今朝、リブログをしてくれた方がいました。
ゆい☆さん、ありがとうございますm(_ _)m


「機能不全家族」や「HSP」(超敏感気質)について書いたんですがもう少しだけ書いてみたいと思います(私みたいな者の見解記事がひとの目に留まったということがあまりに嬉しかったので、ついつい調子に乗って第2弾?です)


これから述べることは、特定の誰かへのことではなく全くの自分のことでその経験と感想でありそのことを偏見?を交えてで述べています。


《子供は生きていくなかで一番身近な「親」からの影響を当然受けるわけで、その親が「かなり偏った人」であると、子供が敏感過ぎた場合にその偏りの影響を多分に受けるしかない》という感じのことを書きました。


このことが結構、今頻発している問題の根っこにあるのかなと思う。「虐待」「引きこもり」なんかは特に。「負の連鎖」が延々と。


曲者というか問題なのは「親の性質」と「子供の性質」の組み合わせということ。親が「親のいう通りにだけしておけば間違いない」という視野の狭さと不安を持ち合わせていて(悲観的といってもよい)対する子供が「何事も汲み取ってしまう超敏感気質」だとすると、これはとても厳しいことになる(個人の経験と感想です)


・親の(自信の無さからの)厳格→敏感な子供はその通りに答えようと良い子を演じ疲弊する

・親の過度の心配性(過干渉)→敏感な子供は心配をかけまいと冒険や挑戦を回避しがちになる

↑これらが「引きこもり」の誘引になってる?

・親がある意味楽観的であれば、敏感な子供はその楽観さを察知する

・親が悲観的でも子供が「鈍感」であればそれを感じにくい


※全てがこんな単純ではないでしょうし、ネガティヴが全てダメだと言ってるわけでもありません。生きていくのは大変なことだし色んな出来事がありますから


ただ、私のところはこの組み合わせだっだと思います。厳格というかとても画一的で心配性だった両親。何事も悪い方にしか考えられず(子供が大切なあまりとは思いますが)その考え方、空気感を敏感に察知してしまい取り入れてしまった。その上夫婦仲があまり良くなくお互いがそれぞれの意見を尊重することは全く無くネガ方面であっても「逆」の内容のこと。それを私を味方につけようと?影で言い合う。それを察して…しかし正反対のこと、それぞれにいい顔をするしかない、という環境で「人の顔色をを伺い過ぎる」「人目が気になって仕方ない」という人物ができあがる。


【親は誰でも子供のことが心配なものだから何処でもそんなもんだろ】と確かにその通りで、なのにそれをずっといい歳こいてまで引き摺っているのはその頃の傷が深い?というか消えようのないくらいに刻印されていた。それは何故なら「敏感過ぎた」から。


残酷なくらい深く大きな負の刻印。それが消えずに残ったままの者は「機能不全家族」を繰り返す率は、そうでないよりも高いとは思う(個人の経験と感想です)。その刻印を活かせる環境を知る為の行動を制限され、薄くしてくれる可能性のある出会い的なものも制限された。つくづく今は「他人との出会い」のなんと大切なことかと痛感してます。


私は現在引きこもりのニートで、家庭もなく、子供もおらず、何の未来もありません。私の代で「お家断絶」でもあります。ただ引きこもりの独身ということで子に対する「負の連鎖」は唯一断ち切れたのかなとは思います。(間違った考え方かもしれませんが…)