなんて僕からしたらあり得ない。
そんな人に、そんな性格に、ほんとなりたかったなぁ~と今では心から思いますが・・・・
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ならば、その仕事を好きになる努力をするということが必要です。
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確かにそうです。
好きになれば、しんどい努力もできますもんね。いや、好きになれば「努力している」なんて自覚さえなくなるかも、です。
ここです。
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好きなことであれば、いくらでも頑張ることができます。好きになり、今やっている仕事に惚れ込んでしまえば、はたからは「あんなに苦労して、あんなに頑張ってたいへんだろう」と思えることも、本人は好きでやっているのですから、なんともないのです。
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好きになる努力をして、 本当に好きになったら、あとはしめたものです。誰にも負けない努力が簡単にできるはずです。「あんなに朝早くから夜遅くまで頑張っていて、身体を壊しやしないだろうか」とみんなが思うようなことも、平気でやってのけられるはずです。
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誰にも負けない努力が、苦労を苦労と思うことなく簡単にできる境地。それが、
その仕事を好きになること!
仕事が好きになれば、創意工夫や知恵、ひらめきも沸いてくる!
そうやって一生懸命考えていれば神様が助けてくれる!
このあたりは宗教家の稲盛氏の真骨頂。
簡単なことではないかもしれませんが、この「仕事を好きになる!」は、今までほとんど考えたことがないことなので、来年はそこを意識して毎日を生きる努力をしてみようと、これを読んで思いました。
ハクロマークに勤める従業員の方にもそう思ってもらえたらと思って今回書きました。是非参考にしてもらえたらと。
それにしても稲盛さんていう人は凄い人ですね?好きではない仕事を好きになろうと努力しましたって。
ここです。
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私は大学を出たものの、どこにも就職ができなくて、先生のお世話で焼き物の会社に入れていただきました。もともと興味を持っていたわけではない焼き物の世界は、私はあまり好きではありませんでした。しかも、入れていただいたところは、毎月給料日に給料が出ず、遅れて出てくるという会社でした。そのために、私は不満を持っていました。しかし、不満たらたらで研究開発をしても、うまくいくはずがありません。ですから私は、この仕事を好きになろうと自分で思いました。好きにならなければ、打ち込んで研究もできないと考えたからです。
ちょうどその頃です。恋心が芽生えていた私は、「惚れて通えば千里も一里」という言葉を知りました。惚れた人に会いに行こうと思えば、千里の道も一里にしか思えない。どんなに疲れていても、あの人に会いに行こうと思えば、千里の道のりであっても、なんとも思わずに歩いていける。それが「惚れて通えば千里も一里」です。確かに好きになり、惚れてしまえば、どんな苦労も苦労とは思わなくなる。そういうふうに私は自分で思うようにし、自分の仕事、研究を好きになろうと努力したのです。
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「惚れて通えば千里も一里」「小人閑居して不善を為す」などの故事を出すところも稲盛さんらしく、最後の方の、禅宗のお坊さんや修験道の山伏のくだりなんかは、私のような凡人ではもう理解しがたいところではありますが、でも自分にどのような運命が授かっているのかは分からないけれども、会社の仕事にただ一途に打ち込んで働くだけでも、その運命をさらによい方向へと変えていく力になるのであれば、やらない手はありませんし、それくらいなら我々でもできることです。
冒頭でご案内通り今回を含め3回シリーズで「誰にも負けない努力」という本から引用して参りますが、その中のキーワード、キーフレーズは
"一生懸命働く"
です。この、ある意味当たり前で単純な「一生懸命」という語句が上記文中の中だけでも「17回」も出てきます。
一部を再掲しますと、
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成功にはいろんな方法があるといわれていますが、一生懸命に働くということを除いて、成功はありえないと思っています。この厳しい経営環境の中で、さらには不景気がくると思われるような環境の中で頑張っていくには、この一生懸命に働くということが必要ではないかと思っています。
一生懸命に働く、真面目に仕事に打ち込んでいくということには、もう一つの効用があります。毎日、自分の仕事に打ち込み、一生懸命に仕事をしていけば、漫然と仕事をするということはありません。自分の仕事が好きになり、一生懸命に仕事をすれば、少しでもよい方向へ仕事を進めていきたい、もっとよい方法はなかろうか、もっと能率が上がる方法はなかろうかと、普通の人でも考えるようになります。毎日を漠然と、ただ無駄に働く人はいないはずです。
一生懸命に働きながら、もっとよい方向に仕事を進めたい、もっとよい方法はなかろうかと考えていけば、創意工夫の毎日になっていきます。今日よりは明日、明日よりは明後日と、自分で工夫して仕事をしていくようになるわけです。そして、仕事に打ち込みながら、そういうことにいろいろと考えを巡らせていけば、素晴らしいひらめき、ヒントも得られるようになります。
私は自分のことを決して能力のある人間だとは思いませんでしたが、毎日必死で仕事をしながら、今日よりは明日、明日よりは明後日と仕事に工夫を加え、もっとよい方向に仕事を進めることはできないだろうか、例えば販売を増やしていくためにもっとよい売り方はなかろうか、もっとよい製造の方法はなかろうかと考えていました。それが、自分でも想像できないような素晴らしい成長発展を会社にもたらしてくれたのです。京セラが新しい製品を開発できたのも、新しい市場を開拓していったのも、そういうことを常に考えて努力をした結果です。 一生懸命に働くということがなければ、そういうひらめきも生まれてきません。生半可な、グウタラな仕事をしながら、何かよい方法はなかろうかと思っても、素晴らしい着想というものは出てきません。苦労し、行き詰まり、必死になって考えているから、神様がひたむきなその努力をかわいそうに思い、新しいヒントを与えてくれる。私はそういうふうに思っています。
真摯で、真面目で、一途な努力、そして一生懸命に考えているさまをみて、神様はボンクラな私に対してひらめき、知恵、啓示を与えてくれたのではないかと思っています。自分では得られないような素晴らしい知恵を与えてくれるのも、一生懸命に働いている結果だと思うのです。
世の中で偉大な発明発見をした人、新製品を開発したり、新技術を開発した人たちの生きざまをみてみると、すべての人が誰にも負けない努力をしています。ナマクラな仕事をして、成功した人、素晴らしい発明発見をした人は一人もいません。そういう点でも、一生懸命誰にも負けない努力をすることは、素晴らしい成果をもたらしてくれるのだと思っています。
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次回も、この″一生懸命″についてみていきます。
(つづく)
