図書館にて予習をしていた際、頭にこびりついて離れなかった事を
忘れないうちに、とやかく書きたいがためにつらつらと。
英語は僕にとって全ての学問、化学やら物理に関してはほぼ知識がないため
ここでは関係ないものとして除外するが、
英語が一番頭に残りにくい科目です。
大学受験を控えた高3時、ほぼ勉強しなかったために
この時は全ての勉強が頭に入ってこなかったけれども
浪人時は他科目についてはほぼ完ぺきに仕上がりました、
この時にも最も足を引っ張られたのが英語なわけで…
国語に関しては日本語の解釈、またその表現技法等が非常に面白く
200字要約なども全く苦を覚えず、むしろ楽しかったくらいで一番改良され、
日本史、地学に関しては暗記に関わるもの、
また数学も極論的には暗記と論理学の統合物なわけで…
しかしながら英語だけがうまく身につかないままで今に至ります。
英語を考えた際、論理的であることは理解できる、
がやはりこの科目は非常に個々人のセンス的なもの、要は直観性や整合性に対して
ある種の敏感性を備えてないと全く無理な気がします。
生まれ持ったセンスといいますか感覚的なものなしで英語は無理な気がしますね、
留学に来てよりいっそう感じていることがそういうものでありまして、
恐らくここを乗り越えればまた新たな視点や姿勢が身につくのかと。
さてこれより重きを置いて論じてみたいことが、
勉強が出来る、やら物事に関して造詣深いなどに関して僕がどう思うのかです。
突き詰めれば世の中の全ての人は天才と凡人の二つに分けられる、
この基盤からスタートしましょう。
僕の考える傾向としては、自分の中で相手に対して
1.非の打ちどころがなく全くもって尊敬に値する
2.劣等を覚える部分がいくつか見られるが自分より上であるとは思えない
3.全く持って自分より下、軽視する。また眼中にない。
の3つに別れます。
先ず短いため1、3に関してですが、
相手の考えていること、また発言等に何の印象も覚えない、
というのもその考えが非常に浅薄でむしろ嫌悪感すら覚える等、
自分のそれと全く能わないといった点で3に関しては述べることが
ほぼと言ってありません。早い話一度3にはまれば相手がそこから抜けることは皆無です。
1について、僕の人生の中でそれにあてはまるのは2人のみですが、
これについては3の逆説と同値といいますか、
全てにおいてその考えが真っ当に思える。のようなものです。
勿論のこと全ての観点において自分の偏見めいたものであり、
そこの関わってくる情報や選別点は非常に多々です。
知識然り、その人の外見、容姿、性格等様々なわけです。
はて2について考えた際、何が容易に相手を認めることを拒むのか?
大きな理由としては妬みであるように思われます。
自分にないもの、僕の場合臨機応変さや要領のよさを持っている相手、
世の中には特に勉強せずともいい成績が取れたりする人もいますが、
自分との力量を比較したうえでも認めたくない、
みたいな訳で納得するに難くなる、といった感じじゃないかと。
何を書きたいのか少し分かりにくくなってきております笑
少し要点がズレますが、確実に相手が間違っているにもかかわらず
向こうはその非を認めないなんてことにも腹立たしさを覚えますね。
全てのデータからみても明らかなのにの場合です。
ここで面白いのは今僕が書いているような内容に対しては
莫大な量の違った見方があるといった事でしょう、
そこで人は自分の考えと見合う人を認めるみたいな事が働くと思いますが、
僕は恐らく無理ですね、違う考えの人との共存。
英語に戻ると言語的な面でも同じことです、そもそも言語的に
文化や習慣等が違うのにそういった違う人種と分かち合うのは
はっきり言って不可能です。心から通じ合うとか本当に馬鹿みたいな表現です。
全てを鑑みた時に一番しっくりくる、違う言い方をすれば
全ての事柄において知識を万全に備えることでしょう、
自分の意見を言わずとも人との葛藤、すれ違いを避けるための道具にもなりますし、
手っ取り早い話、事を常に一定の状態で保持し続けることが可能となります。
なんというかこの世の全ての事柄に関して
常に変動がない生き方をしたいですね、
ハイデガーの人と交わらないという晩年の生き方に
さらに輪をかけて死に向かうほど意識を巡らせるわけでもなく、
そこに関しても程ほどくらいに、特別なライフイベントがあるわけでもない
平凡な生き方を望みます、
技術が発展した今の世の中じゃ到底無理な話ですが…