ネットで時間をかけて顔見ずに好きになれればそれってもはや性格で好きになったと言えるか。現実問題、会ってない相手に対して盲目的に好きになるのは個人的には危険であると考える。特に外見重視の人は注意だ。顔写真であろうがいくらでも詐欺や編集できる時代であるし、ハゲ親父が来たらと思うとゾっとする。性格もネット上の場合周りを巻き込んで付き合わないと見えてこない部分も多い。ゲームで2年間交際して始めた会った日に結婚した人が話題になっていたが、あれは正直馬鹿げている。私は会ってから決めることを推奨する。

 

そんなネットメインな私はろくな恋愛をしていないし人を見る目肥やしてきたつもりだったが、結局顔とか声とか最終的には表面的なところを重視しまんまと好きになり、まともに話し合いすることすら許されず納得のできる理由を得られないまま一方的に振られることも珍しくなかった。振られることは確かに悲しい。だけど、それ以上に最後があまりにも残忍だから所詮その程度の付き合いだったのかという思いとそのような人を好きになってしまったこと、つまり中身なんて全く見えていなかったことにショックを受けた。

 

別れに関して常識や美徳を必要以上に求めているわけではないが、人として最低限の対応はして欲しいという自分なりの価値観がある。その点で、客観的に私に非がある場合を除き、別れる相手にいちいち説明する意味がない、めんどくさい、気持ちの問題で会いたくないだとかは納得いかないのだ。こちらとしても大人であるし、会ったとして言い分はあるにせよ無理に引き止めたりはしないし、それも人生であるからといい人生を送ってほしいと送り出して円満にお別れしたいところだ。何かひどいこと言われそうで怖いとか、ストーカーにならないか不安だとかそういう気持ちも分からなくはない。でも、そういう人間だと思われてることも不快であるし自分が選んだ選択には最後まで責任を持ってほしいと私は思う。

 

もちろん、そんな法律なんてないから強制できるものでないことは分かる。しかし、思い出として生き続けるのだから最後が悲惨だと悲しくないかと。すべてがマイナスのイメージで終わってしまう。嫌いになったわけではにないなら尚更だ。女々しいと思うかもしれないが、相手のことを考えるなら次に進むためにも機会は設けるべきだと考える。その人に対して大いにマイナスのイメージを残したままだと切り替えるのも時間がかかりメンタルに負担がかかるだろう。

 

そういう意味で、嘘をつくのもよくない。別れ話の際の嘘は自分を傷つけたくないだけの嘘になりがちだ。本当のことを言うのは相手が傷つくからと表面上で言っているが嘘を言われてる身からすれば、その嘘とそれを説明する理由に整合性が取れていない場合納得できず、疑心を抱くことになる。今までの経験上、苦し紛れの嘘は分かりやすく本来の理由が見え隠れしていた。取り繕って話しいるように思えないのだ。心の奥底から思いの丈を話していれば自然と感情がついてくるし、聞いていても言葉に重みがある。これは感覚の問題だから説明するのは難しいが分かる人は分かるであろう。

 

期待をもたせることはダメなのかといえばそうではない。期待するのは構わないけど責任はとれないしこれからのことは分からない。そう付け加えておこう。変に期待だけさせる言葉は思いやりに欠ける。もう誰とも付き合わないだとか、~年後彼氏いなかったら結婚するとかは言ってる本人は冗談のつもりかもしれないが、自分のことを好きな人間に対してそれを本気で言ってるんじゃないのならそれはあまりにも無責任だ。冗談と理解していようが、もしも期待させた分その発言が嘘となった時に失望は大きくなるだろう。

 

あまりいい別れ方をしてこなかったのもあり、付き合わないと分からないよねなんて諦めの言葉すら発すようになっていた。しかし、結婚願望もあるので前に進む必要があり考えた結果、自分の根底にある弱点の外見重視を弱めようと決めた。よく聞く大人になると顔じゃないなんて聞くのはそういうことなんだろう。かといって性格を重視していないわけでもなかったし、見えていない部分が多かったんだろう。だから私は別記事にある経験に基づいて書いた人の本質を見極める方法なんて記事を書くに至ったわけだ。

 

思えば5歳から外見重視で一目ぼれをして幼稚園生ながらラブレターなんてものを書いていた。「~ちゃんのことが好きです。大人になったら結婚しようね」なんて書いた返事の来ないラブレターをおそらく2、3通は送っただろう。厳密には今でも人見知りな私が彼女のロッカーに入れておいたのだ。その後、中学で再開することとなり、共通の友人からラブレターをまだその子が持っていてくれている話を聞き、自分のことを意識してるわけではないにしろ、わざわざ私の友達に話すぐらいだから話してみたい気持ちぐらいはあったのかもしれない。しかし、私は他に好きな人が出来ていたことや人見知りのせいでその子に話しかけることすらなく卒業を迎えた。その後も高校、大学、街中と30回ぐらいは一目ぼれしたであろうか。もはや覚えていない。

 

一度、外見重視からの脱却として20歳ぐらいの時には彼女がほしくて勢いに任せて告白してタイプではない顔の人と付き合った。結果、気持ちがついていかず自然消滅した。今思い返すとあの頃は中身を知ろうともしておらず、ただただ一緒にいただけである。それがやはりタイプの人じゃないとだめだなんて思うようになった理由であり、結果ろくな恋愛が出来ないことに繋がっている。

 

それらを通して学んだことは、自分から関係を持とうとするのなら人の中身を積極的に知ろうとすることが大事で、その人のいいところや好きなところを見つけることである。これはそこらへんで聞く言葉でもあるが、私がしているのはふとした時にそういう事をメモしておくと情景が思い浮かぶし、その人をもっと好きになれるしその話をすれば思いでの共有にもなり相手もいい気分になり、いいこと尽くしである。恋人との大切な日に感謝の気持ちとともに言ったりすると喜んでくれるであろう。 

 

当時の彼女をもっと知ろうとしていたら違った結果を得られただろうか?確かに興味はあるけど後悔はそれほどしていない。「私にはあの子以上の人はいないんだ」、と未練たらたらな人生を送っている人はそういう努力をしてみるといいかもしれない。きっと好きになれる人が現れるから。タイトルの解としては外見の許容範囲を最大まで広げてその人の本質をある程度見極めた上で興味を持ち好きな部分を探すことである。極論、性格である。